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茶山庵から

無職の茶山人が日々の退屈な内容と趣味の事柄を綴っていきます

日本・シンガポール外交関係樹立50周年/シンガポール

2017年05月31日 | 郵趣品
2017.5.31 水曜日 曇・晴
 朝から曇り空でしたが、雨に降るような雲ではありません。昼過ぎからは晴れてきました。朝は21度くらいで最高28度で真夏日は2日で切れました。
 糸島市の王丸に水を汲みに行きました。100円で5分間水が出てきます。だいたい、ポリタンク2缶程度です。帰りは嫁の買い物に付き合いました。買い物をしている間に書店をうろついていると、日本の名峰DVDマガジン第1号がありました。創刊号特価299円だったので買いました。隔週刊で次号からは990円で全80巻です。揃えるかどうかは分かりません。

 山形県の大学のオープンキャンパスを確認しようとHPを見ましたが、削除されているようです。1回目のオープンキャンパスに合わせて7月末の日程が発表されていました。その分を削除したからでしょう。また、東京の予備校の日程がアップされていました。1週間単位なので、7月31日から8月5日までが日程的に一番良いみたいです。思ったほど高い金額ではありませんでしたが、宿泊費がかかります。宿泊施設を別紙で紹介しますと記載されていますが、別紙はアップされていません。
 娘がその予備校のパンフをちょうど貰ってきました。別紙の宿泊施設を見ると、寮みたいなところで2食付き3500円からでした。予備校までは30~40分とかかりますが、1週間泊まっても2万円くらいです。

 夕食後、退職通知と自分宛の葉書を持って、博多駅方面に行きました。まずは近くのポスト(城南局管内)から、山荘通局、美野島付近、博多駅前四局、博多局、博多駅、福岡中央局、長浜付近、大手門局、早良局と回ってきました。退職通知は博多駅のポストに投函しました。ほとんどは博多北局の取集です。福岡中央局だけは今日の取集になります。博多駅にはポストが3つ並んでいます。取集時間が1分ずつずれていてビックリです。

 いろいろしながら、日記も書いていて、5月20日から5月22日分をアップしました。本当はまだアップできたのですが、寝てしまっていました。

 けしいんオークションの入札が届きました。保険会社の新担当者からの挨拶状も届きました。52円料金の駆け込みでしょう。

 今日の画像は、5月分のワールドトピックスから2016年11月29日に発行されたシンガポールの日本・シンガポール外交関係樹立50周年で「幅広い分野で友好・協力関係の深化」です。
 戦前からマレーシアはイギリス領で戦後は植民地、自治州、自治領と変わっていきました。1963年、シンガポールはマラヤ連邦と合流して、マレーシア連邦の一部になりましたが、華人とマレー人の対立から、1965年8月9日、シンガポールは分離独立しました。わが国はシンガポールの独立と同時に同国を国家承認し、1966年4月26日、シンガポールと外交関係を樹立しました。2016年はここから起算して50周年にあたっていることから、両国で外交関係樹立50周年の記念行事が行われ、その一環として、両国の陶芸品を取り上げた共通図案の切手も同じ日に発行されました。このうち、シンガポールの陶芸品として取り上げられたのはイスカンダル・ジャリル(1940年生)の作品です。ジャリルは、1972年には日本に留学し、多治見市で陶芸を学び、教鞭を執りながら陶芸家として活躍しました。一方、日本の陶芸品として取り上げられたのは、荒川豊蔵(1894年生)の瀬戸黒金彩木葉文茶碗と志野一文字文茶碗です。荒川は1955年、瀬戸黒と志野の技術保持者として人間国宝に認定されました。このフルシートが郵趣3月号の表紙を飾っていて、49ページの話題の新切手からと50ページのワールドスタンプナウに紹介されています。



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ユニセフ70年/イタリア

2017年05月30日 | 郵趣品

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孫文誕生150年/中国香港

2017年05月29日 | 郵趣品
2017.5.29 月曜日 晴
 良い天気が続きます。朝は19度でしたが、最高31度を記録しました。福岡では初めての真夏日です。
 盆提灯の発送準備をしました。箱の中身が動かないように、壊れないようにプチプチで保護して、数年前のカレンダーを使って簡易包装して、紐をかけました。
 盆提灯を車に詰め込んで、まずは銀行でスタンプショウはかたの現金を預金して、ヤマト営業所で盆提灯を発送しました。ヤマト便は期日や時間指定は出来ないそうです。最後に埃まみれになっているので洗車してきました。

 机上の棚にJPSの卓上カレンダーが数年分あり、万歩計の数字を書き込んでいます。以前は表計算で集計していたので、やり始めました。2013年と14年を入力しました。2013年の最低600歩、最高22000歩、平均は約7300歩でした。1万歩以上歩いたのは55日間あり、たくさん歩いたのは東京、ハウステンボス、山口、長崎ランタンフェスティバルへ行った時でした。
2014年は最低700歩、最高21000歩、平均は約7000歩でした。1万歩以上歩いたのは54日間あり、たくさん歩いたのは東京、熊本から高千穂、ハウステンボスへ行った時でした。暇なことやってますねぇ。でもこれで卓上を棄てることが出来ます。
 31日夜に差し出す予定の郵趣家向け退職通知の文面の印刷を終えました。プリンタの状況がよくありません。最後の方は、申し訳ないような状態です。とても宛名印刷は無理でしょうね。

 愛知県のAさんから切手の博物館で開催されていた「第15回絵画切手展」の小型印実逓便が届きました。東京のMさんからは和欧文機械印狙いの実逓便とけしいん誌が届きました。

 今日の画像は、5月分のワールドトピックスから2016年11月12日に発行された中国香港の孫文誕生150年で「理想を失わなかった革命家」です。
 台湾では国父、中国では革命の指導者とされる孫文は1866年、広東省に生まれました。西医書院(現・香港大学医学部)を卒業し、1892年にマカオで医師として開業しますが、清朝政府を公然と批判して“四大逼”(四人の悪党)の1人に数えられるほどの有名人となりました。1894年1月、清朝の実力者、李鴻章に国家改革を求める信書を一方的に送ったものの無視されたことに立腹し、清朝の打倒を決意しました。翌1895年、広州での武装蜂起を計画しましたが、清朝側に察知されて失敗たので広州から香港を経て日本に亡命しました。清朝政府から反体制派のテロリストとして懸賞金を賭けられ、孫文は海外で亡命生活を送りました。1912年1月1日、孫文は中華民国の臨時大総統に就任しましが、清朝皇帝の退位を条件に地位を袁世凱に譲ることを認め、同年2月13日、袁世凱が大総統に就任しました。以後、孫文は袁の帝政運動、反動軍閥と戦うこととなりました。その後1919年に中国国民党を結成。1924年には中国共産党と提携(国共合作)し、国民革命を推進しましたが、1925年3月12日病死しました。60歳でした。香港が発行した孫文生誕150周年の記念切手は、医学生時代から老年に至るまでの孫文の肖像と、その時々のゆかりの建物が描かれています。他に中国、マカオでも孫文生誕150周年の記念切手が発行され、さらに3郵政の同居型シートまで発行されています。(郵趣3月号50ページのワールドスタンプナウ参照)



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第70回秋の郵趣サロン・サージュタイプ発行140年/フランス

2017年04月30日 | 郵趣品
2017.4.30 日曜日 晴
 良い天気が続きます。朝は16度で、最高28度くらいでした。
 嫁と娘は予定通りに映画を見に出かけました。長男は仕事の関係で映画館で合流です。
 私は、一昨年の初めての入院した分からのいろいろな資料を全部まとめました。病院関連で、娘の歯科矯正の記録も整理しました。また、娘がダニに噛まれたようなようなので、ダニ取りマットを注文しました。3日後に届くようです。

 夕方、嫁たち3人が帰ってきましたが、映画館は大混雑だったようです。昨日、予約してもらっていて本当に良かった、と言ってました。夕食後、長男は帰っていきました。3日からの連休は仕事だそうです。

 今日の画像は、4月分のワールドトピックスから2016年11月7日に発行されたフランスの第70回秋の郵趣サロン・サージュタイプ発行140年で「ジュレ=オーギュスト・サージュのデザイン」です。
 フランスでは、1876年、それまでとは異なる新デザインの普通切手の発行が開始されました。その切手は、平和の女神と商業の神エルメスが地球に手を置く図案で、切手中央の白抜き部分に額面が入ります。切手をデザインしたのがジュレ=オーギュスト・サージュ(1840-1910)だったことから、この図案の切手は“サージュ・タイプ”と呼ばれています。サージュ・タイプの切手は、1900年まで発行され、フランス本国のみならず、在中国局、在トルコ局、在エジプト局などで加別して使われました。2016年は、サージュ・タイプの発行から140年にあたっており、これを記念して、0.80ユーロで黒色と赤色と1ユーロを発行しました。紹介している1ユーロはタイプ1(上)とタイプ2(下)の2種連刷です。左下の“INV”が“U”の下にあるのがタイプ1で、“B”の下にあるのがタイプ2です。第70回郵趣サロンというのはパリで11月3日から6日まで開催された切手展のことです。



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トスカーナ大公国のワイン法300年/イタリア

2017年04月29日 | 郵趣品
2017.4.29 昭和の日土曜日 晴
 今日も良い天気です。朝は16度で最高25度を超えました。夏日になったのは15日以来です。
 朝からネットの定期巡回をしている中で、郵趣サービス社サイトの中にアウトレット商品コーナーを見つけました。その中に大量のフレーム切手が額面+消費税で出ていて、未収の九州関連がいくつかあるのを見つけました。

 9時半頃、嫁と娘の3人で糸島市志摩で開催中の糸島ハンドメイドカーニバルに行きました。この会場は20年以上前に勤務していた知育でしたが、九州大学の移転に伴う道路の新設等でかなり変わっていました。
 このイベントに行った目的は、皮加工ショップの皮加工体験をするためです。このショップは、今月9日にくじゅう花公園に行った際、娘が気になり、このイベントに出店しているということを教えて貰っていました。体験したのは、牛革を使ったコインケース作りです。この体験をすることで、皮加工のやり方を知ることです。その後、芥屋の海岸を散歩して、嫁の実家に回りました。

 帰宅後、郵趣サービス社のアウトレット商品から九州地区のフレーム切手から未収品を注文しました。また、明日は嫁と娘に加えて長男の3人で映画を見に行く予定なので、ネットで映画の座席予約をすませました。私は今のところ、見たい映画はありません。

 今日の画像は、4月分のワールドトピックスから2016年9月24日に発行されたイタリアのトスカーナ大公国のワイン法300年で「ワインの格付け」です。
 イタリアでは、紀元前2000年にはワインが製造されていた記録がありますが、ワインの製造に法的な規制がかけられたのは、1716年、トスカーナ大公であったコジモ3世(切手に描かれている人物)が、自国の著名なワインを保護するため、生産地の境界線を定めた“ワイン法”を公布したのが最初とされています。もともと、原産地の保護を優先しすぎるあまりワイン自体の品質という点においては不備の多い法律であったため、制度としては多くの問題点が指摘されています。




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包括的核実験禁止条約機関/国際連合

2017年04月28日 | 郵趣品
2017.4.28 金曜日 晴
 良い天気の一日でした。朝は10度で、最高23度を超えました。
 9時半頃からリハビリとして、自転車を漕ぎました。25分程度でしたが、さほどきついとは感じませんでした。その後、身体を拭いて、入院費の支払いました。その後、担当医の最後の回診が有り、カテーテルを入れた部分を念のためにエコー検査をしてくれました。大丈夫のようです。昼食を食べ、帰るための着替えをしてTVカードの精算等をすませた頃、嫁が迎えに来てくれました。
 帰宅途中に薬局に寄って、かさぶたを作らないキズテープを買って帰りました。

 3時過ぎに郵便局で保険金請求の手続きに行きました。今回は手術では無く検査で終わりましたので、診断書無しで請求できました。ついでに、理化学研究所開設100周年記念と天然記念物シリーズ第2集の新切手を買いました。

 郵趣5月号が届きました。切手の博物館ミュージアムショップの広告で商品取扱休止のお知らせが載っています。一部の新発行切手とフレーム切手を除いて、日本切手(新旧)の取扱いおよび定常的な販売を休止するとあります。郵趣サービス社も新切手のストックには値を上げたと言うことでしょうか。

今日読み終えた本。今月の10・11・12冊目(今年22・23・24冊目)
「立川談志を聴け」、山本益博著、プレジデント社刊
「ブラタモリ2富士山東京駅真田丸」、NHKブラタモリ制作班著、角川書店刊
「無人駅と殺人と戦争」、西村京太郎著、徳間ノベルズ刊
今回の入院で10冊読めました。

 今日の画像は、4月分のワールドトピックスから2016年9月24日に発行された国際連合の包括的核実験禁止条約機関で「困難な核実験禁止」です。
 包括的核実験禁止条約(CTBT)は、宇宙空間、大気圏内、水中、地下を含むあらゆる空間での核兵器の核実験による爆発、その他の核爆発を禁止する条約です。第2次世界大戦後の東西冷戦下で、核戦争の脅威が語られるようになると、さまざまな反核運動が展開されました。1959年9月、核保有国が主体となってジュネーブ軍縮会議の前身である、10か国軍縮委員会が設立され1963年8月、米英ソ3国によって部分的核実験禁止条約が署名されましたが、地下核実験は禁止されておらず、核実験の禁止という点では不十分でした。その後、1964年に中国が核実験を行い、1974年インドが核実験を成功させました。1996年9月、核兵器の廃絶を求める国際世論もあり、オーストラリアが中心となってCTBTの条約案が国連総会に提出され、採択されました。ただし、CTBTの採択後も、爆発を伴わない臨界前核実験(未臨界核実験)は禁止されていないため、米ロは臨界前核実験を繰り返し、1998年5月、インド、パキスタンの両国が核実験を実施して核保有を宣言。また、北朝鮮は2006年以降核実験を繰り返しています。条約は2016年9月までに183ケ国が署名、166ケ国が批准していますが、発効要件国(核兵器保有国を含む44か国)のうち、米国、中国、エジプト、イラン、イスラエルが未批准、またインド、パキスタン、北朝鮮が未署名・未批准のため発効していないので、条約そのものの実効性には疑問を呈する声も少なくありません。



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