御託専科

時評、書評、そしてちょっとだけビジネス

仕事と思想 あるいは商売と思索

2005-02-21 23:41:15 | 時評・論評
昔は会社の偉い人には何か思想があったりする印象があった。たとえばこの僕だって、もし日本の会社に残っていれば何がしかの思想のある人物に思われていたに違いない。だって方法序説や中世の秋を読んでる同年代なんていないぞ、オホン。そんなんで盆栽の趣味を競うがごとく鴎外の研究だのなんだのしている人たちがいたなあ。
 もしかするとそれらの人たちはたいしたものだったのかもしれない。でもね、時代は変わっちゃいましたね。そんなことやってるからってどうしたってこった。八百屋に学問はいらねえ!ってのとおんなじで、商売人に教養はいらねえや。人当たりのよさ、性格の強さ、一応読み書きそろばんができる知性ぐらいありゃいいんじゃないかな。あとは運とやる気と根気。
 結局は一時期の、平岩外四が「哲人経営者」なんていわれた時期の経済界は、趣旨をはきちがえたサロンだったんだね。思い上がっちゃいけなかったんだよね。上司におもねる人間が偉くなるのと同じぐらい、あるいはそれ以上に教養ある人間が偉くなるのはいけないよね。みんな教養を磨くようになるから。そりゃ勝てなくなるわ。商売なんてそんな高級なサロンの微妙な勝敗じゃないんだから。ま、ビジネスがサロン内の出来事だった業種であり時期であったなら教養も商売に役立ったかもしれませんがね。
 何がいいたいかというと、ビジネスと教養は相互に独立であるということ。無関係なんだよな。だからあきらめましょう。正義がかつとか知性がないとだめとか思うのは。商売には商売のルールがある。あったりまえだけどね。