ノアの小窓から

日々の思いを祈りとともに語りたい

がたがた道と教会と星空と

2014年02月25日 | 日記



               



 足湯のような浅い浴槽の温泉でしたが、熱い湯がふんだんに出ることがどれほど快適か知りました。
 アゴーのゲストハウスも水シャワーでしたし、神学校の宿舎でも水に近いような湯しか出なかったのです。風呂はなし。水シャワーと事前に聞いてはいましたが、暑いフィリピンを想定していたのです。


 そんなわけで、とりわけ、女二人は上機嫌で「風呂上がり」を、顔にクリームを擦り込んだりして楽しみ、休憩所で髪を自然乾燥させながら、「命の洗濯をしたね」と笑いあったのでした。


 風が冷たくなり始めたころ、一行は車二台に乗り込みました。

  
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 そこからは、山道を上るのではなく、山間の盆地に下って行くのです。
 3時間ほどドライブして、ボギヤス村というさらに奥地の教会を訪ねる予定でした。
 最初のうちは、下り坂の快適なドライブでしたが、とつぜん未舗装のがたがた道に入りました。
 その揺れること!! 未舗装の道の揺れる感覚など、久しく忘れていました。
 
 初めは笑ってキャーキャー言っていましたが、そのうちに、笑ってばかりいられなくなりました。
 まるで、シェイカーの中の氷のようにあちこちに揺すられ、打ち付け、首が折れてしまうのではないかと思うほどです。

 「せいぜいあと20キロくらいだから」と言われましたが、その道の長かったこと。
 フラフラになったころ、真っ暗な山の中に、ようやく、車は停車しました。

 あたりに大勢の人が懐中電灯を持って立っていて、降りるとかけ寄ってきてくれました。

 男の人たちが、車のうしろから荷物を運び出しています。
 はるか100メートルほど先に、ぽつんと明かりが見え、そのあたりにも人がいるのがわかりました。

 足元から、建物まで古タイヤが飛び石状に置かれているのがわかりました。あたりは湿地らしくて水が見え、タイヤを飛びながら行くのです。こわごわタイヤに足を載せると、なんとやわらかい、古タイヤにしてもペコペコすぎるのです。
 よろけた時、さっと手が差し伸べられました。私の胸くらいまでしかない小さな女の子で、片手にライトをもち、もう片手で私を支えて、走り始めました。

 「こんな小さな女の子が」と思いましたが、その力の強いこと。彼女は水のなかを走って、リズミカルに私の「タイやとび」をリードしてくれるのです。
 よろけても必ず支え、そのタイミングも抜群でした。やがて、建物の玄関に着きました。


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 外階段から二階に案内されました。「ようこそ」とたくさんの手が差し伸べられました。
 暗い部屋にお茶と食事が用意されていました。教会の屋根裏は、食堂と部屋が三つほど仕切られていて、手前の部屋が女性二人の部屋でした。入り口はカーテンで、ベッドらしきものも一つ、ひと目でかなり厳しい宿泊になりそうなのがわかりました。


  
       

 お茶と食事のもてなしを受けて、階下の礼拝堂に行きました。日本のふた昔前の建築作業現場の小屋のようなバラックの建物です。


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 大勢の人が集まって、礼拝を待っていました。
 遠い国から来たゲストを迎えて下さる真剣な目が、たくさん注がれていて緊張しました。

 もちろん、教会は、国籍や人種を超えた世界なのです。

 私たちは、同じ主(しゅ)――「父なる神」の子どもで、みんな兄弟姉妹なのです。
 「私たちの国籍は天にある」のです。

 礼拝が始まると、すぐに、そのような一体感が会堂を満たすのです。


 
                
 

  子供たちが大勢来ていました。 先ほど、私の手を引いて湿地を導いてくれた子はどの子だろうと思ったのかもしれません。何人かの女の子の写真を撮っていました。

             


 部屋に上がる前、夜空を見上げると、なんと満天、天の川でした!
 何十年ぶりに見る本物の星空です。






         


 
  

 

 
        

   

聖会と温泉

2014年02月25日 | 日記


 1月30日、ローの夜は、大学の講堂で開かれた地域壮年男子の「聖会」への参加でした。

 「聖会」は、キリスト教界の用語だと思います。私たちは一つの地域教会の集いとして礼拝する場合、「礼拝会」「祈祷会」などと呼んでいます。毎週日曜日に礼拝する日曜礼拝が代表的なものです。これは、まさに礼拝と祈りを中心とした集会です。聖書を勉強することや、教会の運営などについては、また別の名前で呼ばれます。

 聖会は、クリスチャンたちが個々の教会の枠を超えて集まる、教会横断的に開かれる礼拝会です。
 教団単位で開かれる「聖会」や地域教会が集まって行う「聖会」、単立であってもゲストなどを招いて特別に行う「聖会」もあります。


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 聖会の前に、食事会がありました。近くの教会で食事が出され、集まった人々はまず、歓談しながら腹ごしらえです。



                   

         写真、教会の中から教会の前の駐車場まで食事の用意がありました。

 日本で言えば小学校の体育館くらいの広さの講堂がほぼ満員でした。あいさつや賛美(歌)、お祈り、証しがあり、私たちも一応壇上で紹介を受けました。

 聖会は、夜が第一部。翌朝五時半から祈り会、八時半から第二聖会、十時半から第三聖会と続くことになっていました。 参加者は、知り合いの家に泊まる人、車の中に寝る人、でなければ、その床に寝るとか。



                 


  写真・アレックス先生とS先生、お証しをする人、夜の聖会、昼間の聖会


 私たちは、大学のゲストルームに泊まることになっていました。


 ゲストルームは、二階建ての建物で、一階がリビングルーム、トイレ、シャワー室。二階に部屋が三室ありました。女性二人が一室。男性は二人ずつ分かれて二部屋に入りました。
 ここで、初めて、2000メートルの山の寒さを体験しました。寝具はタオルケットが数枚。しっかりした毛布やふとん、暖房器具がないのですから、ダウンのコートを着ていてさえ寒くて眠れません。夜中に起きて、服を重ね着し、ホッカイロを貼って改めて眠ります。その時、足を滑らせてベッドの角で唇を切ってしまいました。
 翌朝、医者のF先生に診てもらうと、「かすり傷だ。縫う必要なはいよ」とやさしく。
 難民キャンプで重症者をたくさん見てこられた方から見ると、ほんとかすり傷に違いありません。
 確かに、血は止まっていましたが、できれば抗生物質をと思うのは、東京スタイルですね。電話すれば救急車が来るような場所ではないのですから。まあ、帰国まで傷のせいで、食事をうまく食べることができませんでしたが、良い思い出です。


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 朝の祈り会はキャンセル。私は、(S牧師の説教があったのですが)、聖会も欠席しました。自分の教会に短い劇を書いて送る期日が迫っていたからです。午前中かけて何とか書き上げ、それまでに撮った写真をパソコンに落とし、整理しました。



                   

          写真・果物の朝ごはん、

                   さて。何だかわかりますか。 


                     




                    温泉です。!

     31日、次の村に移動する途中温泉に入ることができました。
     なんといくつものブースになっていて、ホースからは流れ放題のお湯。
     しょっぱい味でしたが、いい湯だなあ!でした。やっぱり日本人! 
     日本に働きに来ていた人が、自然状態の温泉をこのような施設に作ったそうです。
     私たち一行以外にお客はいませんでした。もったいない!