ブログ人 話の広場

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危険な賭け、原発の稼働

2013-07-09 15:57:01 | 日記・エッセイ・コラム

 原子力規制委員会は、78日を全国の電力会社が保有する原子力発電所のうち、再稼働の準備が整ったら受け付けると決めました。この日、北海道電力の泊原子力発電所を始め、全国に散らばる電力会社は、一斉に申請をしました。

東京電力は、立地県である新潟県に何の相談もせずに申請しようとしました。地元の意見も無視して進めようとした東京電力に不信を抱いた新潟県の知事は、急遽面会にやってきた東電の社長に「なぜ、そんなに急ぐのか」「お金と安全のどちらが大事なのか」と鋭い質問を浴びせていました。しかし、的確に答えられない東電社長は、申請が難しいと判断し、延期する意向を示しました。では他の電力会社は、地元との協議を済ませ、納得した上での申請だったのでしょうか。

 

参議院選挙が近付き、政権与党は「人々の安全と暮らしの向上を目指し、美しい日本を取り戻すのだ」と力説していますが、どうも現実の姿とは符合しないように思えてなりません。中には関心は高まってはいても、稼働の賛否を争点にしないという市民もいます。

 

ぼくは申請した各電力会社の再稼働の計画の内容はしりませんが、原発自体の安全を強調しているのでしょう。でもそこに働く人々の安全は確保できているのか、立地に住む人々の安全について対策を持っているのか、完璧とは言わないまでも、真実を示してほしいと願う一人です。

 

しかも2年半前の福島原発の事故の教訓は生かされているのかも疑問です。責任も対策も示さないまま、なし崩しに実態を優先してきた運営主体者の責任は大きいはずです。

放射能汚染で村や町そのものがそっくり移住を迫られ、復帰することすら見通せない今、それでも稼働しようというのは、あまりにもお金に目がくらみすぎていないでしょうか。被災された人々にとっては許しがたいのでは、と思います。一方では、立地個所が受けた支援の中で暮らしている人々は、原発は必要だと認識しているのです。だから早く稼働してほしいという本音が見えます。

 

政府も企業も自治体も、そしてそこに住む人々、さらに僕たちも含めて、これから原発をどうしていくのか、いつまでこうした危険と向き合っていかなければならないのか、原発以降の新エネルギーは見通せるのか、などそれぞれの意思を示す時代がやってきたのです。そのゴールが美しい日本創りにつながっていくのだと思いたいのです。

 

危険な賭けに付き合うことはだれも望んでいないはずです。

 

恐ろしい大震災が予測される今、作家の小松左京さんが書いた「日本沈没」や「都市崩壊」をもう一度読み返しながら、日本の行く末を考えたいものです。

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やさしいタイガー

 


30年ぶりの遠友からの便り

2013-07-08 17:26:22 | 日記・エッセイ・コラム

 何事もそうだと思いますが、人との関係を高めようとするならば、自分から進んで相手の懐に入ることが重要だと、気づかされたことが最近相次い日本アルプスを背景にで起こりました。

 この2,3日遠方に住む旧友から、手紙とメールをいただき、びっくりしてしまいました。一人は熊本県に、他の人は福岡県に住んでいて、今も元気に人生を楽しんでおられる様子を知りました。

 また長野県に住む遠友は、白馬村に山荘を立て、夫とともに経営をしていて、今年でもう30年になるとの知らせでした。

 先の九州に住む友は、かれこれ30年前、ぼくが福岡に勤務していた時代に、一般公開のダンス講習会を開いた時からの出会いです。指導する先生のアシスタントとして参加してくれたメンバーたちです。

 もう初期高齢者の仲間入りしているのですが、今でもダンスを楽しんでいるようで、 過日OB会をしたとの連絡をもらいました。そんな中に僕を思い出し、電話をしてくれたということです。すでに床に就いていたので、会話をすることはできませんでしたが、思い出してくれるだけでもありがたいことです。

 もう一人の長野県の女性は、さらに遡ること5年、ぼくが働いていた神戸の職場の後輩です。しゃきしゃきとして快活な女性でしたが、結婚してパートナーと白馬村に行き、苦労しつつ山荘を開き、30年を迎えたという書簡です。

 メールで祝福のメッセージを送りました。さぞかし苦労されたでしょうが、日本アルプスを背景に、春に、夏に、そして冬に年中楽しみにしている多くの来訪者を迎えて変化ある日常のようです。

 なんでもないニュースですが、僕にとっては、だんだんと周囲の人々のことが気になる年齢になって、今となっては再会は難しいものの、想い出の絆があると思うと、感謝の思いであふれます。

 時々、自分に負けてしまいそうなわが身を叱咤するには、もう顔も忘れがちなかつての仲間との交信こそ、元気をつけてもらえそうな気がしてくるのです。暑い夏のひと時、心には爽やかな風が吹いているような思いをしました。

 これも若かりし頃、進んで周囲の人々の中に溶け込んでいこうという姿勢の効果なのかなと自賛しています。今もその気持ちを忘れないで、と言い聞かせたい思いです。

やさしいタイガー


文月という月

2013-07-01 13:43:17 | 日記・エッセイ・コラム

 いよいよ本格的な夏がやってきました。 伊丹に住む友は「うだるような暑さがやってくる、札幌はうらやましいです」との一筆をもらいました。ぼくも神戸にいましたから、十分想像できるのですが、確かにさわやかな季節です、と返信するのに気が引けるような気がしています。

 今日から7月に入りました。一年の半分が過ぎたことになります。あの厳しい寒さを思うと、つかの間の今の季節を存分に味わっておきたいものと思ってしまうのです。また明日2日は「半夏生(はんげしょう)」といい、その名の通り「これからですよ、暑くなるのは」と先人は言い伝えています。

 二十四節気では、7月は「文月」と言い当てています。この表現からは、文を書く、つまり季節のあいさつ「暑中見舞い」を親しい人に差し上げるシーズンが来たということです。

 けれども、近年は年賀状すら減らしたいと考えている人が多くなったようで、暑中見舞いまで出すような心配りは、うんと減っているのかもしれません。

 とはいえ、日頃ご無沙汰している方に息災を伺う一筆を書くことは、日本人らしい習慣であり、やさしさを感じます。ちょっとした一言でお相手は喜んでくださるのであれば、大切なことかもしれません。

 先人たちは、毎月の言い方を見事に言い当てているようで、大した知恵だ、と感心しします。だからこそ、日々かみしめて過ごしていきたいものだと思いますが、さて、今年の夏、どんなふうにお過ごしになるのでしょうか。

やさしいタイガー