ちいちゃんのひとりごと

ちいちゃんのひとりごとを勝手気ままに書いています。

その9

2022年06月03日 | 介護
ここに母のことを記しておこうと思う。
母は幼くして姉と実母を亡くした。
後から来た後妻は自分の亭主に子供がいるとは思わなかったのだ。
幼い母は親戚の家に預けられていた。
まだ若かった義母は次から次へと子供を産んだ。
母は小学2年生の頃から家事を強いられた。
背中に妹や弟を背負い、ご飯の支度をし、掃除をして家事をする羽目になったのだ。
なぜなら義母は数年おきに妊娠していたに他ならない。
思うように遊ぶことも許されず、子守りと家事を強いられた母の人生はそこからゆがんだ性格を生み出したのかもしれない?
実母の愛情を知らない。
義母に甘えるすべを知らない。
母は女学校を出ると家を出て働きに行った。
働きに行った母は働いたお金の中から実家に仕送りもしていた。
義母は次から次へと子供を産むので、そのたびに母は実家に呼び戻されたらしい?
母は24歳で父と結婚した。
父は母の実家の向かいの家のお坊ちゃんで末っ子だった。
金持ちの家のぼっちやんだった父は職を転々とした。
父の実家は兄が継いでいた。
4人いた父の兄の一人は戦争で戦死した。
もう一人も何かで亡くなった。
3男の兄が跡を継いだ。
実の父が亡くなると父の姉たちは遺産相続を放棄したので、父も放棄した。
少しでももらっておけばいいものを放棄した。
職を転々とした父は酒とたばことギャンブルが好きだった。
私は父の最終学歴を知らないが、父は何でもよく出来た。
父はなぜ?職を転々としたのか?
おそらく他人に使われることが苦手だったのかもしれない?
私が物心ついたころはうどんや蕎麦の店をやっていた。
わずか3坪の店だった。
その店もあっという間につぶれた。
私が20歳の頃にはラーメン屋を始めたが、その店も客が来ず、1年で閉めた。
両親はいつも喧嘩をしていた。
悪いのは父のことが多いのだが、父は謝罪をしない。
母が悪くなくても母は自分が謝罪して丸く収めるということをしないのだ。
どちらかが謝罪して丸く収めると言う夫婦では無かった。
唯一父は家族サービスと言うものを良くしてくれた。
母は自分の意見を曲げると言うことはしない性格です。
娘の私は常に母に管理された生活を強いられていた。
おそらく母は娘の私を自分好みの娘に育てたかったのだと思うのだ。
常に母に管理された生活は私にとっては苦痛でしか無かった。
どこかで家を出たいと思っていた。
(続きはまたあとでね)


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