以前、医療事件として大きくマスコミに取り上げられた「病気腎臓移植」、関係病院で移植再開の方針になったようです。そして担当医の一人に、前回問題になった医師がいます。
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【逆風、順風が入り乱れる中、徳洲会が病気腎移植を再開】 2009. 7. 28
宇和島徳洲会病院の万波誠医師らが、癌治療や動脈瘤などのため摘出した腎臓を別の患者に移植していた病気腎移植問題が今なお波紋を残す中で、徳洲会グループが病気腎移植を臨床研究として再開する方針を決めました。移植手術は、東京西徳洲会病院(東京都昭島市)あるいは宇和島徳洲会病院で行われる予定で、万波医師が手術を担当するケースもあるとのことです。
この病気腎移植が問題となった経緯を振り返ってみます。2006年10月に宇和島徳洲会病院の万波医師が執刀した生体腎移植をめぐる臓器売買が発覚したのを機に、同年11月、万波医師らが病気腎移植を行っていたことが表面化。万波医師が所属する徳洲会は調査委員会を設置し、これらの病気腎移植は、適切であり容認できるものだったと結論づけます。
ところが07年3月、厚生労働省調査班は「病気腎移植は不適切」との判断を示しました。足並みをそろえる形で、日本移植学会なども「現時点で妥当性なし」との見解を発表。厚生労働省臓器移植委員会は、同年4月、臓器移植法運用指針を改訂し、臨床研究を除いて病気腎移植を禁止としました。
しかし、2008年の年末に、厚労省が病気腎移植を原則禁止としているのは不当であり、治療を受ける権利を侵害されたとして慢性腎不全の患者ら7人が、日本移植学会の幹部ら5人に総額6050万円の損害賠償などを求めて松山地裁に提訴。原告側は、修復腎移植の医学的妥当性を訴えた上で、被告らの発言で厚生労働省の臓器移植法運用指針が改訂され、修復腎移植が受けられなくなり損害を被ったと主張しました。
一方、被告らは自分たちは医師としての良心に従った行動を取ったに過ぎず、不法行為ではないと反論。この裁判は、現在も係争中です。
今回の裁判の被告は学会の医師らで、国ではありません。しかし、状況によっては国を相手取った訴訟が提起される恐れもあったわけです。これまで病気腎移植を自粛していた徳洲会病院グループが方向転換した背景には、この裁判の存在があると考えるのが妥当でしょう。
病気腎移植を巡っては、2008年に厚労省より、「病気腎移植は通常の保険診療には当たらず、診療報酬の不正請求に当たる」との見解が出されました。宇和島市立病院と宇和島徳洲会病院の保険診療の停止処分並びに万波医師の保険医資格取消処分が検討され、同年2月に処分についての聴聞会が行われる予定でした。しかし、この会についての法的な問題点を徳洲会病院が指摘したことから結局、聴聞会は開催されませんでした。
徳洲会病院グループは以前から、医師会からの反対や行政の許認可判断によって病院開設を阻止されたときは法廷闘争で対抗するなど、法化社会を先取りして拡大を図ってきた医療グループです。これらの行政処分問題についても、法的手段で闘う心づもりはできていると推察されます。
さて、病気腎移植の治験スタートに話を戻します。治験・臨床研究としての病気腎移植に対しても、日本移植学会のトップは、「和田移植のような問題が起きれば移植医療が再び滞ってしまう」と懸念しています。その懸念が杞憂に終わるかどうかは今後、万波医師らが選ぶ個々のケースの医学的妥当性、また生命・医療倫理の適合性、そして実施後のドナーやレシピエントに生じる結果によって左右されるでしょう。今後の病気腎移植が、徳洲会病院と第三者が妥当性をきちんと確認した上で進んでいくことを期待したいと思います。
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万波医師によって病気腎移植をされた患者さんのインタビューを聴いたことがあります。
「透析の苦しみから解放され、先生には本当に感謝しています」と語り、記者が「病気の腎臓ですよ」と念を押すように返しました。「そうですよ」と口調を変えず、静かに語ったのが忘れられません。そのぐらい、透析が苦痛になっていたと想像します。
一方、ドナーとなった方の気持ちはどうでしょうか。
腎臓の病気について全くわからない私が不思議に思ったのは、腎臓が病気だから手術で除去、その腎臓を他人に移植して正常に機能するのか?ということです。自分が腎臓を失い、それが他人の体では機能するとは???
「先生、なんでもっとがんばって治療してくれないの?」なんて気持ちになりそうです。
先日、「脳死は人の死」とすることを明示した臓器移植法改正案(A案)が、参議院本会議で可決・成立しました。これについて、柳田邦男が大変ショックだったと述べています。ドナー家族の葛藤などを鑑みていないというのです。
特に、子供がドナーだった場合、家族は大きなトラウマを被ることがあり、国はその点を自己負担でどうにかしなさいというのみ。
「臓器移植」というと、成功か失敗かに焦点を当てる報道機関は多い。そのような情報を前面に、議員を始め一般市民も興味の方向が規定されてゆく。人間が持つ感情というものが、あまり議論されぬうちに立法化されるのは、誰にとっても不幸なこととなるんじゃないかと思います。
臓器移植を望む患者さんにとっては、どうしても受けたい治療になるのでしょうが、治療例が増えると、様々な立場から色々な問題が出てきますね。
私は臓器移植に関して、未知の部分が多すぎて考えがまとまりません。また、病気や治療を理解するのはかなり難しいので、こういった事件で裁判員になると、とても困ると思います。
興味のなかった問題の裁判員になったらキビシイなあと思う人、<ここをクリックよろしくね~ >
This blog “The salon of breast cancer women authored by Noe:l” is able to read in Japanese:-)
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【逆風、順風が入り乱れる中、徳洲会が病気腎移植を再開】 2009. 7. 28
宇和島徳洲会病院の万波誠医師らが、癌治療や動脈瘤などのため摘出した腎臓を別の患者に移植していた病気腎移植問題が今なお波紋を残す中で、徳洲会グループが病気腎移植を臨床研究として再開する方針を決めました。移植手術は、東京西徳洲会病院(東京都昭島市)あるいは宇和島徳洲会病院で行われる予定で、万波医師が手術を担当するケースもあるとのことです。
この病気腎移植が問題となった経緯を振り返ってみます。2006年10月に宇和島徳洲会病院の万波医師が執刀した生体腎移植をめぐる臓器売買が発覚したのを機に、同年11月、万波医師らが病気腎移植を行っていたことが表面化。万波医師が所属する徳洲会は調査委員会を設置し、これらの病気腎移植は、適切であり容認できるものだったと結論づけます。
ところが07年3月、厚生労働省調査班は「病気腎移植は不適切」との判断を示しました。足並みをそろえる形で、日本移植学会なども「現時点で妥当性なし」との見解を発表。厚生労働省臓器移植委員会は、同年4月、臓器移植法運用指針を改訂し、臨床研究を除いて病気腎移植を禁止としました。
しかし、2008年の年末に、厚労省が病気腎移植を原則禁止としているのは不当であり、治療を受ける権利を侵害されたとして慢性腎不全の患者ら7人が、日本移植学会の幹部ら5人に総額6050万円の損害賠償などを求めて松山地裁に提訴。原告側は、修復腎移植の医学的妥当性を訴えた上で、被告らの発言で厚生労働省の臓器移植法運用指針が改訂され、修復腎移植が受けられなくなり損害を被ったと主張しました。
一方、被告らは自分たちは医師としての良心に従った行動を取ったに過ぎず、不法行為ではないと反論。この裁判は、現在も係争中です。
今回の裁判の被告は学会の医師らで、国ではありません。しかし、状況によっては国を相手取った訴訟が提起される恐れもあったわけです。これまで病気腎移植を自粛していた徳洲会病院グループが方向転換した背景には、この裁判の存在があると考えるのが妥当でしょう。
病気腎移植を巡っては、2008年に厚労省より、「病気腎移植は通常の保険診療には当たらず、診療報酬の不正請求に当たる」との見解が出されました。宇和島市立病院と宇和島徳洲会病院の保険診療の停止処分並びに万波医師の保険医資格取消処分が検討され、同年2月に処分についての聴聞会が行われる予定でした。しかし、この会についての法的な問題点を徳洲会病院が指摘したことから結局、聴聞会は開催されませんでした。
徳洲会病院グループは以前から、医師会からの反対や行政の許認可判断によって病院開設を阻止されたときは法廷闘争で対抗するなど、法化社会を先取りして拡大を図ってきた医療グループです。これらの行政処分問題についても、法的手段で闘う心づもりはできていると推察されます。
さて、病気腎移植の治験スタートに話を戻します。治験・臨床研究としての病気腎移植に対しても、日本移植学会のトップは、「和田移植のような問題が起きれば移植医療が再び滞ってしまう」と懸念しています。その懸念が杞憂に終わるかどうかは今後、万波医師らが選ぶ個々のケースの医学的妥当性、また生命・医療倫理の適合性、そして実施後のドナーやレシピエントに生じる結果によって左右されるでしょう。今後の病気腎移植が、徳洲会病院と第三者が妥当性をきちんと確認した上で進んでいくことを期待したいと思います。
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万波医師によって病気腎移植をされた患者さんのインタビューを聴いたことがあります。
「透析の苦しみから解放され、先生には本当に感謝しています」と語り、記者が「病気の腎臓ですよ」と念を押すように返しました。「そうですよ」と口調を変えず、静かに語ったのが忘れられません。そのぐらい、透析が苦痛になっていたと想像します。
一方、ドナーとなった方の気持ちはどうでしょうか。
腎臓の病気について全くわからない私が不思議に思ったのは、腎臓が病気だから手術で除去、その腎臓を他人に移植して正常に機能するのか?ということです。自分が腎臓を失い、それが他人の体では機能するとは???
「先生、なんでもっとがんばって治療してくれないの?」なんて気持ちになりそうです。
先日、「脳死は人の死」とすることを明示した臓器移植法改正案(A案)が、参議院本会議で可決・成立しました。これについて、柳田邦男が大変ショックだったと述べています。ドナー家族の葛藤などを鑑みていないというのです。
特に、子供がドナーだった場合、家族は大きなトラウマを被ることがあり、国はその点を自己負担でどうにかしなさいというのみ。
「臓器移植」というと、成功か失敗かに焦点を当てる報道機関は多い。そのような情報を前面に、議員を始め一般市民も興味の方向が規定されてゆく。人間が持つ感情というものが、あまり議論されぬうちに立法化されるのは、誰にとっても不幸なこととなるんじゃないかと思います。
臓器移植を望む患者さんにとっては、どうしても受けたい治療になるのでしょうが、治療例が増えると、様々な立場から色々な問題が出てきますね。
私は臓器移植に関して、未知の部分が多すぎて考えがまとまりません。また、病気や治療を理解するのはかなり難しいので、こういった事件で裁判員になると、とても困ると思います。
興味のなかった問題の裁判員になったらキビシイなあと思う人、<ここをクリックよろしくね~ >
This blog “The salon of breast cancer women authored by Noe:l” is able to read in Japanese:-)
助かる命がそこにあるのなら、少しでもお役に立ちたいと臓器移植に関していろんなサイトを閲覧しています。
少しでも多くの人たちを助けたいと考え、微力ながらも行動しています。
こちらのサイトは参考になり大変助かりました。
ありがとうございました。
柳田邦男が主張したことも、確かに大きな問題となるような気がします。ドナーのトラウマについては、渡辺淳一のダブルハートという作品のように、一般人では想像できない状況なんかも実際あってもおかしくないように思います。
困ってしまうのは、人間の感情は割り切れないことの方が割り切れることよりはるかに多いことです。相手によって生まれる感情も違う。
前もって理性的に手続きをしたとしても、理性では割り切れない感情が生まれる、ということは誰でもが経験済みです。
臓器を提供する側、受ける側、そして医療を施す側と、それそれの精神ケアもしっかり行う必要があると思います。