
日曜日 晴
今日はお昼前に近くのスーパーに出かけて、娘の誕生日プレゼントの自転車を買ってきました。さすがに嬉しそうです。しかし、我が家の前の道は上り坂の行き止まりです。そう、家を出るときは下り坂で道路に出なくてはいけませんから、重々事故に遭わないように言い聞かせます。
昼からは、娘と付き合って近所の公園巡りをツーリングしてきました。
昨日買ってきた「郵便消印百科事典」の276ページに「郡名付加櫛型印」がまとめられています。全部で27件載っていますが、以前私が調べたものは21件と6件の違いがあります。5件は間違っていることを他資料から確認し、1件が私の未確認でした。
1.島根県美濃郡吉田局は存在していない。2.岡山県備前国一宮局は最初から備前一宮局として大正1年8月1日に設置。3.新潟県の3つの中條局は、櫛型印が使用される頃には異動欄にある局に改称されている。4.渡島国檜山郡檜石崎は、櫛型印使用時には檜山石崎局になっている。5.福井県丹生郡三方局は存在していない。
確認したのは、福岡県新町局。京都郡と糸島郡に存在してました。しかし、櫛型印が使用された明治43年1月1日ですが、同年5月1日に京都郡新町局は久保局へと改称されました。翌44年12月には糸島郡新町局は芥屋局へと改称されました。
今日の画像は、郡名入り櫛型印で「北牟婁・長嶋/三重」です。明治6年に開局したこの局です。大正13年3月に「紀伊長島」局へと改称し、現在(北牟婁郡紀北町)に至っています。
ところで、この郡名入り櫛型印は表示違いが存在します。もう1種はA欄「三重・長島」、D欄「北牟婁」と言う表示です。今日紹介したものの方が古いのです。この表示違いの原因が今年3月に判明しました。JPS福山支部報「びんご」298号に天野安治氏が書かれた内容です。簡単に言うと、明治38年6月20日公達369号に「A欄に郡名・局名/D欄に県名」の雛形があり、大正2年1月10日公達5号には、D欄に郡名が入る雛形があり、大正2年4月1日から実施されています。