先日の帝塚山学院大学での「杉山平一展」で、
初美さんがお父様のことをお話しになった中で、印象的だった話を。

ある生原稿が出てきたと。もうなにか本に発表されているかも…とのことだが、わたしは知らない話。その原稿を朗読して下さった。
そばを電車が通って聞きにくかったりしたので、多少間違っているかも知れません。またどうしても聞き取れない言葉も。
「一度わたしは横光利一氏にお会いしたことがある。昭和14年のころであった。友人の田所太郎氏が雑誌「革新」の編集をすることになり、丁度その頃一年足らずで召集解除になって帰っていたわたしは、その手伝いを頼まれたのだ。ある時、田所君は「横光利一の所に行くんだが一緒に行かないか」と言った。「横光利一さん!」その頃、文学に関係する若者にとって、これほど輝かしい名前はなかった。小林秀雄による評価、また「改造社」の雑誌「文芸」の扉に描かれた佐野繁次郎のデッサンの書斎に〇する長髪の後ろ姿が示す文学者を象徴する風貌。神秘的な〇〇が〇〇するその姿勢。それらはそのまま人々に、(電車の音でしばらく聞こえず) 小さな応接間に通されると、間もなくあの写真で見る風貌そのままの人がわたしたちの前に座り、わたしの緊張は高まった。わたしは映画監督伊丹万作の「演技指導そう案」というエッセイの愛読者であるが、その中に「俳優は常に手を内懐かポケットの中に隠したがる。彼らの手を隠し〇〇から引っ張り出せ。でないと折り目正しい演技はなくなって全てが猿芝居になってしまう」というくだりがある。実際人間の手の置き所というのは難しいものである。聴衆に話す時など、卓のない壇上に立とうものなら、手をどうしていいかうろたえてしまう。わたしは文学の神様の前に座って手をどこに置くか迷ってしまう。わたしはどぎまぎした。思わずであろう、いつの間にか両手を胸に締め付けるようにしていた。それは腕組みのようになっていたらしい。話し始めると横光氏の目がふいにわたしの腕をとらえた。そしてすぐ、又、田所の方へと向かった。その視線は、ジロリという下品なものではなく、グサッと刺さったようだった。「しまった。腕組みととられたのではないか」。「無礼者め!」と言われたような気がして、スーッとわたしは腕をほどいて両手を膝の上に乗せて俯いてしまった。そして、その謎めいて神秘的であったであろう話の内容を聞くどころではなく、ひたすら恐縮してしまっていた。
間もなくわたしは関西に帰り、父の工場に勤めていたが、昭和18年、詩集『夜学生』を作ったので、横光利一氏にもお供えをするようなつもりでお贈りした。その横光氏から思いがけなく手紙をもらったのだから、わたしは文字通り飛びあがった。
(手紙文)≪御無沙汰いたしております。お變りございませんか 「夜學生」大變面白く拝見させていただきました。机の傍へ置いておくといつか無くなり、下へ降りてみると、家内が下へ持って降りてこっそり讀んでをり、また上へ持って上がって置くと、いつのまにやら、また下にある、といふような始末で、何だかあなたの夜學生みたいなことになってゐます。この詩集に流れてゐる哀愁は清らかで、羽根が透明、よく見るとこれは君の夕ごころ
さやうなら
菜の花の茎めだたかれ夜學生
杉山平一兄 横光生≫
文面の最後に「菜の花の…」という俳句まで添えてあったその手紙を何度、〇〇したか知れない。わたしはただ一人胸にしまいつづけていた。そのうれしさを伝えようにも仲間や友人は次々戦場へ出て行く大戦争の真っ最中だった。」
初美さんの朗読は素晴らしく、その内容と相俟って、わたしは深く感動した。
さて、この文章、どこかに発表されているのでしょうか?わたし、読んで忘れているのでしょうか?
追記 林さんがこんなブログを過去に書いておられた。
やはり発表されていたのですね。ということで、初美さんが朗読して下さったのは草稿ということで、これを推敲の上、発表されたということなのでしょう。たしかに初美さんが読まれた原稿はまだ整理する余地がある文章だ。
初美さんがお父様のことをお話しになった中で、印象的だった話を。

ある生原稿が出てきたと。もうなにか本に発表されているかも…とのことだが、わたしは知らない話。その原稿を朗読して下さった。
そばを電車が通って聞きにくかったりしたので、多少間違っているかも知れません。またどうしても聞き取れない言葉も。
「一度わたしは横光利一氏にお会いしたことがある。昭和14年のころであった。友人の田所太郎氏が雑誌「革新」の編集をすることになり、丁度その頃一年足らずで召集解除になって帰っていたわたしは、その手伝いを頼まれたのだ。ある時、田所君は「横光利一の所に行くんだが一緒に行かないか」と言った。「横光利一さん!」その頃、文学に関係する若者にとって、これほど輝かしい名前はなかった。小林秀雄による評価、また「改造社」の雑誌「文芸」の扉に描かれた佐野繁次郎のデッサンの書斎に〇する長髪の後ろ姿が示す文学者を象徴する風貌。神秘的な〇〇が〇〇するその姿勢。それらはそのまま人々に、(電車の音でしばらく聞こえず) 小さな応接間に通されると、間もなくあの写真で見る風貌そのままの人がわたしたちの前に座り、わたしの緊張は高まった。わたしは映画監督伊丹万作の「演技指導そう案」というエッセイの愛読者であるが、その中に「俳優は常に手を内懐かポケットの中に隠したがる。彼らの手を隠し〇〇から引っ張り出せ。でないと折り目正しい演技はなくなって全てが猿芝居になってしまう」というくだりがある。実際人間の手の置き所というのは難しいものである。聴衆に話す時など、卓のない壇上に立とうものなら、手をどうしていいかうろたえてしまう。わたしは文学の神様の前に座って手をどこに置くか迷ってしまう。わたしはどぎまぎした。思わずであろう、いつの間にか両手を胸に締め付けるようにしていた。それは腕組みのようになっていたらしい。話し始めると横光氏の目がふいにわたしの腕をとらえた。そしてすぐ、又、田所の方へと向かった。その視線は、ジロリという下品なものではなく、グサッと刺さったようだった。「しまった。腕組みととられたのではないか」。「無礼者め!」と言われたような気がして、スーッとわたしは腕をほどいて両手を膝の上に乗せて俯いてしまった。そして、その謎めいて神秘的であったであろう話の内容を聞くどころではなく、ひたすら恐縮してしまっていた。
間もなくわたしは関西に帰り、父の工場に勤めていたが、昭和18年、詩集『夜学生』を作ったので、横光利一氏にもお供えをするようなつもりでお贈りした。その横光氏から思いがけなく手紙をもらったのだから、わたしは文字通り飛びあがった。
(手紙文)≪御無沙汰いたしております。お變りございませんか 「夜學生」大變面白く拝見させていただきました。机の傍へ置いておくといつか無くなり、下へ降りてみると、家内が下へ持って降りてこっそり讀んでをり、また上へ持って上がって置くと、いつのまにやら、また下にある、といふような始末で、何だかあなたの夜學生みたいなことになってゐます。この詩集に流れてゐる哀愁は清らかで、羽根が透明、よく見るとこれは君の夕ごころ
さやうなら
菜の花の茎めだたかれ夜學生
杉山平一兄 横光生≫
文面の最後に「菜の花の…」という俳句まで添えてあったその手紙を何度、〇〇したか知れない。わたしはただ一人胸にしまいつづけていた。そのうれしさを伝えようにも仲間や友人は次々戦場へ出て行く大戦争の真っ最中だった。」
初美さんの朗読は素晴らしく、その内容と相俟って、わたしは深く感動した。
さて、この文章、どこかに発表されているのでしょうか?わたし、読んで忘れているのでしょうか?
追記 林さんがこんなブログを過去に書いておられた。
やはり発表されていたのですね。ということで、初美さんが朗読して下さったのは草稿ということで、これを推敲の上、発表されたということなのでしょう。たしかに初美さんが読まれた原稿はまだ整理する余地がある文章だ。