ノアの小窓から

日々の思いを祈りとともに語りたい

旅行の準備

2014年01月17日 | 歌う





             山茶花の 面(おも)垂れている 小正月





         旅行が近づいてきました。
        海外旅行は久しぶりで、フィリピンは初めてなので、
       少し緊張しています。

        贅沢な旅ではないのに、毎日、何かしら準備のために買いものをします。
        小物を整理する袋だったり、パスポートを入れる袋だったり、

       現地の子どもにあげる小さな文房具だったり・・・。
       
       教会のみなさんが、かなりささげて下さるかもしれないので、最終的には、
       次の日曜日に、荷物の量が決まるでしょう。

     

       さらに、これまでの旅行と異なるのは、ノートパソコンを持って行くことです。
       メールだけなら、ネットカフェを使えるかもしれませんが、
       一応、パソコンを使える環境も(あるところには)あるとのことですから、
       ブログで、毎日、アップしたいのです。
       苦手な写真もアップできればと思っています。

       「お楽しみに!」なんて予告をして、
       もしも、できなかったら、まずいなあと思いながら、
       こんなことを、公開しているのです。



         お祈りください。


     
       


             
    
        


       





小正月そして受験

2014年01月15日 | 歌う






            火の粉舞う 社(やしろ)の庭に 小正月




      たき火は、それ自体神秘的です。
     冬の朝、たき火をしているところがあると、学校の始業時間を気にしながら火にあたりました。
     でも、だんだん、たき火は禁止になって行きました。
     空気を汚すのですね。
     煙が出ていると、ギョッとするありさまです。

     通りすがりの神社の境内で正月飾りを燃やしているのを見たときは、
     思わず、

     ああ、今日で、松の内は終わりだって、ちょっと感傷的になってしまう。
     


     正月のつぎは、受験の季節。
     三月までは、息苦しく、時に、涙の出る日々。

     受験結果の通知を、家族で息を詰めて待ったことがあり。
     日暮れても電報が届かず、「不合格」だと気落ちした弟は、こそこそと
     勉強道具を持って自分の部屋に入り――、

     ようやく電報が届くとそれでも駈け出して行って、
     何やら大声で叫びながら入ってきた。

     「サクラサクだあ!」



     今は、こんな結果発表は、伝説でしょうね。

     次の日曜日は、大学入試センター試験だそうです。

     すべての子どもたちに、神様のお守りと平安がありますように。
     







     
     
     

     




     
     

宣教ツアー

2014年01月11日 | 日記






                この時も、まだ見ぬ子たちに 陽がそそぎ



         フィリピン旅行は、「宣教ツアー」です。
         フィリピン北部ルソン地域にある、僻地の教会を訪ねて歩きます。
         多民族国家フィリピンで、少数民族が居住している貧しい地域です。、

         今回引率して下さるS牧師が、40数年前に宣教師として単身入って行き、
         現地の無名の伝道者たちに協力していただいて、いくつかの教会を立てました。

         道路もなく、もちろん、水道、電気、ガスなどはなく、
         車を乗りすててから、五時間~十時間を徒歩で入って行って、やっとたどり着ける。
         支援物資(日本の人たちがささげたもの)の荷物を担ぎ、
         岩を這い、渓谷や吊り橋を渡り、
         現地の人たちと同じものを食べ、同じ生活をし、
         たき火の明かりで聖書を読み、

         心許してもらうまででも、相当の苦労をして、
         しかし、そこに福音が伝わり、教会が立てられたのです。


         もちろん、今では、道路状況はずっと良くなり、
         「電気もきています」と言われて、やっと行く気になったさとうです。

         

         自分はツアーを楽しむだけ、何もできないと思っていたのに、
         教会の人たちから、現地の子どもたちにいろいろささげていただけそうです。
         日本の子どもにとってあたりまえの、「百均」で売っている安い文房具でさえ
         喜んでもらえると聞いて、昨日も調べて歩きました。

         そう。
         この瞬間にも、遠い、異国の空の下で、
         この同じ日差しに
         笑顔を向けている子供たちがいるんですね。

         わくわくします。







         
         

         
         
         
         
         
         
                      

「いただきます」

2014年01月10日 | 歌う






         栄光を お返しできる 歓びに 
                      乏しい夕餉も 光り輝き





         食事がいただけることに、心から感謝したことなど、
         じつはなかったのです。
        日本人ですから、「いただきます」と言って食べるよう教えられ、
         人にも教え、「いただきます」を唱えていたけれど、
         けっこう、「あたりまえ」でした。

         さいわい健康体で、食事制限することもなく、
         豊かな国に生きて、その日食べるものにこと欠くのでもなく、
        
         「神様に感謝」と言いながら、その神様のイメージもおぼろだった長い年月。


         もっとおいしいものを、もっと珍しいものを、もっと洗練されたものを、
         もっと安く、もっとてっとり早く、もっと楽しくと、はばからず、

         自分がだれによって造られ、だれによって支えられ、
         だれによって生かしていただいているか、
         だれが自分を養ってくださっているかも、考えなかった長い年月。

         考えてみると、不思議です。