チョイさんの沖縄日記

辺野古や高江の問題等に関する日々の備忘録
 

県庁での闘い(2日目)、評価書提出を阻止

2011年12月27日 | 沖縄日記・辺野古

 (朝7時半、県庁前で簡単な集会を持ち、今日1日の方針を確認する)

 27日(火)、防衛局の辺野古アセス評価書の提出を阻止する行動は2日目を迎えた。今日も、午前7時すぎに沖縄県庁に行った。

 昨日、環境生活部の部屋の前に大勢が座り込んだことから、評価書は郵送に代わったという報道がされていた。そこで、今日は、県庁の各門で、宅配業者や郵便局の車を停め、運転手さんの協力を求めて、防衛局からの荷物がないかどうか確認する作業が行われた。

 今日、県庁に集まった市民らは約300人。そして、山内、照屋、糸数さんら国会議員と、多くの県会議員が立ち会ってくれた。

 (次々とやってくる宅配業者の車を停め、運転手の協力を得て、荷物を確認する)

 (「不審な積荷が降ろさた」という情報に、皆がどっとかけつけた。単なる文具と分り、皆、ほっとする)

 午前11時15分、運送業者の車がやってきた。聞くと、内容は分らないが、防衛局からの荷物だという。中を覗くと、ダンボール箱が10数個入っている。「悪いが、この車は入ってもらうわけにはいきません」と伝えると、運転手らは、携帯電話でどこかと連絡をとっていたが、すぐに引き返していった。

 ところが、この車は15分ほどして、また戻ってきた。すぐに停めるが、業者らは、「ここでじっとするよう言われている」というだけで、戻ろうともしない。県の管財課長が、業者の携帯電話を通じて防衛局員と話すと、積荷はやはり評価書ということが判明した。管財課長は、「市民らに阻止されて入ることは困難。このままだと大きい事故が起こるかもしれないので、業者に戻るよう指示してください。」と防衛局の職員を説得する。 

 30分ほどして、防衛局から戻るよう指示があったのか、この車は引き返していった。皆から、大きな拍手が起こる。

 その後も、違う車で再度やってくるかもしれないということで、各門での積荷の確認作業が夕方まで続いた。車がこない時間には、参加者が次々とマイクでアピール。政府の辺野古新基地建設への怒り、そして、アセス評価書提出の不当性を訴える発言が続いた。高江や名護からやってきた子どもたちの、かわいい声のアピールに、朝から緊張が続いていた参加者からも笑い声が湧きあがった。

 また、ここは以前、立法院の建物があったところからか、年配の参加者たちからは、1967年の教公2法阻止闘争の思い出が話された。2万人が立法院の建物を取り囲み、警備の警察官らを逆にごぼう抜きして立法院を占拠、教公2法を廃案に追い込んだ沖縄の歴史に残る闘いだ。皆が、評価書阻止の行動の中で、昔の沖縄の輝かしい闘いの歴史を思い出しているのだ。

       (県庁前にある立法院跡の碑)

 午後5時15分、この日の行動を終える。今夜に運び込まれるかもしれないという危惧はあったが、県と話し合った結果、時間外には受け取らないという県の方針が確認されていたので、夜の監視体制はとらず、また明日の早朝から行動を起そうということで解散した。

  それにしても、防衛局は、評価書という重要なものを自分たちで持って来ず、民間の宅配業者にまかせてしまうというのはあまりにひどい。「誠心誠意、沖縄の人たちに説明する」というのは全くのウソで、ともかくアメリカに約束した手前、なんとか県に届きさえすればいいと考えているのだろう。

 なお、後で分ったのだが、引き返した業者の車は米軍のキャンプ端慶覧内にある沖縄防衛局の端慶覧監督事務所に向かい、評価書を降ろしたという。今日は、評価書は、米軍基地内で保管されているのだ。

 

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