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茶山庵から

無職の茶山人が日々の退屈な内容と趣味の事柄を綴っていきます

エルミタージュ美術館250年/ロシア

2015年01月23日 | World Topics
2015.1.23 金曜日 曇
 朝は7度台、日中も9度台と今日も明かり変化のない一日でした。
 昨日2泊3日の研修から帰ってきた一行は、本日休みです。いいなぁ。職場でのインフルエンザはピークかなぁ。今日は自分の部署での外部講師を招いての研修会でしたが、無事終了しました。

 先週16日に請求したかんぽから連絡が届きました。2回やった手術手当は1回分しか出ないとのこと。1度の入院で同じ内容の手術は1度だけだそうです。いつ振り込まれるかは書かれていません。

 今日の画像は、1月分のワールドトピックスから2014年6月20日に発行されたロシアのエルミタージュ美術館250年で「世界遺産に包括登録された世界有数の美術館」です。
 1762年、クーデタ一により夫ピョートル3世を追放してロシア皇帝として即位した女帝エカチェリーナ3世は、王朝の威信を内外に示すため、1764年から宮殿の大改築に着手し、あわせて絵画225点を中心に美術品のコレクション・ギャラリーを増築しました。このギャラリーは、フランス語で“隠れ家”を意味するエルミタージュと命名されました。1917年のロシア革命で帝政ロシアが崩壊すると、国立エルミタージュ美術館の本館になりました。この小型シートは、現代の美術館の建物と、ボロヴィコフスキーの1794年の作品「ツアールスコエ・セロー公園を散歩中のエカチェリーナ2世(チェスメンスキー円柱を背景に)」を組み合わせたデザインですが、ボロヴィコフスキーの作品の現所蔵先はエルミタージュ美術館ではなく、モスクワの国立トレチャコフ美術館です。



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国際地雷デー/アルジェリア

2015年01月22日 | World Topics
2015.1.22 木曜日 雨・曇
 朝から降ったり止んだりの一日でした。気温は朝の8度から日中は10度程度とあまり変化はありませんでした。
 2泊3日の研修に出かけた一行が6時過ぎに帰ってきました。書類は1種類目の残りを終えました。

 普通切手帳の通信販売終了のお知らせが出たと言うことを教えていただきました。そのURLをクリックすると、昨年11月12日に報道発表された「普通切手帳の発売」の末尾に「通信販売は在庫がなくなりましたので、終了いたしました(1月22日13時更新)」と追加記入されているだけです。こんな発表で伝わるんでしょうか。

 今日の画像は、1月分のワールドトピックスから2014年4月4日に発行されたアルジェリアの国際地雷デーで「復興と再生を阻む見えない殺人兵器」です。
 毎年4月4日の「地雷に関する啓発および地雷除去支援のための国際デー(以下、国際地雷デー)」は、地雷や爆発性戦争残存物(ERW)に対する人々の認識を高めると同時に、こうした脅威から世界中の市民を解き放つために行われている“地雷除去”の取り組みに光を当てる日として、2006年、国連によって制定されました。切手を発行したアルジェリアに関しては、2013年1月、リビアとの国境に近いイナメナス近郊で、日本人技術者も犠牲になった人質拘束事件に際して、犯行グループが施設内に地雷を埋設し、事件後、アルジェリア軍がその撤去にあたったことが報じられました。2014年の国際地雷デーは「地雷除去に取り組む女性たち」をテーマに様々な活動が行われたましたが、アルジェリアの切手には“女性”をイメージさせる要素は何も描かれていません。




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第1次世界大戦開戦100年/ドイツ

2014年12月30日 | World Topics
2014.12.30 火曜日 晴
 朝は8度を切ったくらいで、日中は13度近くまで上がりました。
 二男は今日も仕事で普通に出勤、嫁と娘は朝早くから正月用の買い物をしに糸島まで出かけました。長男は昨日の疲れからか昼頃まで寝てました。私は銀行へお年玉用の新札を両替に行き、ついでに郵便局で送金をすませました。
 昼過ぎからは、娘が長男にクリスマスプレゼントのおねだりで電器店にでかけ、iPODを買って貰い、付いていった嫁も毛玉取りとスチーマーを買って貰ってました。私には携帯電話を渡していたので、ポイントを貰いました。
 その後、長男にはしめ縄を飾って貰い、夕方から飲み会にでかけるために帰りました。明日、やってくるそうです。
 二男が5時前には帰ってきました。明日まで仕事と聞いてましたが、仕事納だったようです。4日まで休みだそうです。

 年賀状は全然手付かずです。机上の整理をしないとやる気になれません。と言うことで、いろいろと片付けて、この日記も21日から昨日の分までをアップしました。
 夜になって、年賀状の準備を始めました。まずは嫁の分から差し出す相手のリスト確認しました。文面は娘が描いた羊のイラストを入れて作りました。私も切手以外の方宛に同じイラストを使いました。郵趣家宛は何にしようかと決まらないままです。

 鳴美から郵便局の本の再遅刊の通知が届きました。原稿の印刷ミスがあったそうです。2月になるそうです。コピーレター「あきしの」も届きました。

 今年の回顧その4、10月~12月です。
 10月。11日は娘と嫁の3人でくじゅう花公園から湯布院へ行きました。18日と19日はスタンプショウはかたでした。23日から沖縄で会議と研修会で、25日は美ら海水族館などを観光してきました。
 11月。15日は、英彦山から耶馬溪へと紅葉狩りに娘と2人で出かけました。英彦山では夏に久住登山が出来なかったので、その代わりに山頂まで登りました。登り始めるとすぐに心臓がきつくなり、かなりゆっくり登りました。20日夕方からは2泊で東京出張でした。22日は昼過ぎの飛行機で帰り、そのままさだまさしコンサートに向かいました。23日は嫁と娘の3人でライトアップされた大興善寺の紅葉狩りへ行きました。
 12月。26日に心臓の造影CT検査をしたところ、血管狭窄が3ヵ所見つかり、年明け1月5日から入院して治療することにしました。

 今日の画像は、12月分のワールドトピックスから今年8月7日に発行されたドイツの第1次世界大戦開戦100年で「反骨の反戦・平和を貫き通したドイツの版画・彫刻家」です。
 1914年6月28日、サラエボ事件が発生したことから始まった第1次世界大戦は、今年、開戦から100周年にあたっています。、ドイツでは、20世紀前半のドイツを代表する女性芸術家ケーテ・シュミット・コルヴィッツが1924年に制作した版画『二度と戦争をしてはならない』を取り上げ、記念切手を発行しました。コルヴィッツは1919年に女性初のプロイセン芸術院の会員に任命されたほか、1929年にはプール・ル・メリット勲章を受章するなど、ワイマール体制下で高い評価を得ましたが、反戦、貧困救済の姿勢を変えませんでした。1935年にナチス入党を拒むと反ナチス的な作家として、展覧会開催や作品制作など芸術家としての活動を禁じられたましが、ザクセン公エルンスト・ハインリヒの支援を受けて秘かに制作を続けました。1939年に第2次世界大戦が始まり、ナチスによるファシズム支配の中であっても、女性の悲惨と嘆きを通して戦争を描き続けたましが、第2次大戦終結直前の1945年4月22日に亡くなくなりました。



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ポンパドゥール侯爵夫人没後250年/フランス

2014年12月29日 | World Topics
2014.12.29 月曜日 晴
 朝夕は曇ってましたが、日中は晴れました。朝は9度くらいで、12度まで上がりました。
 朝4時半頃に長男が寝室にやってきて、緊急出張の要請が入り、今から長崎の上五島へ行くことになった、と言って家を出ました。仕事場で必要な道具類を揃えて、長崎港まで走り、船で渡るそうです。
 私は、1月5日からの入院を決めたので、病院に連絡をしました。入院することで、7日にやろうと思っていたことを片付けに仕事納をした職場に行きました。数人の同僚がやってきていろいろと片付けていました。管理職にも入院の連絡もしました。取りあえず一通りの片付けをして、一部の書類を持ち帰りました。

 夜9時頃に長男も二男も帰ってきました。長男の上五島での仕事は1時間ちょっとで終わったそうですが、帰りの船を待っていたそうです。

 今年の回顧その3、7月~9月です。
 7月。今年の博多祇園山笠は転勤したことで一般見物人に戻りました。27日は小郡での筑後地方切手のつどいには午前中だけ参加し、昼からは阿蘇にトウモロコシを食べに行きました。
 8月。1日夜から恒例の久住登山に出かけましたが、2日は雨で登山は中止しました。2年続いて登りませんでした。早めに別府のホテルに行ってのんびり過ごしました。5日からは宿泊ドッグに行き、脳MRIとMRAの検査を追加で受けましたが、その結果は良くありませんでした。10日は長崎稲佐山でのさだまさしコンサート「長崎から東北へ」に行き1泊してきました。宿泊ドッグの結果が届いたので、16日にいつもの病院の先生と相談して、25日に大学病院で再検査をすることにしました。その間の19日からは東京へ1泊出張です。25日の診断の結果は薬の服用と半年後の再検査と言うことになりました。30日は娘のバレェ教室の発表会でした。頑張ってました。31日は娘と二人で長崎へドライブに行きました。
 9月。1日に長男が中央区へ転勤しました。17日から2泊で宿泊研修でした。その後も何かと予定が入りました。お墓を買って霊園が近くなったので、ついでにどこかへドライブということが無くなりました。

 今日の画像は、12月分のワールドトピックスから今年7月7日に発行されたフランスのポンパドゥール侯爵夫人没後250年で「美と教養でルイ15世の寵愛を得た女性」です。
 フランス国王ルイ15世の公妾として、フランス政治にも強い影響を与えたポンパドゥール侯爵夫人ことジャンヌ=アントワネット・ポワソンは、1721年、パリの銀行家の娘として生まれました。美貌と才知によってルイ15世に見初められ、1745年、正式に公妾となりました。この切手のデザインは、モーリス・カンタン・ド・ラ・トウール(1704-88年)が、1755年に制作した肖像画『ボンバドゥール侯爵夫人の肖像』(ルーヴル美術館所蔵)一部です。切手右端に少しだけ描かれている書物は啓蒙思想家のヴォルテールやディドロの編んだ『百科全書』です。



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国際家族農業年/ブラジル

2014年12月27日 | World Topics
2014.12.27 土曜日 晴
 久しぶりに一日中晴れました。朝は2度台まで冷え込みましたが、日中は11度を超えました。
 朝、昨日の検査結果を聞きに行きました。心臓には3本の冠動脈がありますが、それぞれに50~75%の狭窄がありました。治療をするかどうかの境目が50%だそうです。治療方法はカテーテルを入れることになります。手術日は火水木なので、月曜に入院して週末退院が最短コースのようです。早ければ1月5日入院と言われましたが、その場で決めることは出来ませんでした。週明けに電話で確認することにしました。
 帰宅し、嫁と相談しました。さっさと入院して治療した方が良いという方向です。はっきりとした結論は持ち越しです。でも、入院するとすれば1月5日からがベストと思ったところ、退院予定後の1月10日は郵趣会です。新切手人気投票の準備やらけしいんオークションの原稿も送信しなくてはいけないと思い、とりあえず、新切手のリスト作りをしました。すると、なぜか地方自治の愛媛県がありません。ちゃんと買った記録があるのですが現物が行方不明です。

 郵趣1月号が届きました。谷之口君が10枚の切手を担当していますが、日本の一番切手が入っていませんね。私だったら1981年の東京国際切手展の4種連刷を入れます。JPから今年最後の記念切手が届き、全種が揃いました。

 勝手な恒例、今年の回顧その1、1月~3月です。
 1月。年末から二男は出張中で、家族4人での年越しになりました。2日からその4人でハウステンボスに行き、すぐ近くのホテルに宿泊しました。翌日は海きらら水族館から平戸を回って帰りました。18日から1泊で消印同好会の全国大会が奈良でありましたので参加しました。
 2月。8日には母の一周忌法要を行いました。今年は長崎ランタンフェスティバルには行きませんでした。16日は北九州切手のつどいに行ってきました。
 3月。14日にさだまさしシンフォニックコンサートに行きました。15日は1泊で椙山さん主催のファンタスティックスタンプクラブの例会に参加しました。31日に娘と2人で阿蘇の一心行の花見に出かけました。

 今日の画像は、12月分のワールドトピックスから今年6月3日に発行されたブラジルの国際家族農業年で「貧困・飢餓の撲滅」です。
 国際家族農業年(略称IYFF2014)は、特に農村地域における飢餓や貧困の撲滅、食料安全保障および栄養の提供、生活改善、天然資源管理、環境保護そして持続可能な開発を達成するうえで家族農業や小規模農業が担う重要な役割について、世界の注意を喚起することにより、その認知度を高めることを目的として、2011年の第66回国連総会で制定された国際年です。国連食糧農業機関の主催により、今年8月にインドのチェンナイで「21世紀の家族農業に関する会合」を始めとする国際会議が開催され、①家族農業の持続的発展を可能にする政府の環境整備の促進、(診知識、交流、人々の認識の向上・拡大、③家族農業のニーズ、可能性および制約について更なる理解と技術的支援の確保、④持続可能性のための協働を創出、を主たる活動目標として掲げました。

今日読み終えた本。今月の3冊目(今年55冊目)
「美食の報酬/歌声の消えた海」、W・リンク/R・レビンソン著、河原畑寧訳、二見書房刊





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サラエボ事件100年/オーストリア

2014年11月26日 | World Topics
2014.11.26 水曜日 雨・曇
 予報通り、昼過ぎに雨が降りました。朝は14度、日中16度程度でした。
 書類の書類が終わりましたが、さらにその後の書類が出てきます。ピークは明日です。今日も6時過ぎには帰りました。

 今日もこれといった手紙は届きません。郵趣が届いているようですが、私の所には届いていません。

 今日の画像は、11月分のワールドトピックスから6月28日に発行されたオーストリアのサラエボ事件100年で「第1次世界大戦の発端となった事件」です。
 サラエボ事件は、オーストリア=ハンガリー帝国の皇太子夫妻が、ボスニア系セルビア人の青年に殺害された事件です。
 オスマン帝国の支配下に置かれていたボスニア・ヘルツェゴビナは、1878年にオーストリアに占領され、1908年からは正式にオーストリア=ハンガリーニ重帝国領に編入されました。これに対して、この地域のスラブ系住民は、ハブスブルク家の支配に反発し、セルビアや他の南スラブ諸国への統合を望んでおり、社会的に不安定な状況が続いていました。1914年、ハブスブルク帝国は大公夫妻にボスニア・ヘルツェゴビナの中心都市であったサラエボを訪問させ、セルビア人に対する宥和姿勢を演出しようとします。日程は夫妻の結婚記念日にあたる6月28日に設定されましたが、この日はセルビア正教の祝日である聖ヴィトウスの日であるとともに、1389年にセルビアがオスマン帝国に敗北を喫したコソボの戦いの日でもありました。このため、セルビア民族主義者は“侵略者の手先”である大公のサラエボ訪問に憤激。ついには、秘密組織票手組のガブリロ・プリンツイブが夫妻を暗殺しました。事件の1カ月後、オーストリア=ハンガリー帝国はセルビアに宣戦を布告。世界大戦の端緒となりました。



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バンジャマン・ラビ工誕生150年/フランス

2014年11月25日 | World Topics
2014.11.25 火曜日 雨・曇
 未明に結構雨が降っていたようです。日中は降ったり止んだりの一日でした。そのせいでしょう、朝は17度で日中18度と気温の変わりませんでした。
 昨日処理を終わった書類のほとんどはミスはありませんでした。別に提出された書類もあり、その処理に時間がかかりましたが、6時過ぎには帰りました。

 思い出して、スターオークションの落札速報を見てみると、6点中1点のみ落札したようです。他の5点は不落札なら欲しいと言う程度でした。

 連休明けで届いた手紙の多くは定期便です。旅行先の熊本からお便りも届きました。この方、よくあちこち行かれます。この前は沖縄にも行ってありました。

 今日の画像は、11月分のワールドトピックスから6月23に発行されたフランスのバンジャマン・ラビ工誕生150年で「フランスの挿絵画家・絵本作家」です。
 フランスのイラストレ一ター、バンジャマン(英語読みだとベンジャミン)・ラビエは、1864年12月30日、フランス西部に生まれました。
1891年2月、初のイラストが「ル・ギル・ブラ・イラストレ」紙に掲載されました。これを機に、1939年に亡くなるまでの48年間に膨大な数のイラスト、バンド・デシネ(フランス語圏に特有のスタイルの漫画)を残しました。代表作としては、黄色いアヒルを主人公とした冒険物語の『ゲデオン』シリーズ、ベルキューブ・チーズのキャラクター「笑う牛」などがある。この小型シートは、ラビエの肖像を描く切手とアヒルのゲデオンを描く切手を収めているほか、左下の余白には周囲に目打の穿孔を施したウサギが、右下のバーコード部分には牛が描かれているなど、遊び心にあふれた構成になっています。




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リヒャルト・シュトラウス誕生150年/ドイツ

2014年11月24日 | World Topics
2014.11.24 振替休日・月曜日 晴・曇
 良い天気で、22度を超えました。
 今日もゆっくりと起きました。よく考えたら、木曜日に持ち帰った仕事がありました。当然ながら全くの手付かずです。
 遅い朝食の後、処理を始めました。やり始めると、準備不足に気がつきましたので職場に出かけました。準備をすませるのに1時間程度かかり自宅に戻りました。その後はセッセと書類の処理をして、7時過ぎには何とか終わりました。
 それからは次回のけしいんオークションのリスト作りをしました。電子メールでの送信が出来ないので、コンビニに画像のコピーを取りに行き、発送準備を終えました。

 今日の画像は、11月分のワールドトピックスから6月5日に発行されたドイツのリヒャルト・シュトラウス誕生150年で「ドイツ後期ロマン派を代表する作曲家」です。
 ドイツの後期ロマン派を代表する作曲家で指揮者でもあるリヒャルト・ゲオルグ・シュトラウスは、1864年6月11日、バイエルン王国のミュンへンで生まれました。1885年、近代的指揮法を創始したビューローがミュンへンで辞任するとその後継者となりました。作曲家としては、1889年、交響詩『ドン・フアン』を発表。以後、『ツアラトウストラはかく語りき』(1896年、映画『2001年宇宙の旅』でも使われた)などの交響詩。1905年、オペラ『サロメ』を発表して大きな反響を呼びました。1949年9月8日、バイエルンのガルミッシュ=パルテンキルヒェンで没しました。享年85歳でした。この切手は、交響詩・オペラの作曲家にして指揮者という面を意識して、彼のシルエットとオーケストラの楽器を組み合わせたデザインとなりました。



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エル・グレコ没後400年/バチカン市国

2014年10月30日 | World Topics
2014.10.30 木曜日 晴
 朝は曇っていましたが、その後は晴れました。22度くらいまで上がりました。
 昼過ぎくらいから何となく身体がだるく感じてきました。5時半過ぎには帰途につきました。

 今日、ホークスが優勝しましたが、何ともスキッとしない勝ち方でした。これまで、リーグ優勝・CS勝ちと某デパートから決まった途端にメルマガが来ました。今回もすぐに届きました。もちろん内容は「優勝セールやります」です。

 明日の正午が締切なのでジャパンに2点のみ入札しました。予想としてはスタート値の発表で終わりそうです。

 けしいん誌が届きました。

 今日の画像は、10月分のワールドトピックスから5月20日に発行されたバチカン市国のエル・グレコ没後400年で「スペイン美術黄金時代の三大画家の一人」です。
 エル・グレコは1541年、ヴェネツィア共和国の支配下にあったクレタ島で生まれました。本名はドメニコス・テオトコプ一口スで“エル・グレゴ’とは“ギリシャ人”を意味する通称です。現存する作品の8割以上は聖人画を含む宗教画で後の1割が肖像画ですが、絵画のみならず、彫刻や建築の構想も手掛けています。死後は忘れられた存在になっていましたが、20世紀初頭、印象派の画家やピカソらによって、その独自性が再評価され、現在ではベラスケスやゴヤらと共に美術史上の巨人と位置づけられています。この切手は没後400年の記念切手に取り上げられている作品は、バチカン美術所蔵のキリスト像の1点で、通常は一般に非公開の“使徒の間”に置かれている。



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シェイクスピア誕生450年/ボスニア・ヘルツェゴビナ

2014年10月29日 | World Topics
2014.10.29 水曜日 晴
 今日も良い天気です。朝は11度台まで冷え込み、20度くらいまでしか上がりませんでした。
 今週と来週は職場内での相互研修期間になっています。そのせいで一息つく時間がかなり短くなっています。今日は見る方の研修でしたが、思ったよりもやってるな、と言う雰囲気でした。

 夜、何かをしようとすると睡魔がやってきます。今日のホークスは劇的なサヨナラ勝ちでした。あと1つです。

 17日に注文したオーランドのイヤーセットが届きました。今度は注文から2週間です。切手が貼られていないのでいつ発送しているかが全く分からないのが残念です。

 今日の画像は、10月分のワールドトピックスから5月9日に発行されたボスニア・ヘルツェゴビナのシェイクスピア誕生450年で「イギリス・ルネサンス演劇の代表」です。
 英国を代表する文豪、ウイリアム・シェイクスピアは1564年にイングランド王国に生まれました。1592年頃までにシェイクスピアはロンドンヘ進出し、俳優として活動するかたわら次第に脚本を書くようになり成功を収めました。シェイクスピアは国王一座で上演する戯曲の多くを執筆したり、名優の一人としても活躍しました。1612年に引退するまでに数多くの作品を残しましたが、その代表的なものとしては、四大悲劇の『ハムレット』、『マクベス』、『オセロ』、『リア王』をはじめ、『ロミオとジュリエット』、『ヴェニスの商人』、『夏の夜の夢』、『ジュリアス・シーザー』などが挙げられる。このうち、『ハムレット』の先王の幽霊、『お気に召すまま』のアダムなどは俳優の一人として、自らその役を演じています。この生誕450周年の記念切手には、彼が引退する直前の1610年頃の姿を描いたと思われる肖像画が取り上げられている。



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