鳥取の詩人、手皮小四郎さんからお贈りいただきました。

『菱』212号です。創刊1968年とあります。凄いですね。
特集として「辻晋堂と詩歌」とあります。
辻晋堂は彫刻家ですが、わたしが尊敬する詩人、足立巻一先生の自筆年譜の何カ所かに登場し、先生が新聞など各所に晋堂氏について書いておられるということです。
親しかったということですが、それは先生の詩集『雑歌』の巻頭ページの口絵、晋堂氏の陶彫「浄瑠璃」によるもの。
「あとがき」がこんな風に書きだされています。
《一九八七年春のことである。ある友人がいきなり言った。「きみはそんなに晋堂さんと親しいのか。”浄瑠璃”という陶彫の首根っこに”だんだん足立巻一さんに似てきた”と彫ってあったぞ」。(略)親しいも何もない。ただの一度お会いしただけである。》
このあとも興味深い話が続く。
『菱』212号には手皮さんも「聯詩と日記に見る辻晋堂の得度・改名」と題して二段、5ページにわたって論じておられます。
思いがけず辻氏のことを詳しく知ることになりました。手皮さん、ありがとうございます。
さて、詩作品。
やはり手皮さんの「バッタを追う」を上げましょう。
←クリック。
ここに出てくる「コメツキバッタ」ですが、わたしも幼少のころ追いかけました。
すると「チキチキチキ」と鳴きながら跳んだものです。
隣の小学校が戦災で休校中で運動場は大きな草原になっていました。
破れた塀から入り込んで、近所の子どもたちと遊んだものです。
蝶やトンボやバッタの楽園。また、わたしたち子どもの天国みたいな所でした。
思い出がいっぱい溢れてきます。懐かしい懐かしい気持ちになりました。
これも手皮さんのこの作品のお陰です。ありがとうございます。
ほかに、足立悦男氏の「正念場」が画家中川一政のことが書かれていて良かったです。
中川一政については拙著『触媒のうた』でも取り上げました。なので興味深く読ませていただきました。
ほかの方の詩作品もみな抽象詩ではありませんので楽しく馴染めました。
ありがとうございました。
㊟ せっかく一生懸命に作ったブログがなぜか消えてしまって、仕方なくもう一度作り直して、これをアップしたのです。
ところが今、気づいたのですが、消えたと思っていたブログがなぜか10月31日のところに上っていたのです。内容が少しだけですが違ってますので、このままどちらも消去せずにおいておきます。

『菱』212号です。創刊1968年とあります。凄いですね。
特集として「辻晋堂と詩歌」とあります。
辻晋堂は彫刻家ですが、わたしが尊敬する詩人、足立巻一先生の自筆年譜の何カ所かに登場し、先生が新聞など各所に晋堂氏について書いておられるということです。
親しかったということですが、それは先生の詩集『雑歌』の巻頭ページの口絵、晋堂氏の陶彫「浄瑠璃」によるもの。
「あとがき」がこんな風に書きだされています。
《一九八七年春のことである。ある友人がいきなり言った。「きみはそんなに晋堂さんと親しいのか。”浄瑠璃”という陶彫の首根っこに”だんだん足立巻一さんに似てきた”と彫ってあったぞ」。(略)親しいも何もない。ただの一度お会いしただけである。》
このあとも興味深い話が続く。
『菱』212号には手皮さんも「聯詩と日記に見る辻晋堂の得度・改名」と題して二段、5ページにわたって論じておられます。
思いがけず辻氏のことを詳しく知ることになりました。手皮さん、ありがとうございます。
さて、詩作品。
やはり手皮さんの「バッタを追う」を上げましょう。

ここに出てくる「コメツキバッタ」ですが、わたしも幼少のころ追いかけました。
すると「チキチキチキ」と鳴きながら跳んだものです。
隣の小学校が戦災で休校中で運動場は大きな草原になっていました。
破れた塀から入り込んで、近所の子どもたちと遊んだものです。
蝶やトンボやバッタの楽園。また、わたしたち子どもの天国みたいな所でした。
思い出がいっぱい溢れてきます。懐かしい懐かしい気持ちになりました。
これも手皮さんのこの作品のお陰です。ありがとうございます。
ほかに、足立悦男氏の「正念場」が画家中川一政のことが書かれていて良かったです。
中川一政については拙著『触媒のうた』でも取り上げました。なので興味深く読ませていただきました。
ほかの方の詩作品もみな抽象詩ではありませんので楽しく馴染めました。
ありがとうございました。
㊟ せっかく一生懸命に作ったブログがなぜか消えてしまって、仕方なくもう一度作り直して、これをアップしたのです。
ところが今、気づいたのですが、消えたと思っていたブログがなぜか10月31日のところに上っていたのです。内容が少しだけですが違ってますので、このままどちらも消去せずにおいておきます。