昨夜の将棋子ども教室だが、新しい子が二人新入会。
一人は用海小学校の子。
もう一人はこの前、南甲子園で教えた子。新二年生だがなかなか強いのだ。うちのkohなどより余程強い。そしてちょっと生意気。こんな子はすぐに強くなるだろうな。マナーもボチボチ教えて行こう。
今朝もまた新しい人から電話で問い合わせがあり、次回やって来るそう。
また増えだした。
以前は増えすぎて困ったのだった。
こんな写真があります。
この頃、忘年会をしてやっていました。
この日は淡路仁茂九段が顔を出して下さったのだった。
人数が増えすぎると、中にストレス発散にやって来る子があったりして、人に迷惑をかけ困ったのでした。それで宿題を出すなど少々厳しくして会員を減らしたのでした。ところが薬が効きすぎて最近は10人を切るほどになっていた。
ということで、増えても20人までが限度です。その調整が難しい。
今朝の内藤國男九段の随想「つれづれなるままに」は良かった。
「最後のロマン」と題して書かれている、プロ棋士とコンピューターソフトとの対決の話である。
さすがにプロ棋士の目線からの文章と感心させられた。
ただ、わたしが思うに、プロ棋士とコンピューターについては悲観的ではありません。
人間が機械に負けるのは当然のことと思っています。
いくら強い横綱でもよくできたロボットには勝てないのと一緒で、頭脳の機械に生身の人間が勝てるわけがないと。
だから相撲がおもしろくないというのは見当違い。
将棋は今、そのすれ違いの丁度渦中にあるということで話題になっているということでしょう。
オリンピックだったかな?ある陸上競技の種目で障害者の足(機械)の方が健常者より早かったということが話題になったことがありました。それと同じことが頭脳の一部でも起こったということなのでしょう。「羽生さんが(機械に)負けたら将棋やめますわ」というファンの言葉は思慮が浅いですね。その気持ちは解りますが。
それにしても今日の内藤さんの随想は良かった。いつもこんなのを書いて下さればいいのに。時に社会ネタを書かれるのはいただけません。スミマセン内藤さん、また仲良くして下さい。
昨日の季村さんと赤坂さんの往復書簡の記事の続き。
今日は赤坂さんから季村さん宛のもの。
やはり重い言葉が連なっている。
その中で、島尾敏雄についての記述が大半を占めている。
そして最後に、
― とても唐突ですが、震災後、日をおかずに復活した民俗芸能の鹿踊りの供養塔のなかに、「生きとし生けるものすべての命のために」という言葉を見つけたときの衝撃は、忘れがたいものです。それはきっと、東北が、そして島尾が身にまとった恥じらい・寂しさ・暗さといったものに、深いところで繋がっています。東北の精神史を抱いて、東北はいま、復興へのはるかな道行きを辿りはじめています。お元気で。赤坂憲雄 ―
とあります。
この中の「恥じらい」という言葉、今の政治家さんには一切ありません。いや政治家というものは恥じらいなんて心があればやっていけないものでしょう。
ここに出てくる島尾敏雄ですが、少し前の「KOBECCO」に書きました。http://blog.goo.ne.jp/coffeecup0816/d/20140110
お読み頂ければ幸いです。