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「50年前の憲法大論争」保坂正康監修

2007-05-12 08:06:30 | 書評
昭和31年3月16日の「第二十四回国会 衆議院内閣委員会公聴会」の記録。
公述人3人とその主張の大雑把なまとめは下記。

神川彦松:改憲派。日本国憲法はマッカーサー憲法であり押し付けられたものだ。

中村哲:護憲派。よい憲法であり手続き的にも正当性がある。

戒能通孝:手続き論派。憲法調査会を内閣に置くのはおかしい。内閣には憲法への批判権はない。改正は国民でありその代表の国会の純粋な発議によるべし。

保坂は低く見ていたが僕は戒能氏の手続き論は重要だと思う。それは憲法の正当性判断においても言えることだ。

技術的手続き論とは些か違うかもしれないが、そもそも占領下で可決された憲法はいかによいモノであれ正当性には大いに疑義がある。そういう意味からすると現在の改憲・護憲論議は2段階が必要なのだと思う。まずは決をとることに決めるかどうか、ということ。外交的配慮も必要だからむつかしい点はあるが、ともあれ占領下の決定、ということを不当な出自と見るかどうかを決める必要がある。
不当な出自、ということであれば、現行憲法維持も含めた選択肢をいくつかまとめて決をとる、ということだ。この発想は戒能氏の論議に触発されたものである。内容の良しあしと手続きの正当・不当は別物である。

さて、質問者には石橋とか飛鳥田とか、絶滅種全盛期の人々がいたりして面白かった。なかでも辻正信がいたのにはおどろいた。ろくでもないやつ、と思っていたが中村公述人の戦中と戦後の主張の矛盾を丁寧に突いて、その時点の権力におもねる中村のあり方を浮き彫りにしていた。なかなか効果のある論議である。

僕の感想からすると、中村は変節漢だし神川は少し入り込み過ぎてやや思い込みが強すぎる。碩学、といってもたいしたことはないんだなあ、という気がした。憲法問題というきわめて政治的なエリアで学問をやっているとこの程度のことにしかならないのかなあ。