(続き)
9章。戦国を経て天下統一・徳川の世になると、自死はより制度化され、切腹は(詰め腹も含め)武士階級の名誉であり義務であり特権となった。自己規律の権化であり道徳の守護者である武士は、その厳しさの最初の犠牲者として、過ちに対しては苛酷に自らを罰する必要があった。そうしてこそ同輩や他の階級の支持を得たのである。さらに、ポトラッチとも言うべき命の大盤振る舞いもあった。ある藩の姫を藩主の嫁として迎えに来た武士が、姫が病気が重く死ぬかもしれないと聞き、ならばその折には役割をはたさないことになるから切腹しよう、と言ったら、姫を抱える藩は迎えの武士だけに切腹させては恥、と姫への殉死者を用意する(姫が持ち直し実行されず)。と言うお笑いのような一幕もあり。さらに葉隠の引用や四十七士の話も交え江戸の武士の自死のあり方が論じられる。最後は新渡戸の「武士道」で記述されている幕末の滝善三郎の切腹の模様が、明治維新を前にした武士階級自体の自死とともに二重写しで語られる。
10章。近松の浄瑠璃などを題材に男女の悲しい愛と死を語る。近松は現実の事件に取材したものが多く、少なからぬ心中が江戸時代に起きていたことは確かなようだ。また葉隠にもある、武士道を彩る男同士の恋についても語られる。締めは西鶴の好色一代男。3743人の女と725人の男(!)と交わった世之助ももう60歳、欲望も快楽も忘れてしまった。仲間6人とともに好色丸に乗って女護ヶ島(おそらく補蛇落のパロディ)に繰り出す。さわやかで晴れやかな、そして自分自身に忠実で誠実な死出の旅への出発である。
11章。明治維新。西南の役が扱われる。西郷の自死とその政府の扱いに著者は日本文明の高貴さを見る。それは「敗北者を地獄に落とし、忘却の淵に沈めることを許さない。」1889年西郷は名誉回復され、天皇より「正三位」の位を遺贈された。スターリンとトロツキーの例などを引いて著者は「命の犠牲しか求めず、あらゆる献身にそれにふさわしい名誉を与える日本の伝統を、どうして残酷などと呼ぶことができるだろうか」としている。
このあと明治の政治の様子や日露戦争に軽く触れたあと、乃木大将の切腹が大きく取り上げられる。「そこには日本の一伝統が、乃木という一個の人間の意志の形をとって鋭く集中的に表現されているばかりなのだ。・・・・・人間の記憶と言う天空に不動の美しい行為として、それはいつまでも輝いている。」 うん、絶賛だね。
12章。日露戦争のあと、日本で(世論も含めた)国粋主義・軍国主義が暴走、ついに第二次大戦まで行ってしまう場面。自死の伝統がついに民族全体の自死の危機さえ招いた局面である。5・15、2.26をはじめとする昭和の軍人の暴走やテロに対してはもっともなことに著者は批判的である。軍人勅語を読み違えただけで自死するような軍人がいる一方で、犬養首相を殺して自害もせず軽い禁固刑ですむ軍人がいたわけだ。2.26ではこれが悪い先例となる。そもそもやつらは要人暗殺後それを祝して宴会を開いている。「武士道はどこへ行ったのか。」とは著者の嘆きである。鎮圧後自決は21名中二人のみ、残りの19人は自決の機会を与えられつつも行わず、結局うち17人が処刑された。
この後、自殺とも言えるパールハーバーへの攻撃を行い、戦争後半は自己犠牲自体が目的となったような自体に陥る。メディアもこれを見習えと言わんがばかりに玉砕を伝える。ついに特攻隊が登場する。この特攻に関しては「きけわだつみのこえ」などをもとにいかに彼らが理性的でしっかりした人間であるか、また特攻が選び取られた選択であるかが語られる(むしろ軍の公式見解的なうたい文句を言う人間が「きちがい」といわれていた)。
とめられそうになかった民族自殺の歯車は天皇の言葉で止められる。そのあと阿南陸相、大西中将、宇垣中将の自決などが、いずれも立派な死として記述される。杉山大将の場合は奥さんがすごい。動員解除に忙殺され死ぬ機会を逃していた彼に、まだ死なないのかと言ったのは彼女である。大将は早速自決し、彼女はあとを追った。全体に第二次大戦に絡む自死は肯定的に書かれている。
13章は明治から昭和の自死をした文学者の群像。14章は三島由紀夫の自死についての論考である。
こうして歴史を見ると、自死へと向かう、あるいは勝敗を超えた昇華へと向かう民族の傾向があり、それが第二次大戦時にはピークに達していたように思うな。われらの強さ・高貴さの源泉でありまた弱さの源でもあろう。ただ、おそらく著者もそう思っているように楠木兄弟において誇り高き自死、超越としての自死、生の肯定としての自死は完成しているように見えるな。
いい本だ。何とか古本を入手しよう。
9章。戦国を経て天下統一・徳川の世になると、自死はより制度化され、切腹は(詰め腹も含め)武士階級の名誉であり義務であり特権となった。自己規律の権化であり道徳の守護者である武士は、その厳しさの最初の犠牲者として、過ちに対しては苛酷に自らを罰する必要があった。そうしてこそ同輩や他の階級の支持を得たのである。さらに、ポトラッチとも言うべき命の大盤振る舞いもあった。ある藩の姫を藩主の嫁として迎えに来た武士が、姫が病気が重く死ぬかもしれないと聞き、ならばその折には役割をはたさないことになるから切腹しよう、と言ったら、姫を抱える藩は迎えの武士だけに切腹させては恥、と姫への殉死者を用意する(姫が持ち直し実行されず)。と言うお笑いのような一幕もあり。さらに葉隠の引用や四十七士の話も交え江戸の武士の自死のあり方が論じられる。最後は新渡戸の「武士道」で記述されている幕末の滝善三郎の切腹の模様が、明治維新を前にした武士階級自体の自死とともに二重写しで語られる。
10章。近松の浄瑠璃などを題材に男女の悲しい愛と死を語る。近松は現実の事件に取材したものが多く、少なからぬ心中が江戸時代に起きていたことは確かなようだ。また葉隠にもある、武士道を彩る男同士の恋についても語られる。締めは西鶴の好色一代男。3743人の女と725人の男(!)と交わった世之助ももう60歳、欲望も快楽も忘れてしまった。仲間6人とともに好色丸に乗って女護ヶ島(おそらく補蛇落のパロディ)に繰り出す。さわやかで晴れやかな、そして自分自身に忠実で誠実な死出の旅への出発である。
11章。明治維新。西南の役が扱われる。西郷の自死とその政府の扱いに著者は日本文明の高貴さを見る。それは「敗北者を地獄に落とし、忘却の淵に沈めることを許さない。」1889年西郷は名誉回復され、天皇より「正三位」の位を遺贈された。スターリンとトロツキーの例などを引いて著者は「命の犠牲しか求めず、あらゆる献身にそれにふさわしい名誉を与える日本の伝統を、どうして残酷などと呼ぶことができるだろうか」としている。
このあと明治の政治の様子や日露戦争に軽く触れたあと、乃木大将の切腹が大きく取り上げられる。「そこには日本の一伝統が、乃木という一個の人間の意志の形をとって鋭く集中的に表現されているばかりなのだ。・・・・・人間の記憶と言う天空に不動の美しい行為として、それはいつまでも輝いている。」 うん、絶賛だね。
12章。日露戦争のあと、日本で(世論も含めた)国粋主義・軍国主義が暴走、ついに第二次大戦まで行ってしまう場面。自死の伝統がついに民族全体の自死の危機さえ招いた局面である。5・15、2.26をはじめとする昭和の軍人の暴走やテロに対してはもっともなことに著者は批判的である。軍人勅語を読み違えただけで自死するような軍人がいる一方で、犬養首相を殺して自害もせず軽い禁固刑ですむ軍人がいたわけだ。2.26ではこれが悪い先例となる。そもそもやつらは要人暗殺後それを祝して宴会を開いている。「武士道はどこへ行ったのか。」とは著者の嘆きである。鎮圧後自決は21名中二人のみ、残りの19人は自決の機会を与えられつつも行わず、結局うち17人が処刑された。
この後、自殺とも言えるパールハーバーへの攻撃を行い、戦争後半は自己犠牲自体が目的となったような自体に陥る。メディアもこれを見習えと言わんがばかりに玉砕を伝える。ついに特攻隊が登場する。この特攻に関しては「きけわだつみのこえ」などをもとにいかに彼らが理性的でしっかりした人間であるか、また特攻が選び取られた選択であるかが語られる(むしろ軍の公式見解的なうたい文句を言う人間が「きちがい」といわれていた)。
とめられそうになかった民族自殺の歯車は天皇の言葉で止められる。そのあと阿南陸相、大西中将、宇垣中将の自決などが、いずれも立派な死として記述される。杉山大将の場合は奥さんがすごい。動員解除に忙殺され死ぬ機会を逃していた彼に、まだ死なないのかと言ったのは彼女である。大将は早速自決し、彼女はあとを追った。全体に第二次大戦に絡む自死は肯定的に書かれている。
13章は明治から昭和の自死をした文学者の群像。14章は三島由紀夫の自死についての論考である。
こうして歴史を見ると、自死へと向かう、あるいは勝敗を超えた昇華へと向かう民族の傾向があり、それが第二次大戦時にはピークに達していたように思うな。われらの強さ・高貴さの源泉でありまた弱さの源でもあろう。ただ、おそらく著者もそう思っているように楠木兄弟において誇り高き自死、超越としての自死、生の肯定としての自死は完成しているように見えるな。
いい本だ。何とか古本を入手しよう。