アメリカの女性人類学者による、「クール・ジャパン現象」をめぐる本格的で緻密な研究書である『菊とポケモン―グローバル化する日本の文化力』については、かつて以下のエントリーでかんたんに紹介したことがある。
『菊とポケモン』、クール・ジャパンの本格的な研究書(1)
『菊とポケモン』、クール・ジャパンの本格的な研究書(2)
今回は、この本の数章で取り上げられている個々の作品や製品について、下のマンガ・アニメの発信力5項目に関連させながら紹介してみたい。
①生命と無生命、人間と他の生き物を明確に区別せず、またあの世や異界と自由に交流するアニミズム的、多神教的な文化が現代になお息づき、それが作品に反映する。
②小さくかわいいもの、子どもらしい純粋無垢さに高い価値を置く「かわいい」文化の魅力。
③子ども文化と大人文化の明確な区別がなく、連続的ないし融合している。
④宗教やイデオロギーによる制約がない自由な発想と表現と相対主義的な価値観。
⑤知的エリートにコントロールされない巨大な庶民階層の価値観が反映される。いかにもヒーローという主人公は少なく、ごく平凡な主人公が、悩んだりり努力したりしながら強く成長していくストーリが多い。
まずは第5章で取り上げられている「セーラームーン」である。セーラームーンは1995年に初めてアメリカに上陸したときはまったく注目されず、1996年には商業的に失敗したと判断され、配信していたDICは放送を中止した。しかしそれまでに実は、米国内に数は少ないが熱狂的なファンが生まれていた。彼らが放送続行を訴え「セーラームーンを救え(SOS)」キャンペーンを展開したため、放送は再開され、2002年には、バンダイ製の人形もアメリカの玩具店にまた並ぶようになった。
アメリカのセーラームーンのファンは、この国に溢れているありきたりの男性スーパーヒーローとのちがいに惹かれていった。女性アクションヒーローの登場や、誰か一人を特別扱いしたり悪者にしたりするのではなく、さまざまな要素を絡めて描く複雑なストーリーが絶賛された。
アメリカのファンたちが繰り返し称賛したのは、「セーラームーンには、戦闘とロマンス、友情と冒険、現代の日常と古代の魔法や精霊とが混在し、並列して描かれている点だ」という。物語と登場人物をさまざまな方向から肉づけすることで、ほかのスーパーヒーローものよりも、「リアル」で感情的にも満足できる、というのだ。
この本で紹介される、ファンの代表的な声を抜き出してみよう。
「米国のテレビキャラクターのように無敵でないところがいい。」
「普通の女の子がスーパーヒーローに変身する物語に魅了された。」
「死や真実の愛といったテーマにさまざまな角度から向き合っている。」
「セーラー戦士は男性ヒーローよりも不器用だが、女の子でもヒーローになれるというまったく新しい視点を与えてくれた。」
「変身して人間を超えた力を授かり、戦士として戦う一方、アイスクリームを食べたりビデオゲームをしたりショッピングをしたりといった日常の描写が重要なのだ。」
「泣き虫でもヒーローになれるのよ」
「セーラームーンはごく普通の女の子だと思います。」
「何でもない女の子たちが宇宙を守るなんてすごい。」
こうして並べるとあきらかなように、これらの声は、日本のマンガ・アニメの発信力⑤にいちばん関連がある。意識的にそういうものを選んだこともあるが、全体としてそういう内容のものがかなり多かった。「ごく平凡な主人公」が、しかもアメリカでは従来ありえなかった普通の女の子が、スーパーヒーローに変身するというところに、ファンは強烈な驚きと魅力を感じたようだ。
『菊とポケモン』、クール・ジャパンの本格的な研究書(1)
『菊とポケモン』、クール・ジャパンの本格的な研究書(2)
今回は、この本の数章で取り上げられている個々の作品や製品について、下のマンガ・アニメの発信力5項目に関連させながら紹介してみたい。
①生命と無生命、人間と他の生き物を明確に区別せず、またあの世や異界と自由に交流するアニミズム的、多神教的な文化が現代になお息づき、それが作品に反映する。
②小さくかわいいもの、子どもらしい純粋無垢さに高い価値を置く「かわいい」文化の魅力。
③子ども文化と大人文化の明確な区別がなく、連続的ないし融合している。
④宗教やイデオロギーによる制約がない自由な発想と表現と相対主義的な価値観。
⑤知的エリートにコントロールされない巨大な庶民階層の価値観が反映される。いかにもヒーローという主人公は少なく、ごく平凡な主人公が、悩んだりり努力したりしながら強く成長していくストーリが多い。
まずは第5章で取り上げられている「セーラームーン」である。セーラームーンは1995年に初めてアメリカに上陸したときはまったく注目されず、1996年には商業的に失敗したと判断され、配信していたDICは放送を中止した。しかしそれまでに実は、米国内に数は少ないが熱狂的なファンが生まれていた。彼らが放送続行を訴え「セーラームーンを救え(SOS)」キャンペーンを展開したため、放送は再開され、2002年には、バンダイ製の人形もアメリカの玩具店にまた並ぶようになった。
アメリカのセーラームーンのファンは、この国に溢れているありきたりの男性スーパーヒーローとのちがいに惹かれていった。女性アクションヒーローの登場や、誰か一人を特別扱いしたり悪者にしたりするのではなく、さまざまな要素を絡めて描く複雑なストーリーが絶賛された。
アメリカのファンたちが繰り返し称賛したのは、「セーラームーンには、戦闘とロマンス、友情と冒険、現代の日常と古代の魔法や精霊とが混在し、並列して描かれている点だ」という。物語と登場人物をさまざまな方向から肉づけすることで、ほかのスーパーヒーローものよりも、「リアル」で感情的にも満足できる、というのだ。
この本で紹介される、ファンの代表的な声を抜き出してみよう。
「米国のテレビキャラクターのように無敵でないところがいい。」
「普通の女の子がスーパーヒーローに変身する物語に魅了された。」
「死や真実の愛といったテーマにさまざまな角度から向き合っている。」
「セーラー戦士は男性ヒーローよりも不器用だが、女の子でもヒーローになれるというまったく新しい視点を与えてくれた。」
「変身して人間を超えた力を授かり、戦士として戦う一方、アイスクリームを食べたりビデオゲームをしたりショッピングをしたりといった日常の描写が重要なのだ。」
「泣き虫でもヒーローになれるのよ」
「セーラームーンはごく普通の女の子だと思います。」
「何でもない女の子たちが宇宙を守るなんてすごい。」
こうして並べるとあきらかなように、これらの声は、日本のマンガ・アニメの発信力⑤にいちばん関連がある。意識的にそういうものを選んだこともあるが、全体としてそういう内容のものがかなり多かった。「ごく平凡な主人公」が、しかもアメリカでは従来ありえなかった普通の女の子が、スーパーヒーローに変身するというところに、ファンは強烈な驚きと魅力を感じたようだ。
いつか「戦闘美少女の精神分析」という本を取り上げて考えたいと思っています。