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喫茶 輪

コーヒーカップの耳

陶板の詩碑

2015-03-14 11:52:29 | 杉山平一先生
先日、杉山邸を訪問した時に、
「これです」と初美さんがお見せ下さったのが、杉山先生の陶板詩。
目立たない地味な陶板です。杉山先生の詩碑にするのにはピッタリの。大きくて派手なのよりよほど品があっていいです。


わたしに悔いが一つある。
もう20年も昔のことになる。
宮崎翁が、香川県白鳥町での「桑島玄二詩碑除幕式」にご一緒しませんかとお誘い下さったことがある。
しかしわたしはその頃、生活に追われていて行けなかった。なんとしても行っておけば良かったと後で悔いたのでした。
その時、パンフレットを戴いていた。
杉山先生と宮崎先生が講演されたのだ。それのテープ起こしの冊子も後に頂いた。杉山先生の講演内容が素晴らしいです。

パンフレットの写真が桑島さんの詩碑だが、これはモノクロ。
しかし、後に『柵』という詩誌の表紙にカラー写真が載ったことがある。今いくら探しても見つからない。どこかにはあるはずなのだが。
で、その陶板の詩碑だが、この時これを見た杉山先生が「これはいいですねえ!」と随分感心しておられたと宮崎先生からお聞きしました。そして宮崎先生は、杉山先生に、杉山先生の詩を刻した陶板をプレゼントされたとお聞きしていた。いつでも詩碑が建てられるようにと。

それが写真の陶板「夜更けの坂」です。
そして、その原稿をわたし宮崎翁から託されていて店に飾っています。



どこか、出来れば芦屋の天神さん(芦屋神社)にでも建立されたらいいのですがね。

一応、こんなのがあると発信しておきます。

もう一点紹介します。除幕式のパンフレットの中に記載されている、協力された人の芳名録など。どうやらこの詩碑建立には宮崎翁が尽力されたような気がします。ご自分では決して口にされないが。翁、この頃はまだまだ力をお持ちだったのだ。

詩碑を建立するということは大変なのですね。
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『低く翔べ』

2015-03-13 08:04:53 | 杉山平一先生
先日、杉山邸からお借りして来た一冊。

『低く翔べ』(リクルート出版・昭和62年)という随筆集。
これには神戸新聞などに発表された随筆がたくさん載っている。
読み始めると面白くて仕方ない。自分一人で楽しむのが惜しくて、いくつかは台所にいる家内に読んで聞かせてやったりした。
「あとがき」の一部を紹介します。
≪読み返して見ると、なぜか、女性の悪口を書いたものが多く、私はやはり女性好きなのかと反省したり、大本営発表を擁護したりする保守反動のそしりをまねきかねない言説まで、まことに矛盾に充ちた言説が並んでいる。≫
どうでしょう、読んでみたくなりませんか?
しかしこの本にたくさんの付箋が付いていました。

なんなのか?と思っていたのですが、その頁には誤植があったのでした。数えてみると16,7カ所もありました。
中には同じページに二カ所も。いや同じ人名に二文字の誤植があったり。奥付けにも。
先生の頭を抱える様子が目に見えます。多分、著者本人の校正がなかったのでしょうね。みんな任せておられたのでしょう。
それにしても担当者の教養レベルが疑われます。
「ションハウエル」が「ションハウエル」になっていたり、「宰治」が「宰治」になっていたり、「播」が「播麿」になっているなど考えられないミスがあります。
お借りしたこの本は初版ですが、後に再版は出たのでしょうか?
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「桜」

2015-03-12 13:46:36 | 杉山平一先生
先日、杉山先生のお宅を訪問した時のこと。
部屋に版画が飾ってありました。

「桜」という杉山先生の詩を高橋幸子さんが版画にしたものです。
2008年に「杉山平一の詩と高橋幸子の木版画交響展」というのが山梨県の清里で開かれました。わたしは行ってないのですが、「八ヶ岳・自在舎」を営んでおられる桜井節さん(ぜぴゅろす主宰者)のお力で開かれたもののようです。
その時に出展されたうちの一点です。
実はその催しのことわたしも何かで知り、これと同じ版画を購入しました。
今も店に飾っています。わたしのは2/100となってます。


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尼崎精工

2015-02-25 14:57:22 | 杉山平一先生
ある人がこんな資料を提供して下さった。

「地域史研究」-尼崎市立地域研究史料館紀要ー
昭和61年3月号。
この中に「尼中生の戦中戦後日記」-戦中の部ーというのがあり。これがスゴイ。
岡本忍という人の日記だが、よくぞ公開されたものと思う。
中には青春の恥ずかしい心情なども含まれていて、公開には躊躇があったと思われる。
しかし、それも含めて戦中の貴重な記録だ。
そして、興味深いのは、この岡本氏が中学4年の時に勤労動員されたところが「尼崎精工」だったという。
杉山平一先生のお父さんの会社で、杉山先生は専務さんだった。
戦時中は軍需工場になっていたのだ。
その工場での毎日の詳細な日記である。
大洲の女高生も学徒動員された会社だ。

日記の一部、紹介しましょう。

昭和20年7月1日(日)雨
どうも面白くない。本日の作業、機械掃除。今朝新聞に尼崎の十日間で復興した事が載ってゐたさうだ。帰ってから隣のを見して貰ったが、ハッタリもハッタリ、実に驚いた。「工場至る所狭しとばかり埋められた日の丸の旗(たった二本)の下、神風鉢巻をキリリとしめた学徒(俺たちは神風鉢巻なんか一本も貰わん!)」といった工合である。新聞は、前からよく誇大、ありもせぬ事を書きたてる。そんな事をすれば、報道というものの真実性を失ふではないか。(略)


検閲を受けない日記だったから良かったのでは?当局に知られたらただでは済まなかったのでは?

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杉山先生のこと。

2015-02-05 11:43:53 | 杉山平一先生
知人のM岡さんのブログから。
そのまま写させて頂きます。
M岡さん、お許しを。

もう一篇杉山さんの「雑記」を。題して「桜の詩」(『苜蓿第20号』1992年7月20日)。かつて自分が書いた詩の、風物がつぎつぎ失われ、通用しなくなりつつあることを歎いておられる。(『杉山平一全詩集上巻』より)
 まず、
   桜(『夜学生』)

  毎日の仕事の疲れや悲しみから
  救われるやう
  日曜日みんなお花見に行く
  やさしい風は汽車のやうにやつてきて
  みんなの疲れた心を運んでは過ぎる
  みんなが心に握つてゐる桃色の三等切符を
  神様はしづかにお切りになる
  ごらん はらはらと花びらが散る

≪桜の花びらが散るのを、国鉄の桃色の三等切符が改札で花びら型に切られて散るのになぞらえた詩である≫が、≪大戦後、国鉄の二等一等が廃止されて青や白の切符がなくなったときは、心配したが、幸い桃色の三等切符だけは残って、ホッとした。≫しかし、≪平成四年になって、JRも自動改札機にふみきりそのため、改札をやめはじめた。あのなつかしパチパチの音が消え、ピンクの紙の花びらもなくなって、ゴム印を捺すばかりになった。≫
≪あのカチカチパチパチを愛惜するのではなく、私の詩が通用しなくなって行くのが、さびしいのである。≫として、次の詩。

   片道切符(『ぜぴゅろす』)
  
  私は切符を手にした
  春だった
  日付けは刻印され
  改札はパチンと
  心にまで深く穴をあけた
  もう戻れない

  ホームにベルが鳴りひびく
  再び帰れぬと心にきめて
  その日 私の十八才は出発した

 また、≪ダルマストーブに、石炭がくすぶって燃えないのに、いらいらした覚えのない人には通用しなくなっている。≫として次の詩が、

   ストーブ(『夜学生』)
  
  行く道は次々にふさがり
  僕の胸は暗い石炭で一杯だ

  けれども燃えるぞ
  今に声をあげて燃えるぞ

 さらに、こちらも通用しなくならないか心配である。

   黒板(『夜学生』)

   自分は眼を閉じる まつ暗なその神の黒板
  を前にして、自分は熱心な生徒でありたい
  何ごとも識り分けること尠く 生きることに
  対し またも自分は質問の手をあげる

≪一時は黒板が緑色になって心配したが、いまは白板の普及せざらんことを祈るばかりである。≫
 そういえば≪青きスパークも消えてしまった。≫
   市電(『声を限りに』)

  待ちに待ちし市電
  いまし来れり
  ダイヤの灯ともし
  ポールには青きスパーク
  つり手もおどるごとくゆれ
  待ちに待ちし市電
  町角をカーブし来れり
  
 杉山さんの結びは、≪時流に乗らないつもりの私のような社会音痴の人間の詩もまた通用しなくなるのを悟らされている。≫となっている。



ということですが、ここに出てくる「桜」の詩、わたしの店に版画を飾っています。

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『半どん』163号

2015-01-19 19:07:20 | 杉山平一先生
鈴木漠さんから『半どん』163号をお贈り頂いた。

いい読みものが載っている。
先ず地曳彦兵衛なる人のエッセイが面白い。これはどうやら宮崎翁のペンネーム。
鈴木漠さんの「連句茶話」は他に載せられたのからの転載のようで読んだ覚えが。
しばらくお目にかかっていない伊勢田史郎さんの文章にも出会えた。
将棋小説「どんでん銀蔵」を書いておられる岡田悦夫さんは以前にも神戸新聞で将棋小説を読ませて頂いたことがあり、興味深く読ませて頂いた。
鳥巣郁美さんのページも興味深く読ませて頂きました。
そして、最もうれしかったのは、涸沢純平さんが書かれた「杉山さんの時間」だった。




鈴木さん、ありがとうございました。
コメント (2)
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小関智弘さん

2015-01-04 09:42:55 | 杉山平一先生
今朝の神戸新聞「正平調」に小関智弘さんのことが少し。
神戸の竹中大工道具館の話の締めに。

この話、読み覚えがあると思い、たくさんの小関さんの本の中から探し出しました。
この本です。 『職人ことばの「技と粋」』(小関智弘・東京書籍)。
このページにあります。 二段階クリックでお読みください。感動的な文章です。

小関さんをわたしが知ったのは、昔わたしが私家版の『工場風景』という詩集を作った時に杉山平一先生が小関さんにも送ってあげて下さいと住所をお教え下さったのでした。もう17年も昔のことです。それ以来、小関さんはお付き合い下さっていて、今年も年賀状を頂きました。人気作家ではありますが、ちっとも偉そうになさらない誠実なお人柄の人です。
あ、この本には小関さんの署名もありました。

二年ほど前に西宮へ講演に来られた時に初めてお会いして署名して頂いたものだと思います。
もう一つ忘れてならないこと。
拙詩集『コーヒーカップの耳』を朝日新聞の全国版読書欄で紹介して下さったのも小関さんでした。小関さん、ありがとうございました。今後とものご活躍をお祈りいたします。

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カテゴリー、「杉山平一先生」

2014-12-30 11:29:18 | 杉山平一先生
わたしのブログのカテゴリー欄。
そこに「杉山平一先生」というのを作ってある。
さっき、ふと見たら記事数が100になっていた。
いつも見ることはないのに偶然見たら100になっていて驚いた。
ということでこれは101回目の記事。
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「岡目八目」

2014-12-30 10:41:01 | 杉山平一先生
「風媒花」という詩誌に同人として参加していた。
岩川昌子さんという神戸長田の詩人が編集発行していた。
彼女は優れた詩を書く人だが、一冊の詩集も出してはいない。
同人仲間の詩集を手づくりで何冊か出した。自分のものは出さずにである。
わたしの口頭詩集二冊も彼女の手になる。
「詩集を持たない詩人がいてもいいでしょ?」と彼女は言っていた。
さて「風媒花」。
その39号(2001年5月発行)に杉山平一先生から随想を寄稿して頂いている。
無名の者が集まる同人誌である。よもや杉山先生から原稿を寄せて頂けるとは思っていなかった。わずかの稿料しかお出しできなかったと思う。岩川さんの手柄である。
その随想。「岡目八目」。杉山先生らしい視線の文。


これはほかには出ていないものです。
杉山先生の新しい随想集、出ないかなあ。集めれば、量はたっぷりあると思うのだが。ノアさんお願いします。
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芦屋神社(芦屋天神社)

2014-12-28 13:39:11 | 杉山平一先生
『KOBECCO』1月号が届きました。

表紙に注目。
芦屋神社です。芦屋天神社でもあります。
昔、杉山平一先生がご近所にお住まいで、ご子息の病治癒を願って毎夜日参された神社。そのことは先生、詳しく書かれている。
その時のことと関連がある詩がこれうちにある生原稿です。
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また杉山先生の随想が。

2014-12-27 16:04:12 | 杉山平一先生
年末の掃除をボチボチ始めているのだが、休憩時間に古いものを触っていたら、また一枚見つかりました。杉山平一先生の随想の切り抜き。
 二段階クリックで鮮明に読めます。
1988年だから、もう26年も前のものだ。いかにも杉山先生の文章ですね。
でもね、神戸新聞に不定期に掲載された杉山先生の随想はみな面白いのですが、本にはなってないですよね。ノアの涸沢さん、考えて下さいませんかねえ。
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文学学校で

2014-12-26 13:10:45 | 杉山平一先生
大阪文学学校で、杉山平一先生のことを調べて書いておられるというN村さんが、三木の山崎さんとご来店。
大分研究されてる様子だ。
このN村さん、元々技術屋さん。ということで杉山先生に通じる所も。
お話を聞いていると、杉山先生のご尊父のことにも興味をお持ちで、話が新鮮だ。
文学とはまったく違った角度からのお話は面白かった。いずれ文章に残されることになる。それを読ませて頂くのが楽しみだ。
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杉山平一先生の詩碑

2014-12-08 08:34:31 | 杉山平一先生
昨日行った、播磨中央公園のいしぶみの丘。
先ず、公園全体の地図。

この左上方にあります。
坂本遼展をしている図書館は右下の赤い囲みの所。

「いしぶみの丘」の案内地図。


杉山先生の詩碑は⑱の所ですので、地図の左端です。
 
大きく立派なものでした。
二つの詩が彫られています。
右が「風鈴」

左が「木ねぢ」 どちらも好きな詩です。


斜めからの全体像。


いい詩碑でした。
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杉山先生からのハガキ

2014-11-28 10:53:48 | 杉山平一先生
書庫の奥の古いダンボール箱の中の小さな箱の中に5冊のハガキホルダーが入っていた。
見ると10年以上も前のもの。それぞれに50枚~100枚ほど入っている。
懐かしくパラパラと見ていたら結構有名人からのものもある。
そして、杉山平一先生からのものも多数。

大抵がわたしが差し上げた書状への返信のものだが、義理堅くお返事を頂いていたのだ。
さぞお忙しかっただろうに、今になって申しわけなく…。
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織田作之助の写真

2014-11-24 08:11:08 | 杉山平一先生
先日、宝塚図書館の「杉山平一生誕100年記念展」で見せて頂いた、杉山先生宛の織田作の手紙
ほかにもハガキなど何点か出ていたが、文士らしい個性的な字だ。
その織田作のことを書いたページが『文士の時代』(林忠彦)にある。
 例によってクリック2回でどうぞ。
酒場で喀血する織田を見て林は「この作家は、あんまり長くないから撮っておかなければと思いました」と。それで頼んで撮らせてもらったが、その後まもなく亡くなったと。林が後から知った話として、織田には昭子さんという愛人がいて、喀血が喉に詰まって苦しそうにすると彼女は口移しに吸いだした、と。そしてこう書く「後から昭子さんを通じて織田作之助という人物をいっそう知ったように思います。織田作之助という作家は僕の仕事の上でも本当に忘れられない存在なんです。」
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