栄光を お返しできる 歓びに
乏しい夕餉も 光り輝き
食事がいただけることに、心から感謝したことなど、
じつはなかったのです。
日本人ですから、「いただきます」と言って食べるよう教えられ、
人にも教え、「いただきます」を唱えていたけれど、
けっこう、「あたりまえ」でした。
さいわい健康体で、食事制限することもなく、
豊かな国に生きて、その日食べるものにこと欠くのでもなく、
「神様に感謝」と言いながら、その神様のイメージもおぼろだった長い年月。
もっとおいしいものを、もっと珍しいものを、もっと洗練されたものを、
もっと安く、もっとてっとり早く、もっと楽しくと、はばからず、
自分がだれによって造られ、だれによって支えられ、
だれによって生かしていただいているか、
だれが自分を養ってくださっているかも、考えなかった長い年月。
考えてみると、不思議です。