一昨日の街道歩き。
道標があちこちにまだ残っていた。
これは「瓦木村道路」
かなりの部分が土中に埋もれています。まだ残っているだけましか。
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ここは武庫川ほとりの松並墓地。
何なのでしょうか?
多分、大雨かなんかで武庫川が危なくなった時のための詰め所。
しかし当時は、西宮町も中村もここからはかなり遠い。
でも、もし武庫川が決壊するようなことがあれば影響が深刻だったということでしょうか?
文久元年とあります。
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これはもう尼崎。守部スサノオ神社です。
その側面。
「左 門戸厄神 かぶと山」と。昔は尼崎からも甲山の神呪寺方面への参詣者が非常に多かったのだということです。
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ここは守部、泥付地蔵。
その香台。これが道標!
左側に「右 にしのみや」とあります。右側に彫られている文字、よく見えませんが「か婦と山」だそうです。「かぶとやま」と読むそうで。
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ここは塚口城跡の清水町の土塁そば。
自然石の情緒のある道標が。
「左 西宮 右 昆陽中(山)」とあります。
この石の右側面には「左 大坂」と。
かなり埋もれてしまっていますが。これも残っているだけましか。
こんな風に街道の分岐点に昔は道標が建ってたんですね。
今ならどこでもカーナビで行けますけどね。
それにしても尼崎領内に西宮への案内が多い。西宮は重要な町だったのでしょう。