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茶山庵から

無職の茶山人が日々の退屈な内容と趣味の事柄を綴っていきます

高圧変圧器発明125年/セルビア

2016年12月30日 | World Topics
2016.12.30 金曜日 晴
 朝から一日中良い天気でした。朝は3度まで下がり、最高10度を超えました。
 昼過ぎに長男が戻ってきました。昨日が仕事納だったようですが、元日は仕事なので明日までです。二男は今日まで仕事です。
 年賀状は、嫁の分から取りかかり、昼過ぎには出来上がりました。そして、自分の分は夜から初めて深夜に終わりました。

 昼過ぎから娘とミスドの福袋を買いに出かけました。ミスドの福袋は年末から売ってます。ドーナツ20個分のチケットとカレンダー等のグッズが付いています。早速ドーナツ10個を買いました。

 鳴美からたんぶるぽすと1月号と増刊74号「小判切手 東京市内局のボタ印」が届きました。中身の濃い本です。妹から娘にお年玉が届きました。添えられていた手紙にはビックリの内容がありました。中3の甥の進学先はラグビー留学でニュージーランドに決めたそうです。

 今年の回顧その4、10月~12月です。
 10月。1日に長男が久留米の支店へ異動しましたので、2日にアパートへ行ってきました。8日から娘と二人で長崎くんちを見行きました。今回も健康ランドに泊まりました。15日と16日はスタンプショウはかたでした。27日から熊本で九州大会が開催され、兄が表彰されました。
 11月。7日から12日まで娘は修学旅行でパリに行ってました。13日はさだまさしコンサートでした。18日から全国大会が東京で開催され20日に帰ってきました。23日は1人で耶馬溪へ紅葉狩りへ行きましたが、終わってました。
 12月。特に何もありませんでした。

 今日の画像は、12月分のワールドトピックスから2016年6月21日に発行されたセルビアの高圧変圧器発明125年で「未来を見つめた科学者 ニコラ・テスラ」です。
 交流電力の電圧の高さを電磁誘導によって変換する変圧器の歴史は、1831年、マイケル・ファラデーが電磁誘導の法則を発見したことから始まります。
様々な技術開発の元、1891年、ニコラ・テスラは高電圧を高周波数で発生させる空芯コアで共鳴を利用したテスラコイル(100万ボルトまで出力できる高圧変圧器)を発明します。磁束密度の国際単位「テスラ」にその名を残しています。1943年に米国で亡くなった後、数トンに及ぶとされる彼の発明品・設計図はいったんFBIに押収されて複製された後、母国に返還されました。現在はベオグラードのニコラ・テスラ博物館に保管され、2003年にユネスコの記憶遺産に登録されています。この切手は、世界で最も著名なセルビア人の1人であるテスラを讃えて、彼の生誕160周年にして、代表的な発明である高圧変圧器の発明125年に合わせて発行され、彼の肖像も描かれています。



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日本人移住80年/パラグアイ

2016年12月29日 | World Topics
2016.12.29 木曜日 曇
 昼頃まで細かい雨が降ったり止んだりしてたようですが、今日は家から一歩も出ていません。朝は5度くらいで最高9度でした。
 ずっとフレーム切手をしながら日記を書いてました。日記の方は昨日分までアップして、追いつきました。フレーム切手はリオデジャネイロ・オリンピック金メダリスト公式フレーム切手の整理もしました。購入漏れの3種もリーフを準備しました。フレーム切手の整理は、A4版の厚手用紙を使っていますが、残りが透くなってきたので、アマゾンに注文しました。ついでにコミックもいろいろと。
 年賀状の準備に入りました。自分の分で郵趣家用とそれ以外の2種と嫁の分の3種類です。一応、原案は出来ました。

 東京北部局のIJP機械印を狙っての葉書が届きましたが、52円1枚貼りはIJP機械印でしたが、間を離しての50円+2円は丸型印でした。

 今年の回顧その3、7月~9月です。
 7月。17日に嫁と娘の3人で阿蘇にトウモロコシを食べに行きました。あちこちで地震の影響が残っていました。24日は小郡での筑後地方切手のつどいに参加しました。
 8月。9日に娘と二人で長崎へ行きました。17日午後から恒例の久住登山に変わり、5人全員で旅行に出かけました。フェリーで大阪南港に着き、18日はお伊勢参りをして志摩に宿泊、19日は鳥羽水族館から新宮に回ってホテル浦島に宿泊、20日は熊野那智大社と滝、熊野本宮を回って大阪南港からフェリーで21日に帰ってきました。上旬から左足の腫れが気になったので病院に行ったところ、心臓に原因があるかも知れないので29日から検査入院をすることになりました。29日から入院の検査結果は、結局心臓カテーテル手術になりました。今回も足からカテーテルを入れましたので、きつい術後でした。
 9月。2日に退院しましたが、夕方から出勤して、夜は同僚と飲み会に参加しました。17日は娘の修学旅行説明会に嫁と参加した後、そのまま新門司港へ行き、車なしでフェリーでに乗り、神戸へ行きました。神戸では美術館巡りをしてきました。18日のフェリーで戻り、小倉でも美術館を参観してきました。

 今日の画像は、12月分のワールドトピックスから2016年5月31日に発行されたパラグアイのパラグアイ日本人移住80年で「日本人移住の第一歩は ラ・コルメナ移住地から」です。
 日本人の移住は、明治初頭、ハワイから始まりました。パラグアイへの移住は1935年に日本人移民100家族が始まりです。ところが、1936年2月17日にクーデターが発生し、「日本人移民の入国許可は前政権が出したものであって、現政権はこれを認めない」としたため、再申請し同年4月30日に日本人移民100家族を試験的に受け入れる許可が下り、8月にラ・コルメナ移住地への入植が開始されました。入植当時パラグアイでは、マンジョカ芋や豆類が自給自足程度に栽培されるに過ぎませんでしたが、日本人移住者により野菜が栽培され、食べ方や調理法を紹介して普及させてきた結果、現在では、野菜市場やスーパーに豊富な種類の野菜や果物が並んでいます。




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上海ディズニーランド/中国

2016年11月30日 | World Topics
2016.11.30 水曜日 曇・晴
 晴れ間が出たものの、雲の多い一日でした。朝は10度で最高16度を超えました。
 明日必要な書類はかなり厳しい状況ですねぇ。出せるかなぁ。でもやらないと行けません。9時頃まで頑張って帰りました。いつも遅く帰っているようなので、今月の残業時間を計算してみると、約50時間になりそうです。残念ながら残業手当というのは付かない職場です。

 夕食は10時近くになり、その後のメールチェックとネット巡回。そしていつものように睡魔という定番コースです。

 今日も喪中のお知らせが届きました。

 今日の画像は、11月分のワールドトピックスから2016年6月16日に発行された中国の上海ディズニーランドで「米中友好を演出」です。
 上海ディズニーランドは、2016年6月16日、中国・上海市に開業した、世界で12番目のディズニーパークです。上海ディズニーランドの大きな特徴は、近年、ディズニーが推し進めている「現地化」です。上海だけのアトラクションやショップ、レストランが多く造られ、特に、メインストリートはなく、そのかわりに、エントランスがミッキーとその仲間たちのホームタウンという設定となっています。また、上海ディズニーランドのエネルギー源は、天然ガスエネルギーステーションによって、蒸気・冷気・熱水・電力を綜合利用する形式が取られていて、世界のディズニーランド6園のうち、初めての試みです。



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国連平和維持要員の国際デー/オーストリア

2016年11月29日 | World Topics
2016.11.29 火曜日 晴・曇
 晴れたり曇ったりしてました。阿車6度まで下がりましたが、最高15度を超えました。
 昨日の書類の処理を終えましたので、木曜日提出の書類のデータが集まりました。まだ紙データのものもあるので、PCに入力しなくてはいけません。帰途についたのは9時近くでした。

 9時過ぎに帰宅すれば、片付ける気持ちはあるものの、行動までには行きません。

 郵趣12月号が届きました。切手関連誌が届くと嬉しいです。後は他の定期刊行物が届いています。

 今日の画像は、11月分のワールドトピックスから2016年5月29日に発行されたオーストリアの国連平和維持要員の国際デーで「平和のため、変革のため、そして未来のための部隊」です。
 国連平和維持活動(PKO)は「国際の平和及び安全を維持する」ため、国連が小規模の軍隊を現地に派遣して行う活動のことで、1948年に設立された第1次中東戦争停戦後の国連休戦監視機構がルーツとされています。その創設記念日にあたる5月29日は、現在、「国連平和維持要員の国際デー」に指定されています。1949年には第1次インド・パキスタン戦争の停戦から国連インド・パキスタン軍事監視団が設立され、1956年の第2次中東戦争(スエズ危機)の際には第1次国連緊急軍が創設され、危機を鎮圧しました。1980年代までのPKOは、非武装の軍事要員で編成する停戦監視団もしくは軽武装の平和維持軍の活動が主でしたが、1989年に国連ナミビア独立支援グループの下、文民による選挙監視活動が初めて実施されました。さらに、1989年12月の冷戦終結後は、地域的な民族・宗教・領土紛争などが頻発するようになったため、活動の規模や内容も徐々に拡大・多様化しています。



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チェルノブイリ原発事故30年/ウクライナ

2016年11月28日 | World Topics
2016.11.28 月曜日 曇
 一日中曇り空でした。朝の12度から日中でも13度気温は上がりませんでした。
 先週金曜日が提出締切だった書類を整理し、点検しなくてはいけません。そして、今週木曜日に提出しなければいけない書類のデータの一つになるので、早急に処理しなくてはいけません。しかし、今日は5分の1だけで7時半頃帰りました。

 夜の過ごし方は変わりません。夕食後、メールチェックをして、ネット巡回をしてから、片付けようとすると睡魔がやってきます。昨日の日記のアップで3週間遅れまで回復しましたが、まだまだです。

 今日届いたのは、請求書くらいです。

 今日の画像は、11月分のワールドトピックスから2016年4月26日に発行されたウクライナのチェルノブイリ原発事故30年で「終わらぬ事故処理」です。
 チェルノブイリ原子力発電所は、1986年4月26日、当時操業休止中だった4号炉で、原子炉が止まった場合を想定した実験を行っていたところ、突如、制御不能に陥り、炉心が融解、爆発しました。チェルノブイリ原発事故の始まりです。この爆発により、一瞬のうちに原子炉が破壌され、原子炉内の放射性物質が大気中に大量に放出されましたが、当初、ソ連政府は住民のパニックや機密漏洩を恐れ、この事故を公表せず、付近住民の避難措置なども取られませんでした。しかし、翌27日、スウェーデンのフォルスマルク原子力発電所で、この事故が原因の放射性物質が検出されて事故が発覚しました。爆発後も火災は止まらず、チェルノブイリ周辺は、居住が不可能になり、約16万人が移住を余儀なくされました。原子炉の爆発などの重大事故による影響は、半永久的に続きます。




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アメリカシリーズ・五輪/スペイン

2016年10月31日 | World Topics
2016.10.31 月曜日 曇・雨
 朝から曇り空で、昼過ぎから小雨が降ったり止んだりしてました。朝は14度で最高18度と肌寒い一日でした。
 今週は祝日がありますが、勤務日になっていて、さらに土曜日も勤務日です。ふぅ。今日からは先日提出した研修書類の実施が始まります。私はまだ期日未定です。明日にすることにしました。
 今月6日に不戦敗となった職場対抗バレーボールは結果的に勝ち残ったことになり、今日7時から試合があります。なぜか娘もやってきて一緒に応援しましたが、負けました。帰りにうどんを食べました。

帰宅後は、メールチェック等を行い、いつものように睡魔がやってきました。

 郵趣11月号が届きました。他は支部報と定期刊行物、DMでした。

 今日の画像は、10月分のワールドトピックスから2016年6月23日に発行されたスペインのアメリカシリーズ・五輪で「ピエール・ド・クーペルタン」です。
 “アメリカシリーズ”とは1989年から、スペインとポルトガルおよび、28カ国が加盟するアメリカ郵便連合(UPAEP)が毎年共通のテーマを設けて発行する切手で、欧州における“ヨーロッパ切手”の先例に倣ったものです。2016年は、南アメリカ初のオリンピックとして8月5日からリオデジャネイロ五輪が開かれるため、オリンピックが共通テーマとして選ばれました。スペインでは“近代五輪の父”とされるピエール・ド・クーベルタンの肖像を大きく描いた切手が発行されました。クーベルタンは、1894年6月23日、パリでスポーツ振興のための国際会議を開催し、スポーツによる青少年の育成と国際相互理解を目的に、オリンピックの復興を提唱。この会議では、国際オリンピック委員会(IOC)を設立すること、4年ごとに大会を開くこと、競技種目は近代スポーツに限ることなども決まっています。そして、1896年に第1回大会がアテネで開催されました。なお、新設当初のIOCは大会実行委員会としての性格が強かったこともあり、会長は次回大会の開催国の出身者でなければならないと憲章で定めていたため、初代会長にはヴィケラスが就任し、クーベルタンは初代事務局長に就任しました。そして、1896年のアテネ大会終了後、1900年にパリ万博の付属大会として第2回大会がパリで開催されることが正式に決定されたことを受けて、IOCの第2代会長に就任。その後、IOC憲章の改正により、1925年まで会長職を務めました。



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ミス・ユニバース2015/フィリピン

2016年10月30日 | World Topics
2016.10.30 日曜日 曇・晴
 昼頃から晴れてきました。朝は14度くらいで、最高21度くらいでした。
 ゆっくり起きて、机上の整理をしながら日記を書きました。とりあえず。昼過ぎには9月24日から10月1日分をアップしました。まだ1ヶ月分残っていますので、その後も続きをしましたが、まだまだです。

 夕食後、二男が帰っていきました。
 日曜なのでクロネコDM便は届きます。届いたのは定期刊行物でした。

 今日の画像は、10月分のワールドトピックスから2016年4月17日に発行されたフィリピンのミス・ユニバース2015で「一夜にしてフィリピンの英雄となった美女」です。
 第64回ミス・ユニバース世界大会は、2015年12月20日、アメリカ・ラスベガスで開催され、世界約80カ国の代表の中からフィリピン代表のピア・アロンソ・ウオルツバックが優勝しました。ミス・ユニバースの選考基準は、外見美だけではなく、知性・感性・人間性・誠実さ・自信などの内面も重視されるだけでなく、積極的に社会貢献を行うなど社会性を兼ね備えた、グローバルな女性像が求められます。フィリピン代表がミス・ユニバースで優勝するのは、42年ぶりの3回目で、フィリピン国内は大いに盛り上がっていました。翌年1月25日、ウオルツバックがフィリピンに一時帰国した際、首都マニラ市内では、交通規制が行われる中で大規模な凱旋パレードが行われ、街中が大歓迎ムードに包まれました。この切手は、ウオルツバックによる42年ぶりの快挙を讃えて、ミス・ユニバースでの優勝決定後、王冠を戴き、客席に向かって手を振る彼女の姿を取り上げたています。



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日本との友好25年/リトアニア

2016年10月29日 | World Topics
2016.10.29 土曜日 曇・晴
 雨は未明に上がったようです。良い天気になりました。朝は18度くらいで、最高21度でした。
 今日は休日自主出勤を夕方までしました。いろいろ溜まっている書類を片付けることが出来ました。
 夕方からは娘と電器店に行きました。修学旅行に向けて、変換プラグを買うためです。フランスのプラグは2種類あるようで、どちらを使っているかは場所によって違うようです。電圧変換の方は買わなくてもいいようです。

 夕方、二男が久しぶりに帰ってきました。二男が帰ってくると、嫁が喜びます。作った料理が残らないからです。

 早々とけしいんオークションの入札葉書が届きました。また、「全国市町村要覧」の新刊が届きました。

 今日の画像は、10月分のワールドトピックスから2016年4月16日に発行されたリトアニアの日本との友好25年で「より近く、より親しく」です。
 バルト海に面したリトアニアは、長年にわたり帝政ロシアの支配下に置かれており、第1次世界大戦末期の1918年2月16日、ロシア革命による帝政ロシアの崩壊を受けて独立を宣言。これを受けて、大戦後の1922年12月20日、日本政府はリトアニア国家を承認し、両国の協定が結ばれました。1939年11月には日本がカウナス市に領事館を開設し、同領事館に勤務していた杉原千畝副領事は、ナチスの弾圧を逃れて亡命を希望するユダヤ人に対して不眠不休で通過ビザを発給し、“日本のシンドラー”と呼ばれています。1940年6月、ソ連によって併合され、以後、1990年に独立を回復するまでソ連の占領下に置かれていたため、日本との外交関係も途絶しました。日本との外交関係の回復は、再独立後の1991年10月10日です。この“日本との友好25年”記念切手は、1991年の国交回復から起算して25年目になるのを記念して発行されたもので、日本を象徴するものとして、国会議事堂や富士山、桜の花などが描かれています。




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ゴッタルド2016/スイス

2016年09月30日 | World Topics
2016.9.30 金曜日 雨
 今日も降ったり止んだりの一日でした。朝は21度くらいで最高27度くらいでした。
 昨日の後処理が手付かずなのに、今日は別の書類が150件ほど集まりました。ほとんどを後回しにして、平常業務の後6時には帰りました。そして、職場対抗バレーボール大会の応援に出かけました。毎年負け続けていましたが、今回は2-0で勝ちました。次は来月6日にあります。

 10年前のスタンプショウはかたに出品したフェロー諸島。どうも2002年までのようです。タイトルリーフだけは作らないといけません。

 今日届いたのは定期刊行物だけです。

 今日の画像は、9月分のワールドトピックスから2016年5月12日に発行されたスイスのゴッタルド2016で「青函トンネルを超え世界一に」です。
 スイスのチューリッヒとミラノを結ぶルート上にある標高2,108mのゴッタルド峠は、。1888年には15kmを結ぶゴッタルド鉄道トンネルが開通しました、1980年に、それまでより600m低い位置でゴッタルド峠を貫く“ゴッタルド・ベーストンネル”の建設が決定しました。新トンネルの工事は1999年から進められ、2010年10月15日にトンネルが貫通し、2016年6月1日に開通式が行われました。全長56.7kmで、わが国の青函トンネル(全長53.9km)を抜いて交通機関に供用するものとしては世界最長となりましたスイス政府による盛大なオープニングセレモニーが2016年6月1日、そして4日、5日には記念セレモニーが開催された。各地から多くの関係者が名誉ゲストとして招待され 特に、1日には一般公募16万人の中から選ばれた500組1,000名が初乗りを楽しんだ。なお、2016年12月11日の開業に先立ち、11月27日にも特別列車が運行される予定となっています。 この記念切手は、ガッターをはさんだ切手2種の連刷形式で、ガッターを含めて峠とその下を通るトンネルを描き、上部には鉄道の車両とトンネルの長さ5万7104mの表示があります。また、トンネル内の石をパウダー状にして切手に付着(断面を表している部分)させています。



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ビール純粋令500年/ドイツ

2016年09月29日 | World Topics
2016.9.29 木曜日 雨
 昨日からの雨は昼前まで続き、その後は降ったり止んだりしてました。気温はずっと23度くらいでした。
 本日使用した書類は最終的にミスはありませんでした。今度はこの書類の後処理が待ってますが、来週月曜日までにすれば良いので、のんびりとします。

 夕食は娘と外食ですませました。そして、かもメールのポカリスエット交換をようやくしました。今月末が交換〆切りでした。

 金メダリスト公式フレーム切手が届きました。レスリング48kgの「登坂絵莉」選手です。鳴美からたんぶるぽすと10月号が届きました。

 今日の画像は、9月分のワールドトピックスから2016年4月7日に発行されたドイツのビール純粋令500年で「バイエルンのピールを飛躍的に向上させた法令」です。
 ビール純粋令は、1516年に「ビールは大麦とホップと水の3つの原料以外を使用してはならない」と定めた法令で、現在でも有効な食品に関連する法律としては世界最古とされています。その後、1493年には、「大麦」が「麦芽」と書き換えられ、1556年にビールの原料として「酵母」が加えられ、「麦芽、ホップ、水、酵母」がビールの主原料として定められ、現在にいたっています。ビール純粋令はドイツ帝国崩壊後もヴァイマール共和国、さらにナチス政権下でも継承され、大戦中も変わらずに適用されていましたが、旧東ドイツでは、ビール純粋令の規定を満たしていない“ビール(もどき)”も醸造されていました。さらに、旧西ドイツもEC(現EU)の加盟であったことから、1987年、欧州裁判所によって、ビール純粋令が保護主義を禁じたローマ条約に違反する非関税障壁と認定されることもありました。このため、ビール純粋令は、ドイツ国内の醸造業者によるドイツ国内向けのビール醸造のみを対象とすることとなり、国外への輸出ビールや、国内への輸入ビールには適用されなくなりましたが、現在でも、ドイツ国内の醸造所の多くは、ビール純粋令の規定を守り続けています。この記念切手は4月23日の純粋令施行記念日に先立ち、2016年4月7日に発行され、グラスのビールを背景に麦とホップが描かれています。



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