ちいちゃんのひとりごと

ちいちゃんのひとりごとを勝手気ままに書いています。

真夜中に探し物をしていたら

2023年01月05日 | 日記
真夜中に探し物をしていたら見つからないので諦めてYouTubeで島倉千代子さんを見てました。
YouTubeの島倉千代子さんを見ながら私の中の数少ない島倉千代子さんの思い出がよみがえってきました。
両親に反対されてあまりコンサートも舞台もイベントも行かれなかったけど…。
自宅に1台しかなかったテレビでたまに見る島倉千代子さんは良かったですね。
友達がほぼいなかった私は島倉千代子さんの歌は心の支えでした。
後援会にも入りましたが、なかなか親しい友人は出来ませんでしたね。
どこかで会ったら挨拶する程度でした。
他のファンの他人のように追っかけは許されないので、隠れて行く。
嘘をついて行く。
でもバレるんですよ。
半分ストーカーみたいな母親はこっそり私のハンドバッグの中を見ていたようです。
川越市民会館や新宿コマ劇場などのチケットの半券見つけるようです。
地方へ行く。
後にも先にも地方に行ったのは2回しかありませんでした。
大阪の梅田コマ劇場等は反対されてやっと日帰りで行きました。
長島温泉のファンの集いも両親の反対にあい、それでも無理やり行きました。
他のファンの他人があっちこっち行かれるのは羨ましかったです。
親元にいることは自由になりませんね。
家を出ることも許されず、自分の部屋も無かった私は夜は寝る時間まで決められ、休日の行動まで監視される始末でした。
自由になりたい。
好きなことをしてみたい。
全部親に反対され、悲しかったことは言うまでもありません。
それでも二十歳の頃に無理やり親を説得し、半ば勘当同然に家を出て他人の飯を食うもちょっとしたことですぐに両親のもとに帰ってしまいました。
その後は元の職場に復帰し働きました。
結婚は一つの手段だったんですよ。
両親の元を離れる。
自由になる。
しかし、母親は半分ストーカーでした。
私の留守に我が家に来て、娘の私がいないとわかると庭の草むしりをして私が帰ってくるのを待っているような母でした。
帰ってこないと諦めて帰って行く母です。
結婚して10年目で70歳になった母は働けなくなり、仕方なく我が家に引き取り同居しましたが、ストーカーのような性格は治りませんね。
結婚してこんなに長く夫婦でいると愛情もわくのですね。 
相手を愛おしく思うものですね。
主人は昨年入退院を繰り返しましたが、愛おしい人になりましたね。
残念ながら子供はいませんが、子供は欲しかったです。
子育てをしてみたかったです。
その時は母のような子育てはしないつもりでした。
子供の人格を認める。
子供を一人の人間としてきちんと育てる。子供には子供の未来があるのです。
親の敷いたレールには乗せない。
子供の意見もきちんと聞く。
そういった子育てをしたいと思います。
頭ごなしに反対をしない子育てをね。


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