ぶつぶつ地蔵

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アトムへの伝言

2011-08-29 15:29:31 | 舞台関係
6月18日19日 アトムへの伝言


太平洋序曲の後、ホテルのチェックインを経て、京ちゃまとともに扉座観劇です。
扉座30周年企画。2005年に上演されたアトムへの伝言の再演です。(初演の記事はこちら→
ストーリーは前回の記事を参照してください。


この物語の醍醐味は、「ロボットは心を持つのか」ではないでしょうか。
「心」をどう仮定するかで意見は分かれそうですね。(しかも専門的に研究されている方にはいろいろ思うところもあると思います。)
人間の脳と人工脳。
情報をインプットすることを「記憶」と呼び、その事象を、さまざま場面や状況と関連付けることで判断を行うならば、原因と結果は確率的に(環境的に?)それぞれ違ってくるでしょう。その結果を「性格」と名づけるならば、ロボットだって心を持つことになるのかもしれない。(難しすぎる考えは迷路に迷い込むので、このあたりで退散^^;)

初演では、とにかくカッパが可哀そうで可哀そうで仕方がなかった。
ラストのキラキラ降り注ぐカッパの笑顔の破片が心に痛かった。
感傷的なオイラでありました。

今回ももちろんめちゃめちゃ感傷的に観劇いたしました次第です。


んが。


それは観劇後に訪れました。


柳博士を演じられた岡森さんとゆっくりお話をする機会がございまして、ご一緒観劇した京ちゃまといろいろお話をしたんです。
以前、杉山さんにお聞きしたのと同じに、「柳博士はカッパの芸に笑えたんでしょうか?私、柳博士が笑ってくれないとこの話が救われないと思うんです。」と問うてみたのです。
そこで、衝撃的な見解が!

「たとえば、ブレーキが利かない車の交通事故で身内が死んだとして、そんな場合、事故を起こした車を責めたりしないでしょう?普通ならブレーキを解除した会社を責めるよね。柳博士にとってカッパはこの車と同じだと思うんだ。あの場合、カッパを殴るんではなくカッパの制御を解除した研究者たちを責めるのが順当じゃないかな。」

「柳博士は救われてはいけない。人が人を殺してもいいというその一点(柳博士の過去の研究を差してます)は、どんなことがあっても忘れても許されてもいけない。」


目から鱗がボロボロボロ!!!っと落ちました。
確かにそうですよね。
柳博士にとって、カッパはあくまでも機械でしかない。
観劇している私たちは、ロボットだったカッパが少しづつ人間の心(のようなもの)を育んでいく過程を見ている。しかし、博士はそれを知らない。
ならば、「カッパが人を傷つけた」という事実は、操作のミス以外の何ものでもない。
こんなもの!とカッパを多少はたたいても、本当の怒りの先は、制御の解除をした研究者たちに向けられるなと、改めて気付いた次第です。

そしてもう一つの衝撃。
柳博士の懺悔の発端であるカッパが救われてほしくて、柳博士に笑ってほしかった私ですが、博士は笑わなかったのかもしれないと。
人は悔い改めることはできても、過去の過ちをなしにしてしまう事はできない。自分が歩いた軌跡は、自分がずっと抱えて生きなければいけないんだと、改めて感じました。


そうは感じましたが、でも、やっぱり。。。
次に見ても私は感傷的にカッパの最期を見ると思う。
だって、カッパには心があると思うから。
キラキラ落ちてくるあの破片は、ただのパーツじゃない。
カッパの心の欠片だと思いたいから。


いろんな見方があるな。感じ方があるなって、本当に思った今回の「アトム」。
岡森さんといろんなお話ができて、面白かったアトム。(っつか、機械とかいろんな話をする岡森さんが少年だった。。。)



6月の観劇を思い出しながら、今更ながらのブログを書いてみたりいたしました(笑)









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