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尼崎精工

2015-02-25 14:57:22 | 杉山平一先生
ある人がこんな資料を提供して下さった。

「地域史研究」-尼崎市立地域研究史料館紀要ー
昭和61年3月号。
この中に「尼中生の戦中戦後日記」-戦中の部ーというのがあり。これがスゴイ。
岡本忍という人の日記だが、よくぞ公開されたものと思う。
中には青春の恥ずかしい心情なども含まれていて、公開には躊躇があったと思われる。
しかし、それも含めて戦中の貴重な記録だ。
そして、興味深いのは、この岡本氏が中学4年の時に勤労動員されたところが「尼崎精工」だったという。
杉山平一先生のお父さんの会社で、杉山先生は専務さんだった。
戦時中は軍需工場になっていたのだ。
その工場での毎日の詳細な日記である。
大洲の女高生も学徒動員された会社だ。

日記の一部、紹介しましょう。

昭和20年7月1日(日)雨
どうも面白くない。本日の作業、機械掃除。今朝新聞に尼崎の十日間で復興した事が載ってゐたさうだ。帰ってから隣のを見して貰ったが、ハッタリもハッタリ、実に驚いた。「工場至る所狭しとばかり埋められた日の丸の旗(たった二本)の下、神風鉢巻をキリリとしめた学徒(俺たちは神風鉢巻なんか一本も貰わん!)」といった工合である。新聞は、前からよく誇大、ありもせぬ事を書きたてる。そんな事をすれば、報道というものの真実性を失ふではないか。(略)


検閲を受けない日記だったから良かったのでは?当局に知られたらただでは済まなかったのでは?

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