ノアの小窓から

日々の思いを祈りとともに語りたい

国立高校での講演会

2014年02月24日 | 日記

 


 バギオを出発して山に入った一行の、最初の目的地はロー(LOO)です。
 静かな谷あいの町です。

 ここにある高校で講演会に招かれていました。といっても、講演するのはS牧師、現地で合流したフィリピン人のジン先生と宣教師で医者でもあるF先生。
 司会は、S牧師の後輩吉原先生です。
 学制が日本とは違って6.4制で高校生といっても日本の中学一年から高校一年生までです。

 講演は道徳教育の一環だとか。校長先生のお話では、最近、自殺した子供が三人も出たとか。そのようなことを踏まえた話しをしてほしいとのご注文のようです。

 このような静かな田舎町でも、自殺する子がいるなんて、とちょっと驚きました。理由は将来の進路問題などとお聞きしました。

 まず、最初に、職員室で「お祈り」をしました。私たちクリスチャンは、大切な活動の前には、まず神の導きを祈ります。
 



                

 
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 講演は英語です。校長先生が生徒に話すのも英語ですから、学校では英語が「公用語」です。
 日本では英語で授業の学校が話題になったりしますが、フィリピンではこれが一般的なのです。理由は、彼らの「将来性」のためなどではなく、知識をカバーできる現地語の語彙が足りないため、最初から英語を使っているとのことです。日本でも明治の初めごろの大学では、ドイツ語やフランス語の授業が普通だったとか。いまや、どんな外国語の学問用語にも対応できる日本語が手に入るため、かえって英語を使わなくなり、たいへんな教育を施しても英語が苦手な国民が育っているのかもしれません。


 それにしても、国立の高校でキリスト教の牧師たちを招いて、講演をさせるなんて、日本では考えられないですね。
 聖書はとても深くて、幅広くて、文字通り書物の中の書物です(聖書=Bibleとは書物の意味)。
 日本でも、難しいことを楽しく話せる牧師先生も大勢おられるのですが・・・。

 この日、S牧師は、聖書の「創世記」から話を起こされて、「人間は神様によって造られた特別な(とても大切な)存在」であること。人間だけが、祈る(神様との対話ができる)動物であること、人間の心には、神様との対話によってだけ満たされる、それ以外のどのようなモノ(人間関係や贅沢や地位などの)でも満たされない空間があることを説かれ、「神さまとの対話」を勧めていました。

 子供たちが、とくに、上級生になるほど、真剣な表情で聞き入っているのに感心しました。

 F先生は、貧富の差の激しいフィリピンでは名門の生まれで、医師としても有望な将来が約束されていた方です。牧師・宣教師になり(キリスト教用語で献身と言います)、世界でも危険な地域に入って、医療活動と伝道活動をされています。





  写真、祈り、S先生、F先生、吉原宣教師、教職員との記念撮影

 

        

 




熱いもてなし

2014年02月21日 | 日記

 こんにちわ。
 連日のソチオリンピックの選手たちの活躍に感動している方も多いと思います。

 冬のスポーツは、関西生まれで寒さの苦手な私にはどこか遠いものだったのですが、見ていると、どんな世界も一所懸命取り組む限りは、「熱い」のですね。

 選手はもちろんですが、観客として感動して「熱くなる」のも意味のあることですね。
 生きているということは、「燃えている」ことですものね。

 自分のためだけでなく、だれかのために「熱くなる」「涙を流す」「より最善を目指す」、そのような人間にだけ許された熱意が、オリンピックの画面からあふれ出ているのでしょう。
 スケート靴とスキーは、今日までの長い人生で一度しか履いたことがない、スノーボードなんか全然知らない私も、胸が躍り、涙ぐむ瞬間がありました。


          


 ところで、さとうは、フィリピン宣教地訪問旅行の記事がうまく入らなくて難儀しています。じつは、写真のアップに手間取っているのです。

 同じデジカメで撮ったはずの写真が、アップできるものとできないものがあったりするのです。
 画像サイズの問題だと言われて、ペイントを使ってサイズを小さくしても、やっぱり入らないものがあります。むしろ、掲載したい写真がアップできないので、手間取っています。
 アドバイスを下さる方がいらっしゃれば、感謝です。


 でも、気を取り直して、(というより)訪問して下さる皆さんに気を取り直していただいて,見ていただこうと、とりあえず、バギオの神学校校内の写真を1枚だけご紹介します。

 

                 


 さて、フィリピンに入って4日目、1月30日です。 宿泊施設のある神学校をあとにして四輪駆動車に乗った一行は、いくつもの山をカーブしてめぐっているハルセスハイウエイを上り、一気に2000メートル地点に到達しました。
 棚田がいたるところに開ける素晴らしい眺望です。

 この山間に住む人たちは、カンカナイ族、イロカノ族といくつかありますが、みな無口ながら働き者、屈強で、平地のフィリピン人とは気質もまるで違うとのことです。アステカを滅亡させたスペイン人が太平洋周りでフィリピン諸島に侵入してきたとき、バギオまでは来ることができたのですが、カンカナイ族には追い払われ、この山地に入ってくることはできなかったということです。



                  


 見かけは地味で素朴な文化のように見える地域です。しかし、その精密に築かれた棚田、手ごたえの確かな熱いもてなしは、人間として本質的なものがここにしっかり息づいているのを感じさせられました。


 深い山間の宣教地や教会を訪問する旅は、2月3日まで4泊6日続きました。
 アップできる写真と共に、ご報告できればと思っています。

 よろしくお願い申し上げます。








 
 


 
  

 

 

 
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バギオ教会での歓迎会

2014年02月18日 | 日記


 ピトの開拓教会を後にしたのはもう夕暮れ。
 来たときとは逆に右にダム湖を見ながら、バギオへ引き返していきました。カーブが多く、アップダウンが多いとはいえ、この日は、まだまだ快適なドライブでした。


 S先生は、40年近く前、同じ道(とはいえ当時は未舗装)で、中古の改造車のようなセダンで走り、突然、車がエンストを起こしてしまった時の話を始めます。
 当時のフィリピンの社会通念として、夜中に山の中で立ち往生していると襲われる危険性があったので、きた道を下るべく車を押してUターンさせ、坂道をだらだら下り、人家のあるところまでたどり着いたこと。だれかの家に助けを求めて入り込めば安心なので、見知らぬ家に助けを求めたところ、先方が宣教師であるS先生を知っていてホッとしたことなどを、楽しそうに話されるのです。それにしても、車を一台ひとりで押してUターンさせるなんて!と、驚いたのです。
 


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 バギオに戻ってくると、宿泊施設のAPTS(アジア太平洋神学校)に行く前に、バギオAG教会へ立ち寄りました。前日私たちをマニラからアゴーまで運んでくださったロペス先生が牧会している教会です。
 大きな教会で、案内された部屋は優に二百人は入りそうな広い会堂でした。しかも、三階建てで、すべて会堂だというのです。
 残念ながら、礼拝会のときではなかったのですが、私たちのための夕食歓迎会が準備されていました。

まず、食事前のお祈りがありました。
 その後、食事や果物が運ばれてきました。

 食事はテイクアウトの中華料理のようでした。バギオは、30万人が住む大きな町ですから、さまざまな店があるのです。
 果物は前日、ロペス先生がお買いになったスイカを始め、たくさん出ていました。

 ところが、だんだん寒くなってきて、とうとう車にコートを取りに行きました。
 ダウンのコートを着ても寒いのです。
 バギオは海抜1500メートル地点です。それほどの高地になると、熱帯であっても寒いのだと思い知らされました。


                        



 
 

AGOO(アゴー)からバギオへ②

2014年02月17日 | 日記



 アゴーからバギオまでは、30キロほどです。空は青空で快適ドライブでした。昼過ぎにバギオに到着。
 町の繁華街の正面にバギオのカトリック教会があります。



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バギオのモールで、グレイグ先生が合流。山間の低地に教会を四つほど開拓している牧師で、現在ピトという地に教会堂を建てているので見に来てほしいとのことです。

                  

 ダムで水没した地帯を左に見て、山沿いの幹線道路を上り下りすること三時間、小さなとがった地に教会がありました。

                   


 土台に鉄骨や柱が立っていました。使いかけのセメントなどの資材が置かれています。
 すべて先生と信徒の手作りで、時間のある日に山越えしてきた信徒などと少しずつ建てているのだとのことです。
 グレイグ先生は無口で、牧師としてうまくいかず、若いころには教会の役員たちに牧師をやめさせられて、故郷で農業をしていたこともあったとか。誠実に伝道し、黙々と力仕事をして手作りで教会を造ってきたその姿勢をS牧師は高く評価していました。
 
 大工仕事の大変さは言うまでもなく、すぐ横にある民家でさえ傾斜地に建っているのに、(彼らにとっては大切な)猫の額ほどの平地を、献納した人の信仰の深さを思わされました。


                   



 現在使っている会堂で礼拝が始まりました。
 日本で言えばバラック小屋でしょうか。
 平日の昼間で、そばに住む信徒だけの集まりでしたが、グレイグ先生がギターを取って賛美を歌いだすと、その声に圧倒されました。
 決して歌がお上手というのではありませんが、なぜか、突然、ぞくぞくと体がふるえ、涙がこぼれました。
 さとうは、決して感情的な信徒ではないので、ちょっと驚きました。


                     

                







AGOO(アゴー)からバギオへ①

2014年02月16日 | 日記

 アゴーの夜の夕食は、グレイス・アッセンブリー・フェローシップ・チャーチが準備してして下さっていました。
 翌朝の食事は、G家で用意して下さいました。
 (どちらも、写真を撮り忘れています!)


 8時に朝食で、9時には出発でした。前夜、ふたたび合流して下さった吉原宣教師の車で町へ。
 私たちはベテラン主婦信徒でもありますから、S先生は、まず繁華街の市場へ連れて行ってくださいました。
 卸売市場かと思えるほど大きな市場には、生鮮食品もとても豊富で、海が近いせいでしょうか、魚類、貝、カニ、海藻とおぼしきものもありました。

 魚は大きなものでも丸ごとで積まれていて、日本のようなパック詰めはありません。また、冷蔵庫ケースでの販売もほとんどないようです。

 魚については、私もはまちの頭を落とすくらいは何でもないのですが、丸剥きに皮をはがされた肌色の蛙を見たときは、思わず目を逸らせてしまいました。ウシガエルだということですが・・・、さて。


 先生はフィリピンに23年も滞在、なんとか、私たちにおいしいトピカルフルーツを味わわせようと、マンゴーやパパイヤ、バナナを買いました。もちろん、日本にはない種類だとか。

 翌々日の朝食のデザートになりました。

                      


 雑踏を歩いてちょっとだけフィリピン体験。トライシクルというサイドカースタイルの乗り物に乗ったり、通りの食料品店で水を買ったり、アイスクリームを買ったり、まるで、ローマの休日のアン王女のようにはしゃぐ私たちでした。



                       

 やがて、目の前に巨大な教会が現れました。カトリック教会です。

 ちょうど葬式が行われていました。教会の入り口に留めてある車には、白い風船が取り付けてありますが、これが葬儀の車のしるしだとか。


 フィリピンは、スペインが最初に侵入してきたので、カトリック教徒が90パーセント以上。アジアで唯一のカトリック教国です。







 


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