夏休みになると、がぜん子供が主体に変わる。結構なことだ。ラジオを聴いていたら、「子ども電話相談」という番組があるのに気がつき、しばらく耳を傾向けてみた。全国各地から子どもが日ごろ不思議に思っている関心事に、専門の先生方が答えていくという内容である。
たとえば、「飛ばない昆虫ってありますか」や「白熊がどうして絶滅する危険性があるのですか」、「普通の電球とLEDの違いはなんですか」といった素朴だが、子どもにとってはよく理解できない難問なのだ。親が答えるのではなく、電話相談してみたらという親の勧めもあってのことだと思うが、いずれにしても子どもの関心事は尽きない。
このような質問を聴いていると、大人でも答えに窮することがあるのだが、興味津々の課題を一つ一つ解決していくことから知恵がつき、次のステップに進んでいくのだろう。中にはさらに深め、やがて専門家になっていく人も多いのではないだろうか。
夏休みを含め、学校が休みに入ると、何がしかの宿題を出す教師が多い。自分の幼いころもそうだった。何の矛盾も感じず、休み明け近くになってお尻に火がついたようにあわてて宿題をこなしたことを思いだす。学期明けにたくさんの宿題を作り上げた子供が嬉々としてクラスに持っていき、先生に提出する姿を見ていると楽しげだ。
僕の二人の子どもが作成した課題の一部が今も保存しているのは、親として処分するのが忍びがたいからであって、かならずしも保管しているとは言えない。はたして盛り沢山な宿題を出して、教師はせっかく子どもなりに楽しく過ごしたい時間を奪っていないだろうか。かえって苦役を与えているのではないか、と振り返ってもらいたい。
僕はかつて中学校の教師をしていたことがあるが、宿題など一切出さなかった。でも子どもたちの学力が落ちたとは思わなかった。自分の中に教師として、出来上がった宿題をこなすために生徒一人一人が過ごした時間を想像して正当に評価することができない、と感じたからである。
今の先生方は経験豊かな老練な教師とあまり変わらず、形式的に宿題をだしているのではないかと思っていまう。忙しいといわれる教師自身が、この際じっくりと心身を休め、英気を養っていくことこそ大事なのではないだろうか。子どもたちには「はてな?」と思うことそたくさん創り、実力で理解する道筋を示してあげるだけでよいのではないか。今の先生方は余計なノルマを子どもたちに与えすぎ、教師自ら忙しくしていることはないのだろうか。
ラジオ電話相談など、ソーシャルメディアを上手に使いこなすことが今の教育にふさわしいのでは、とラジオ番組祖聞きながらそう思ったのである。
やさしいタイガー