痛ましい事件のありさまは、今も記憶に残っています。2012年10月、学校から帰宅しようとしていた少女たちを乗せたバスに突然乗り込んできた反政府イスラム原理主義組織パキスタン・タリバーンのメンバーが、一人の少女を探しだし、持っていた銃を乱射、殺害しようとした事件です。こんな非道な行為に世界の人々は怒りと恐怖を覚えたものです。
被害に遭った少女は、マララ・ユスフザイエさんといい、15歳の時でした。頭部を銃撃され重傷を負いましたが、懸命な医療機関の治療で九死に一生を得ました。今は治療を受けたイギリスで傷も癒え、学校に通っています。
彼女は、7月12日を「マララ・デイ」と定めた国連の招待で本部を訪れ、招待された世界の若者たちを前に演説をしました。話す言葉は美しく、力強く、ゼスチャーをまじえ、その内容は、虐げられている人たちを勇気付け、はく奪された自分たちの権利を取り戻すことへの道に希望があることを感じさせたに違いありません。
そのスピーチはおよそこんな内容でした。(A新聞記事から)「マララ・デイは、権利を訴えるすべてのすべての女性や子どもたちの日だ。女性や子どもたちのために、教育を受ける権利を訴えたい」と。世界には貧困や政府その他の弾圧、さらに宗教上の理由で教育を受けられずに差別を受けている子どもたちが多数います。
今回の事件は、マララさんをはじめ、勇気ある少女たちが教育を受けていることに対するイスラム原理主義者の経典に反するという理由らしいのです。
しかし、彼女はこうも言います。「何千人もの人がテロリストに殺され、何百万人もの人が負傷させられた。私もその一人だ。その声なき人々のために訴えたい」と。そして「テロリストは私や友人を縦断で黙らせようとしたが、私たちは止められない。私の志や希望、夢はなにもかわらない」と力強く訴えています。
重要なことは、「自分に銃を向けた人に対して恨みを抱かず、憎しみもしない]とも言っています。とても生死を分けた幼い少女の言葉とは思えないほど崇高な言葉です。こんな言葉を今の為政者たちはどう感じ取ったでしょうか。
しかもタリバーンやすべての過激派の息子や娘たちに教育を受けさせたい、とまで話しています。何と心の広い少女でしょうか。最後のくだりは名言でした。
[世界中の姉妹たち、勇敢になって。知識という武器で力をつけよう。連帯することで自らを守ろう。 本とペンを手に取ろう。それが一番強い武器だ。一人の子ども、先生、そして本とペンが世界を変えるのだ。教育こそがすべてを解決する。」と人差し指を高く掲げながら訴えていました。
今の大人たちは、こうした切実な子どもの声をどう受け止めたであろうかと想像しています。ことに政治社会にある人々、宗教界の指導者の反応を知りたい思いです。恵まれすぎている私たちもまたマララさんの言葉の一つ一つをかみしめ、何ができるか問い続けなければならないとはずです。
今年のノーべル平和賞候補に挙がっているそうですが、そんなことよりも彼女の訴えている思いを深く受け止め、一刻も早く希望や夢を与える道筋を考えていく行動力こそ、大人の責任です。
やさしいタイガー