御託専科

時評、書評、そしてちょっとだけビジネス

蓄積という邪魔者

2005-11-01 16:54:35 | 時評・論評
昔、坊やだったころ、社会主義は(まだ途中段階なので)「能力に応じて働き、能力に応じて受け取る」が、その先の共産主義は「能力に応じて働き必要に応じて受け取る」社会だ、と聞かされたことがある。その一方で「働かざるもの食うべからず」は社会主義のテーゼの一つだったかな。

それで考えること2つ。まず一つ目は、「働かざるもの食うべからず」とはまたえらくきついいい方だな、と感じるが、ふと思い出すとこれは資本家階級に対する攻撃だったんだな。それに、ここでいう「働く」とは多分にきつい肉体労働をさしていたんだろうな。世の中は資本家階級の完全勝利みたいなことになったが、そうはいっても皆がある種資本家階級入りしたとも言えるわけで、社会主義者の夢は実現したのかもしれない。少なくとも資本家階級=有閑階級ではまったくないし、「働かざるもの食うべからず」には大部分の資本家が大賛成だろうね。マルクスの夢はかくて実現せり。ルサンチマンを晴らせる形じゃなくて残念でした。ルサンチマン自体もなくなったんだろうね。そういえば日本では演歌がマイナーになってしまった。

もうひとつは税と政府支出。やっぱりこれは共産主義の装置だな。大なり小なり累進性のある税制と「必要に応じた」政府支出の組み合わせをするとこれは「能力に応じて働き、必要に応じて受け取る」形になるよね。何も貧者への再配分ばかりを言っているわけじゃない。明らかなハンディを持った人たちへの福祉、老人介護に加え、壊れそうな橋とかね、ちゃんとやることはあるんだよね。余計な事をしなければ政府の再配分効果は倫理的には正しい。
それがなかなか効率よくまた果断にできないのは、結局蓄積が出来ちゃったらいいことがある、ようなきがする、ってのが問題なんだよな。よく稲作で蓄積ができるようになると階級が発生した、見たいなことがいわれ、その通りだと思うんだけど、それだけじゃなくて遺産を残すとかそういう時間性のある蓄積が人間の目標になりうるから問題なんだよね。相続税が100%だとか、親から遺産をもらったやつは徹底的に軽蔑されるとか、そんな社会なら金持ちから税金をかなりとっても文句も出ないよね。まさに当人の生活の必要に応じる分があればいいんだから。どんな贅沢をしたって知れてる。また支出側でも、当初目的あって作った機関が目的が消滅したあとも続くって事はよくあるが、これも人を介した時間性の蓄積の一種じゃないかな。組織は永遠なり、だ。
どこかで時間性の蓄積をゼロクリアする儀式が必要なのかもね。10年に一度それまでの記録をまっさらにして財産も残りがあったら再配分してしまう祭りをするとかね。そうすれば各10年は次のゼロクリアまでのひとつの「浮世」だから、もちろん蕩尽も出るだろうが無駄な蓄積もないわけで。人生の踏ん切りがつかないから金は溜めたくなるし組織も残したくなる。もちろんひとりや一部の人だけでそれをやると競争条件が厳しくなる(ようなきがする)からね、みんないっせいにやろうってわけだ。10年ごとの擬似的な死と再生。なんだか楽しそうだな。
やはり共産主義的なユートピアの夢はどこかでぶり返すだろうな。それは原始共産制と同様に、だれにも蓄積のない中での羨望と嫉妬の不在が前提条件なんじゃないかな。個性・能力差を消さず共産化するのはそれしかなかろう。