ブログ人 話の広場

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注目の「70年談話」

2015-08-14 14:35:21 | 日記・エッセイ・コラム

 多分このブログを出し終えたころ、安倍内閣は国の内外に「戦後70年談話」を発表するだろう。はたしてどのような内容になるのか、関心のある国や人たちは注目していることだろう。ことに今年は戦後一つの節目を迎え、しかもかなり頑迷はリーダーシップをとり、自身の価値観が固着している安倍さんの言葉には信頼を寄せる内容にならないような気がするものの、様々な国や人々に多大な影響を与えかねないだけに目を凝らして見つめていく必要がありそうだ。

 まるでクイズのように安倍さんの文言に「おわび」と「侵略」そして謝罪をいれるかどうかが焦点だ。日頃の発言からは本音は入れたくないという心情だろう。だが周辺からかなりのプレッシャーを感じているようにも見え、ひとまず反旗を抑えようという思惑を優先するのではないか、という観測もある。

 しかも15日には敗戦記念式典が開かれ、天皇が述べる言葉にも注目が集まっている。天皇ご自身は今までの折に触れて示されているお言葉や御歌から推察するに、昭和天皇の苦汁をまじかにご覧になり、陰惨な戦争はしてはならないという強い信念がおありのようだ。徹底した平和主義者であり、過去の戦争への道をよく熟知されていると思う。

 一定の史観は安倍さんとはかなり違う。

 某女性ジャーナリストは今の安保法の推進を主張し、ヤスクニに賛同し、中国や韓国を下に見ているかのような発言が際立つ。これをまさに得たりと受け止めるのが急進的な保守党員たちだ。このような存在は今の真実の意味での平和志向に大きな妨げになっているが、市民もまた危険度の高い発言には注意を払わないといけない。

 最近の反安保や政権への批判に立ち上がった人々の行動はどこかの組織に加わっていない人が多いように見受ける。かつて60年・70年安保の時には左右の組織に帰属することによって組織統一の見解を主張してきた。だから組織が崩壊すると、人もまた去っていった。だが今の意思表示は違う。

 一人一人個人が自由に参加し、主張し、行動する。これは成熟した社会ならではの示威行為だ。若者、女性、成人、高齢者それぞれの価値観で表現しようとしている。こうした未組織の活動が際立ってきたのは、組織的活動への失望感を意味している。私自身のの70年安保の運動は、まさに個人の集合体であった。今の政権は「個」という言葉を嫌う。

 だが今こそ、個が大事にされる社会を創っていかなければならない。個を大事にする社会こそ自由で民主的といいたい。安倍さんの談話はいずれにしても国民を代表する談話ではないことだけは言っておきたい。どのような事態でも安倍さんの責任は免れない。本当に苦しい時に民衆の思いの立って勇敢に歩む姿勢があればきっと容認されていくとは思うのだが。

 やさしいタイガー