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ちいちゃんのひとりごと

ちいちゃんのひとりごとを勝手気ままに書いています。

表札

2019年01月19日 | 介護
石牟礼道子言う詩人がいる。
記憶が正しければたしか高校の国語の教科書に「表札」と言う詩が載っていたと思う。
水俣に住む詩人だと思う。
たしか家には表札が無いがいい!見たいなことを書いていたと思う。
水俣に住む詩人です。
NHKのEテレでやっています。
志村ふくみさんと言う人も出ています。
大正13年の生まれだそうです。
主人の父と同じ歳です。
こうやって人生を永く生きていた人たちはある意味すごいですね。
私は果たしてあと、何年生きるやら?
出来れば他人様に迷惑がかからないように生きたいと思います。
寒かった!
寒かった!
この家は断熱材が入っていないのかも知れませんね。
エアコンの暖房切ったら寒かった!
氷点下のように寒かった。
話は変わりますが、私がブログに書くことに制約があるのなら、これからはブログに投稿は出来ませんね。
そこに法律の壁があるのなら、投稿は出来ません!
なぜなら裁判をしてまでも投稿はしたくは無いのです。
世の中はあらゆることに法律の壁が!
私がこれから出そうと思っているKindleの電子書籍も法律の壁にひっかかれば無理ですね。
石牟礼道子さんは水俣病のことを書いています。
高齢になられてパーキンソン病だそうです。
水俣病は日本における公害です。
この件は詳しくはわからないので、ここでの投稿はやめておきます。
しかし、水俣病で苦しんだ患者や被害者がお多勢いるのは事実です。
ある意味パーキンソン病になりながら詩を書き続けているのはすごいことですね。
そうやってこの世の中を生き抜いて来た人はある意味尊敬も!
志村ふくみさんは染色家だそうです。
石牟礼道子さんは昨年の2月に亡くたったそうです。
私はほぼ40年以上前に石牟礼道子さんの詩を学んだんですね。
いつか私も生きていて良かったと思えるような生涯を終えたいと思います。
水俣病の患者さんは今も苦しんでいます。
その家族も苦しんでいます。
私たちは二度とそういうことの無い世界を作ることが望まれます。
水俣の海がきれいな海になり、皆が安心して水俣の魚を食べられますように!

世の中は理不尽なことばかりあると!

2019年01月19日 | 介護
2019.1.18
世の中は理不尽なことばかりあるとつくづくそう思う。
自分の思い通りにならないことも時にはあるのだとそう思う。
このところ続けて「私の浪曲考」というのをブログに書いているが、これとて素人の投稿です。
文句を言われることも覚悟の投稿です。
ほぼ1年月1回木馬亭に浪曲を聴きに行ったおばちゃんのつたない文章といい加減な知識です。
おかしいと思うことも多々あると思います。
しかし、ここではコメントは受け付けておりません。
何かご意見がおありなら木馬亭で私を見かけたらおっしやってくださいね。
あなたのご意見は真摯に受け止めます。
そもそも浪曲を聴きだして1年未満の私に浪曲が何たるかを語る資格などないのだと思います。
そういったお叱りも受けることはある程度覚悟はしています。
基本浪曲は自分が楽しければいいと思っているので!
ここであえて浪曲を深く掘り下げて調べて書こうとは思いません。
むしろ皆さんの方が浪曲は詳しいと思います。
あくまでもここには私のつたない知識と見解を投稿しているだけなのです。
偉そうなことは言えません。
10年ぐらいしたら若葉マークも取れると思うので長い目で見てくださいね。

亡くなった人を恋しがるより現実を!

2019年01月19日 | 介護
2019.1.19
BS朝日でやっていた島倉千代子さんの特番を見た。
もう。亡くなった人は生き返ったりしないのだ。
現実に目を向けるのだ。
芸能人はどうあがいても所詮芸能人なのだ。
住む世界が違うのだ。
現実を見るのだ。
嫁に来て28年と数か月が過ぎようとしている。
こんなに長く嫁でいると、芸能人より身近な旦那が一番なのだ。
てなことで自宅の千代ちゃんグッズは私が亡くなればおぎちゃんに進呈しようかと思う。
しかし、一番大事な物は師匠にも一つ進呈したいと思う。
これはおぎちゃんも承知してくれた。
良い番組でした。
終始涙の番組でしたね。
心を切り替え明日は木馬亭に!
久しぶりの富士琴美さんはマジックをするそうです。
師匠のお弟子さんのすみれさんも出ます。
国本はる乃さんも出るんです。
はる乃さんのお父さんの梅八師匠も!
雲月師匠が出られないのが残念ですが、楽しんで来ますね。

私の浪曲考5

2019年01月19日 | 介護
そもそも私は一昨年の12月に浅草の木馬亭で浪曲を初めて生で聴いたのだ!
それ以前にはテレビ多少観ることはあってもきちんと聴いたことは無かったのだ。
Twitterで広告批評の天野祐吉さんの奥さんが玉川奈々福さんをフォローしていた。
ご自分がやっている渋谷のラジオのゲストに奈々福さんが出たようです。
この天野祐吉さんの奥さんが歌手のクミコさんのお知り合いです。
奥さんの伊佐子さんが奈々福さんのお知り合いらしいので、奈々福さんを検索したら浪曲が聴きたいと!
その後1月の木馬亭の定席は私が体調を悪くして行かれず、2月に木馬亭に行ったら奈々福さんと五代目天中軒雲月師匠が!
失礼ですがその時に雲月師匠の浪曲に私のアンテナが反応してそれ以来雲月師匠のファンになった次第です。
そうです!
師匠のお声に一目惚れ!
まったく浪曲をよく知らない私はそこから浪曲を学んでいます。
未だによくわからないことばかりですね。
つい最近まで三波春夫さんの刃傷松の廊下を「とうしょう」と、読んでいたのですから、恥ずかしい話です。
浪曲と言うものはそもそも奥が深いのだと思います。
一つの浪曲を演じるにはそれなりにその頃の歴史や文化も学ばなくてはならないのかも知れませんね。
その時代背景も踏まえた上で舞台に立ち唸るのです。
ただ単に覚えただけで唸るというのとは違うのかも知れませんね。
そこにはあらゆる要素が含まれるのです。
客は一喜一憂し、泣いたり笑ったりするのです。
お客の心をバッチリつかめば素晴らしい浪曲師だと思います。
時に師匠は私の心をわしづかみにします。
そこには培われた一流の芸があるのだと!
長い年月を経て学んだ知識と努力の賜物ですね。

私の浪曲考4

2019年01月19日 | 介護
私は昨年の2月より浅草木馬亭で浪曲の定席に通っています。
お目当ての師匠も浪曲師も出来ました。
しかしもっていかんせん浪曲観賞初心者なので、毎回木馬亭は勉強の場と!
その私がこうやってブログに浪曲にことを書いてはいるのですが、何分初心者なので、いろいろ間違えもあると思います。
ここではあくまでも私の意見等や私が今まで浪曲を聴いて学んだ知識等を書いています。
その中で多々間違いもあると思いますが、よろしくお願いします
そもそも浪曲が始まった年がわかりません。
何ゆえに人々は浪曲を聴くのかもわかりません。
浪曲がどのように広まったのかもわかりません。
今の木馬亭の客層を見ると浪曲事態は庶民の娯楽の一つのように思えます。
その証拠に浪曲は以外と低料金で楽しめます。
肩肘張らずに楽しめます。
平たく言えばおしゃれをしなくても楽しめます。
着飾らなくても楽しめます。
一人ほぼ30分の時間内にいろいろな要素が含まれています。
私たち浪曲ファンは浪曲を聴きながら泣いたり笑ったりするのです。
たった30分のドラマは泣いたり笑ったりしながら終演後にその浪曲の余韻を残しながら家路につくか呑みに行くのです。
誰もが浪曲の余韻を味わっているのではないと思いますが、私などは終演後に一杯やりながら主人と浪曲談義をしたり、余韻を抱えて家路に着くのです。
そこには先人の浪曲師が残した足跡も重要だと思います。
浪曲がどのようにして始まり庶民の娯楽の一つとして根付いたかも重要だと思います。
人々は浪曲に何を求めて何を学んでいるのでしょうか?
大げさに言えば浪曲には多くのファンを魅了する何かがあるのだと思います。
その何かを追及して見たいとも思います。
浪曲と言うものは一つの娯楽に取られ勝ちですが、昨今の浪曲は一つの娯楽にとらわれずに、新作も行われ、客層の広さを感じています。
一昔前は老人の娯楽のような浪曲でも、昨今は若者が増えたことも事実です。
その昔、おじいちゃんがラジオ聴いた浪曲は今や若者にも浸透してきたと!
おじいちゃんがお風呂で唸った浪曲は今じゃあ世界にも羽ばたいているのです。
昨年文化庁の以来で玉川奈々福さんが浪曲を引っ提げて海外に行ったことは有名です。
私はその事はTwitterで知りました。
こうして浪曲があっちこっちに広まって行くのはいいですね。
浪曲を広め浪曲という伝統話芸の火を絶やさないようにすることもある意味必要だと!
今や面白おかしく楽しんだ映画も浪曲になる時代です。
テレビアニメも浪曲になる時代です。
過去の外題にとらわれず、新しい試みさえもあるのです。
新しい試みは若者のこころをもつかむのです。
聴く浪曲!観る浪曲は演じる浪曲になりました。
浪曲教室に通いいずれは浪曲師にという人もいます。
また、三味線をならいいずれは曲師という人もいるのは事実です。
浪曲は娯楽の域を飛び出し、人々のこころに浸透して行くのですね。それには一つの娯楽に止まらず、世の中に浸透することが重要だと!
浪曲師はお客さんに「来て良かったね。聴いて良かったね」そう思わせる技術も必要なのだと!
昔おじいちゃんがラジオで聴き、お風呂で唸った浪曲は老若男女に浸透することを希望します。
それには浪曲師が弟子をいかにして育てるかもあるのだと!
弟子を取る!弟子を育てる!
と、いうことはある意味大変だと思いますが、浪曲の火を絶やさないためにもそのようなことは必要だと思います。
良い浪曲は受け継がれ、伝えられて行くものだと!