スーちゃんが亡くなり、大勢のファンの悲しみを誘いました。若い時期に一緒に楽しんだキャンディーズファンの若者も今では老いの入り口に近づいているだけに、寂しさは一しおです。葬儀の中で、生前息も絶え絶えに多くの人びとに語りかけた録音されたメッセージは、惜別の情を深くしました。東日本の人びとに何もできない苦汁をこころが張り裂けんばかり、と話し、天国から応援したいと気遣う立派な最後の挨拶でした。
もはや死を受け入れ、わずかな命の灯を輝かそうと懸命に闘うスーちゃんの生命観に深い感動を与えました。苦悩の表情だったでしょうが、にこやかな笑顔は多くのファンの悲しみを越えて爽やかに送る事が出来たのではないでしょうか。
それに比べ、災害の対応に追われる菅首相の表情は、暗く発する言葉からは生気がなく、もはや人びとを元気付けるメッセージさえ出せないほどの迫力のある顔つきではありません。宿命と思って最後まで責任を負うという言い回しは、その通りだと思いますが、被災者の耳には届いていないようです。若いミュージシャンの激励のコンサートに涙し、励まされたと話す避難生活をするシニアの人びと、咲き誇る桜を見て力づけらているのです。優しさを持ちながらじっと耐えるかたがたの力になるには誠実さと献身さがなければ、何の力にもなりません。
人はちょっとしたことで喜怒の表情が出ます。それは感情表現ですから致し方ないにしても政界の人たちは、いずれも政争を好んでしている口先政治だと国民は見ているのです。だからみんな表情にきりっとした希望を与えるような鋭さと明るさがないのです。なんだかダーティな集団に見えてしまいます。
ここは日本のために、苦闘している人たちのために、皆が大喝采するような明るい気持ちで堂々と未来の道筋を話して欲しいのです。惜しまれて別れる悲しさを越えて見送ったファンは永遠にこころの中でスーちゃんを思い出し、元気付く人もいるでしょう。
政界も萎縮しないで内部喧嘩もやめて未来の見える働きをしてください。苦虫を噛みつぶした暗い表情はもうやめて。気分も一新して。それが菅さん、あなたのやり直しの課題です。
やさしいタイガー