ぶつぶつ地蔵

地蔵 呟く ひーの言葉を。ぶつぶつと…。

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タギマジのテラ

2010-07-09 16:39:42 | 神社仏閣
二上の麓にあるお寺。当麻寺
信貴山の次に目指したのは、当麻寺なのであります。
ってか、この日のメインは当麻寺だったんですけどね^^
当麻寺は、中将姫様が蓮の糸で綴ったと伝えられる當麻曼荼羅が有名なお寺。
この曼荼羅の絵解きというのもがございまして、コレを聞きに行ったのであります。
絵解きは13時から始まりますから、何が何でも13時までに当麻寺に辿り着かねばなりません。
信貴山から気持ちはずっと駆け足で當麻へ向かったオイラです。
当初の予定では、JR五位堂からブラブラ歩いて当麻寺へ行く予定でした。しかし・・・
信貴山へ行ったことと、信貴山で空鉢さんまでお参りしたことでブラブラする時間はなくなっております。
ブラブラどころか、13時までに辿り着けるかどうかさえ怪しい状態。
かなり焦りモードで、王寺の駅からひとまずJR五位堂へ。そこから、タクシーで当麻寺へと行ったのでした。
近鉄の五位堂の駅は比較的にぎやからしいのですが、JR五位堂はかなりのんびりしてますので、タクシーが並んで待っているなんてことはございません。駅員さんに来てくれるタクシー会社の番号を聞いて、急いで呼んだのであります。

無事、13時10分前くらいに当麻寺に到着。
受付を済ませ、絵解きのお部屋へ。
天井画が非常に素晴らしい、普段はお写経やお写仏をする間を絵説きのときに解放してくださるんです。

小柄な法印様が軽快な口調で、拝聴に来た人たちに、絵解きが始まるまでの間話しかけていらっしゃいました。
適当な場所に腰を下ろし、汗がひくのを待つ。
しばらくして絵解きが始まった。

中将姫様が織られた曼荼羅は、とても大きくとても古いので、ここで使われるのは小さく、でも忠実に再現された曼荼羅です。これを竹竿で指し示しながら絵解きをするんですね。
この解きの口調が独特の節回しで、歌っているような諭しているような・・・なんとも楽しい節なのです。
その昔、まだ出稼ぎとかそういったことがなされていなかった頃、当麻寺の付近の農家の方が農閑期に、お参りに来る人々にアルバイト的に行っていたのが絵解きなんだそうです。なので、文字の読めない民百姓でもわかるように解かれている言葉です。非常に分かりやすいのが特徴で、難しい言葉使いはありません。
誰にでもわかる・・・これが当麻曼荼羅絵解きの特徴のようです。(他の絵解きを聞いたことがないので比べられませんが^^;)
昭和の初期まで語り継がれていた絵解き。途絶えちゃう少し前、当時小坊主だった法印様が、当時のご住職にいやいや覚えさせられたのが絵解きだったんだそうです。戦後から高度成長期、農家の方が出稼ぎに出、語り継ぐ人がいなくなり伝承者が法印様だけになった時、お参りに来られる方全員に対応できないからと途絶えてしまったのだそう。唯一お坊様で絵解きを伝承されたのが法印様だった訳ですが、そういった事情で絵解きは途絶えてしまったのです。
しかし長い間語り継がれた絵解き、本当に途絶えさせてしまっていいんだろうか・・・数十年ぶりに現院主様の勧めで絵解きは復活し今日に至っているそうです。

言葉は書きとめれば残るけれど、節回しは書きとめることができない。
本当に途絶えてしまう前に復活してよかったなぁって思う。
いったん伝承者がいなくなってから復興したものは、「こうだろう」という枠を超えることのできない復活でしかないから。(お能や狂言でも最近とみに復活能とかあるけれど、結局のところ「完全復活はあり得ない」とおっしゃっています。そりゃそうね、本物を知っている人がいないんだもの。この時代これが流行っていた、こう書かれているという資料から推察するしかないんだもんね。)

そんなわけで、ええもん聞けてよかったなってこと。

長くなったので、当麻寺続きます。
次回は写真たくさんアップしますね。




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