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70年談話は平和国家の終焉

2015-08-12 09:53:49 | 日記・エッセイ・コラム

 8月14日に安倍首相は「戦後70年談話」を発表するらしい。しかし、内容を巡って様々な立場の人が苦言や進言をしているが、果たして安倍さんはどう伝えようと構えているのだろうか。

 報道によると、骨子が浮き彫りにされている。歴代内閣は村山談話以降、これを継承してきた。近隣諸国とは多少なりとも関係が改善されてきたという評価はあるようだ。だが、安倍さんになって急速に中国・韓国とは疎遠になり、首脳会談すらできない状態だ。そんな状況を知っていながら、改善の余地すら見えないのは、なぜか。

 問題は先の戦争における日本政府と軍部の取った行為が侵略であるという真実を不都合とみていることであり、だからお詫びする必要はないという立場をとろうとしていることだ。稲田自民党政調会長は、「いつまでも『お詫び』をする必要がない」と発言、侵略という行為はないという解釈の発言をしている。

 1930年以降の日本の行動は、あきらかに領土拡張を狙い、満州に傀儡政権を作って資源確保に取り組んできた。軍部の傲慢で独裁的行為は許容を超えているが、その勢力を止められなかった内閣や政府、国の最高権力者の責任は大きいはずだ。

 それ故に若者を戦場に駆り出し、婦人子どもまで戦火の盾にしてきた政府の行為は、多くの体験者が語っていることからも許しがたい暴挙であろう。そんな過去を見逃してなお、戦争の危惧を抱かせるような法案を制定し、時には法を無視しても現実行為を優先するという呆れかえる政府高官の発言、まさに歴史認識にずれを起こす自民党そのものの体質を露呈している。

 このような中での「談話」はどれほどの重みをもっているのだろうか。仮に安倍さんがお詫びを文言に入れたとしても、決して自分の価値観を転向したわけではあるまい。歯の浮いたような内容になるような気がする。それでも確として歴史認識をもち、犯してきた侵略行為を謹んで詫び、それを基底に据えて未来に向けて平和国家としての歩みをする、といえば多少なりとも受容可能なのかもしれない。 

 しかし、自民党員はそう思っていないはずだ。先の稲田発言にしてからそうだ。談話が真に国際社会から安堵され、関係改善につながるのか、周囲のプレッシャーにひとまず聞いておこうという姑息な立場で出すのか、平和国家発言の終焉を意味していくのか。比較的物言わぬ日本人の習性に付け込んで独歩歩きな内容が出たら、いよいよ安保法制は戦争法といわれても仕方がない方向になるし、その行為が積極的平和主義という自己流の解釈を押し通すのではないか、と危惧する。

 たとえどんな情況になっても政府は責任は取らないということだけは肝に銘じて知っておくべきだろう。僕はそう思っている。

やさしいタイガー