日本の報道や政府・自治体・東電などの発表を信じず、海外メディアの報道を信じる傾向の一団がいる。こういう人たちはネットでも積極性が高いこともありかなり声が大きい。
結論から言うと、こういう人たちは陰謀説とか都市伝説のような話に簡単に絡めとられてしまう人たちだろう。
政府や東電はなにか隠しており日本のマスコミもグルだ、ということでネットと海外マスコミだけを信じるわけだよねえ。でもね、情報ソースが結構危ういのは読んでいるとすぐわかる。薄い情報と強い断定口調であればそっちを信じるというかなり民度の低い状態である。感情の沸点が低いから理性的に分析が整う前にすぐに感情的に言葉をぶつけてしまうんだよねえ。今回の件で言えばいかに米ソ及び中仏が大気を、海を汚染したのかということ、その程度がどのくらいだったか、ということに全く頭が行かない。大気中核実験500発の汚染はそりゃあ半端じゃないよねえ。そういうのもちゃんと見てから今の程度を見てほしいね。海外マスコミはそりゃそんなことは言わないよ。自国のほうがよっぽどひどいことをしたなんてね。
感情の沸点を高めに保ち、情報ソースの信頼性を吟味しつつ知識を深めてゆく。またいちいち白黒はっきりつけない必要もある。微妙な判断留保を重ねる。それでようやく「当面の結論」にたどり着く。こうした過程をとらない情報収集なり思考は単なるゴミである。ゴミは本来捨てるか自分の家にしまうかしておこう。公共の場所で撒き散らしてはいけない。
念のため言っとくけど、僕は政府や東電を頭から信じろって行ってるわけじゃあないよ。言いたいのは、彼らは隠蔽的工作・世論操縦が出来るほど意思・行動が統一されているわけでもないしそれをやり遂げるほど有能でもない。ただ混乱して、その混乱をそのまま外に見せて不細工なことになっているということだ。隠蔽があったのではなく素の情報を適切な形でコミュニケートできずごたごたしている。 でもね、これって大事なことだと思うよ。これだけ素の混乱が表に出るってコトは隠したり操作したりという意思が働いていない(あるいは成功していない)ということだからね。 民主主義万歳、でいいんじゃなかろうか。
さらに念のため言っておくけど、政府や官僚の組織的隠蔽の類は一般論として存在しないわけじゃあない。例えば、検察のいい加減さとか冤罪の量産のされ方を見ると、どうも警察・検察・裁判所・マスコミがグルになっているとしか思われない。そこには長い間に形成・強化された習俗のようなものがあり、その強固さは容易に他者の攻撃を許さない。そうした習俗の形成を許す批判の欠如も大きい。そうした「壁」への攻撃としてはマスコミに頼らないネット世論や場合によっては海外マスコミが重要な役割を果たす。
しかし今回は違う。そんな習俗の形成を許すほどおっとりした事態ではないし、批判の空白があったわけではない。
結論から言うと、こういう人たちは陰謀説とか都市伝説のような話に簡単に絡めとられてしまう人たちだろう。
政府や東電はなにか隠しており日本のマスコミもグルだ、ということでネットと海外マスコミだけを信じるわけだよねえ。でもね、情報ソースが結構危ういのは読んでいるとすぐわかる。薄い情報と強い断定口調であればそっちを信じるというかなり民度の低い状態である。感情の沸点が低いから理性的に分析が整う前にすぐに感情的に言葉をぶつけてしまうんだよねえ。今回の件で言えばいかに米ソ及び中仏が大気を、海を汚染したのかということ、その程度がどのくらいだったか、ということに全く頭が行かない。大気中核実験500発の汚染はそりゃあ半端じゃないよねえ。そういうのもちゃんと見てから今の程度を見てほしいね。海外マスコミはそりゃそんなことは言わないよ。自国のほうがよっぽどひどいことをしたなんてね。
感情の沸点を高めに保ち、情報ソースの信頼性を吟味しつつ知識を深めてゆく。またいちいち白黒はっきりつけない必要もある。微妙な判断留保を重ねる。それでようやく「当面の結論」にたどり着く。こうした過程をとらない情報収集なり思考は単なるゴミである。ゴミは本来捨てるか自分の家にしまうかしておこう。公共の場所で撒き散らしてはいけない。
念のため言っとくけど、僕は政府や東電を頭から信じろって行ってるわけじゃあないよ。言いたいのは、彼らは隠蔽的工作・世論操縦が出来るほど意思・行動が統一されているわけでもないしそれをやり遂げるほど有能でもない。ただ混乱して、その混乱をそのまま外に見せて不細工なことになっているということだ。隠蔽があったのではなく素の情報を適切な形でコミュニケートできずごたごたしている。 でもね、これって大事なことだと思うよ。これだけ素の混乱が表に出るってコトは隠したり操作したりという意思が働いていない(あるいは成功していない)ということだからね。 民主主義万歳、でいいんじゃなかろうか。
さらに念のため言っておくけど、政府や官僚の組織的隠蔽の類は一般論として存在しないわけじゃあない。例えば、検察のいい加減さとか冤罪の量産のされ方を見ると、どうも警察・検察・裁判所・マスコミがグルになっているとしか思われない。そこには長い間に形成・強化された習俗のようなものがあり、その強固さは容易に他者の攻撃を許さない。そうした習俗の形成を許す批判の欠如も大きい。そうした「壁」への攻撃としてはマスコミに頼らないネット世論や場合によっては海外マスコミが重要な役割を果たす。
しかし今回は違う。そんな習俗の形成を許すほどおっとりした事態ではないし、批判の空白があったわけではない。