ブログ人 話の広場

日頃の生活のなかで見つけたことなどを写真もそえて

復興の戸惑い

2011-04-21 09:15:04 | 日記・エッセイ・コラム

 中学校の体育館で避難していた被災者の方が、学校側から3日以内に退去してほしいとの通告を受け、どこへ行けばよいのか、戸惑うニュースを聞きました。もう体がすっかり弱り果てたシニアの方にとって、ガラスの割れた体育館への移動はとても残酷に聞こえます。

 学校側は新1年生が入学してきても、教室がないという理由です。急遽仕切って使うとの話でしたが、中には学校側の言い分もわかると移動を決めた被災者もいました。どちらも悲しい現実です。そうした中で政府や自治体の姿がまったく見えないのはどうしたことでしょうか。次第に多くの関係者が疲労困憊の中で、思考能力が低下しているのかもしれません。

 人命優先で、亡くなった方を懸命に探す自衛隊や警察官、その他危険な仕事に立ち向かう関係者の方やボランティアの昼夜を分かたず、活動する姿には尊ささえを感じます。にもかかわらず政府関係者の反応の鈍さと一体化しない駆け引きは本当に明日をもしれぬ命を持ちこたえている人たちに何をしているのか、遠くにいるからでしょうか。まったく見えません。

 それを実行するのは政府や国会議員たちです。子どもも大人も団体も皆いろんな機関に募金をしてきました。今もしています。その何億円というお金はもう被災者に届いているのでしょうか。捧げた人もそう思いながら一日も早くとの思いで捧げた募金がじっと止っているようでは意味がありません。

 私たち国民が見えない形で動かされることのないよう情報を充分公開し、早く戸惑いから解放してさし上げてほしいと思うのです。今も10万人の方々が避難生活をしています。細々とした食糧品しか与えられず、それで行き届いているなんて言うべきではありません。

 力を落とさず、前に向かっていけるよう祈る私たちは、まだまだすることがあるのかもしれません。今、もう一度考えるときにしたいものです。

やさしいタイガー


友人のために選挙カーに乗る

2011-04-20 10:41:26 | 日記・エッセイ・コラム

 月曜日と火曜日は親しくしている倶知安の友人からの急な連絡で、ほかならぬ人なので、先輩の自動車に同乗させていただき、行ってきました。途中の車窓からみえる羊蹄山は見事なものでした。火曜日は地方選挙の告示日で、出陣式をするので、一言挨拶を、との要請を受けたのです。

 選挙の応援など今までした事はないので、やや躊躇しましたが、大切な友人でもありますので、行ってきたわけです。彼は従来の名前の連呼ではなく、人間観にあふれ、住民の方々が新たな考えに立ち返ってもらえるような挨拶をと、難しい注文をいただいたのですが、一風変わった選挙演説をしてきました。

 この方は、地元で生まれ、育ち、大学だけ本州で学んだ後、地元に帰り、本当に地元のために献身的に半生を注いできた郷土愛に深い人です。選挙カーにも乗り、ときどき辻たちをして演説をされるのだが、そのたびにぼくは短く応援メッセージを語る役割をもらい、挨拶を添えました。

 感心したのは、ゆっくりと走る選挙カーから見える街や人の反応はすごいと思いました。多くの方は手を振り、時には自動車を降りて、お年寄りに抱えるように労わる姿に素晴らしいと見つめていました。隅々まで知り尽くしているだけに、どこを走っても手を振る姿に知名度の高さを感じました。時々挨拶を終わると拍手などもあり、地元への密着度がわかろうというものです。庁舎の前で挨拶をすると窓から職員が最後まで聞き入り、おわると手を振る姿も見ました。

 ぼくはもちろん投票権を持っているわけではありませんから、果たしてお役に立ったのかわかりませんが、初めての経験でコミュニティというのは、まずそこに住む住民と知り合い、語り合い、信じてもらうことが大切かな、と大いに学んできました。

 羊蹄山やアンナプリはまだ冠雪が深く、山には当分春はこないのだろうなあと美しい広々としたニセコの風景を自動車の窓越しに見てきました。これもよい体験でした。ちょっと疲れましたが。

 24日が投票日だそうですが、吉報を待っていますよ、と告げて分かれました。

やさしいタイガー


日本人の希望と勇気

2011-04-17 10:24:47 | 日記・エッセイ・コラム

 昨日の夜、最近有名になったハーバード大学の教授の名物授業を聞きました。ボストン、上海、東京にそれぞれ集まった人たちとの対話学習でした。冒頭に教授は、今回の東日本大震災の際、被災した日本人の礼節な行動、忍耐強さ、秩序正しい避難所での生活、そして亡くなった人を悼み、その人たちの分まで生きていこうと思うと話すやさしさに、世界中の人たちが驚きと素晴らしさを報道している話から始まりました。

 また危険な箇所に果敢に飛び込んで救援する姿にも触れ、君たちならどうする、といった質問を投げかけるなど、これから世界の人びとはどうあればよいかという本質論まで巧みに誘導し、3箇所の若者たちの意見を見事に吸収した授業でした。

 若者たちは積極的に発言していましたが、中には国家と被災者をふくめた日本人との間に乖離している部分があるのではと疑問も出されました。鋭い視点を持って上海の若者でした。一番先に自分たちの身を守るのは自分たち自身だというアメリカ人の考え方など、実に変化があり、興味をそそられました。

 日本人はきっと希望を失うことなく、新しく復興への道を創っていくに違いない、と日本人観を改めた若者は多かったように思いました。

 嬉しいことです。同時に世界が受け止めた日本人への考えと国家間の信頼関係は違うことも知ることになりました。世界が一つになるには、多くのことを相手から学ばなければなりません。対立軸があっても自己主張で問答している間は国家の信頼をえられません。

 このあたりで一度過去の日本を徹底的に見直し、リセットして被災地の苦しい生活の間ですら生まれる人が人に優しくすること、互いに助け合う精神を政治関係者はありがたく受け止め、裏切らない謙虚な国家作りに精進して欲しいと願うのです。きっと世界は期待していると信じたくなるボストン、上海、そして東京の若者の発言でした。

 こんなときに同じ党内で紛争の種をまいたり、指導者の足を引っ張る行為を恥ずかしいと思うべきで、国民は静かにそして怒りをもって見つめていると思います。そんな政治遊びのようなことをやめて、一刻も早く東日本の再建のために身を投げ打ってこそ、国民全体が一致していくのではないかと思いました。

やさしいタイガー


日本の変革がはじまる?

2011-04-16 09:52:54 | 日記・エッセイ・コラム

 東日本の大震災そして津波、さらに原発事故と重なる大惨事は、関係者や被災者の方々、支えるボランティアの献身的な働きにもかかわらず、一向に先が見えないことに苛立ちを感じさせます。攻めるべき相手もいるでしょうが、そんなことをして相手の責任におっかぶせるのではなく、ここは自分の主張を一歩譲ってでも国民が一体となることを誰もが望んでいるはずです。にもかかわらず、なんだか裏でごそごそとした動きをする政治の世界は本気なのかと疑念を持ちます。

 ふとぼくはこの機会に、日本が近代化していったターニングポイントを振り返ってみました。

 第1は1945年を境にした日本人の心意気です。ほとんどのものを失い、廃墟の中から立ち上がったことは、かえって日本人は他人を思いやり、貧しさを共有し、お互い様の考えで自ら復興に立ち上がった共有感がしっかりとあったからだと思うのです。もちろん世界からも多くの支援を受けてはいますが。

 第2は地震国といわれる不安定な社会の中で、大正時代の関東大震災から多くのことを教訓と学び国の再建に国民は取組んだはずです。不安と恐怖の中で人びとはさまようような毎日だったに違いないのです。20世紀後半から北海道南西沖地震や中越地方の地震、阪神・淡路大震災など多くの巨大な災害を経験してきました。そんな中でも皆と生きるという考えで見事に街を変えていきました。素晴らしい行動です。

 そして第3は今回の東日本の三重苦を体験している人びとの力です。多くの支援する方々は過去の体験を通して復興への道筋を創ろうと活動しています。その力は全国から集まってきているのです。それだけではなく、外国からも物心両面の応援を受けました。これからも支援するとの声明は永久に忘れてはならない世界が一つになるきっかけとしたいものです。

 しかし今回は単なる再興するシナリオではまた同じ過ちを起します。再建の底流が人間の生命を守るということに視点をずれずに持つことに期待が寄せられているのです。このターニングポイントは、広範囲の災害だけに、被災者はもちろん、関係者や研究者の中でも先端的な考えで取組んでくれるでしょう。時間はかかるかもしれないが、それにもかかわらず、未来のために過去から丁寧に学び、しっかりと生かして欲しいと思うのです。

 人間は何度も同じ過ちを繰り返すものです。しかし大切なことは人間や他の動物も含めて自然への畏敬の念の喪失、高度技術に依拠しすぎた人間の傲慢さに気付くことではないでしょうか。 第3の復興は人間を中心に優しく労わりあえるような心を豊かにする街づくりに取り組むべきだとぼくは思います。

 長い道のりでしょう。世界からの賞賛を受ける日本人の静謐な生き方を大事にしたいものです。新しい酒は新しい皮袋にいれないと古い皮袋だと裂けてしまうという聖書の言葉は教訓の一つです。

 私たちにできることは、私たちも被災者の一人なのだという意識と新しい復興のために何ができるか、自分たちの住む地域の中で考えることも共感の一つになるかもかもしれません。

やさしいタイガー


大通公園の春

2011-04-15 09:10:02 | 日記・エッセイ・コラム

 久しぶりで大通りを歩いてみました。まだあちらこちらに雪が残っていて、清掃されていないせいか、あまり美しいとはいえません。それでも吹く風は春の爽やかさを感じさせ、なんとなくこころをうきうきさせてくれます。

 雪国の今の季節は、一番汚れていて、残雪の哀れな姿を見せているのですが、それでも街路の木は少しずつ春の息吹を感じさせる芽が幾分色づいています。立ち止まって観察していると本当に自然の移り行く姿はすごいと感じます。大阪は有名な造幣局の桜が満開になり、そこを通り抜ける時期が今です。夜ともなると照明で映し出される桜は、息を呑んでしまうほどです。

 小さい国ではあっても季節は多様で、札幌は皮肉なことにゴールデンウィークが済んだ後に満開になると予想されています。今年は自粛ムードで円山公園の桜の下での宴会はないでしょうが、それでもここもまた美しく咲き誇るでしょう。

 日本人は花を愛でる民族で、花にまつわる句や詩は多く詠まれていますが、47歳で急逝した作家の林 芙美子は苦闘した若き時代を偲んで「花の命は短くて、悲しきことのみ多かりき」と花の命と自分の生涯と重ねた短詩を思い出します。美しく咲く花はそれでも四季折々にわが身を誇るかのように私たちの心を豊かにしてくれます。ありがたいことです。

 「ひさかたの光のぞけき春の日にしづ心なく花の散るらん」これは紀友則の作ですが、いつしかぱっと咲いてそっと散るはかなさを歌っているのでしょうか。

 大通公園がやがてライラックの花で被いつくされるのはもう少し後のようです。待ち遠しい春です。花は被災地の人たちにもきっと和みを与えるのではないでしょうか。

やさしいタイガー