ぶつぶつ地蔵

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ICRCとデュナン

2010-02-09 22:25:57 | 舞台関係
歴史物を観て、心惹かれる=人物背景を調べちゃう。なオイラでございます。
2月8日に宝塚雪組公演『ソルフェリーノの夜明け/Carnevale睡夢』を観に行きました。

実在人物って萌対象なオイラですから、もちろん、今回のデュナンくんはハマる=調べるの図式上に居りました。
ハイ。
見事にHit!でございます(笑)


ジャン・アンリ・デュナン 1828年5月8~1910年10月30日

スイスのジュネーブの、厳格なカルヴァン派のプロテスタントの家庭に生まれる。
学業はあまり振るわず、カルヴァン高校を中退後、両替の仕事に就いた。26歳で実業界に入り、アルジェリアで広大な土地を開発する工業、金融の会社を興す。
31歳の年、事業に必要な水利権の獲得をナポレオン3世に直訴しようと思いつき、北イタリアへ向かう。この時ナポレオン3世は、イタリアからオーストリア軍を退却させるためイタリア・フランス軍を指揮していた。
イタリアの独立を目指し戦うフランス・サルディニア連合軍とオーストリア軍の激しい戦いがガルダ湖の近くで1859年6月24日に始まる。
これがソルフェリーノの戦いである。
多くの死傷者の姿を見たデュナンは、地元の女性達が救援活動をしているのに参加。

今回の物語はまさしくこの部分。ソルフェリーノの戦いのさなか、兵士の救援に従事するデュナンを描いています。(タイトル通りですね・笑)

1862年に自らの体験を『ソルフェリーノの思い出』にし、出版。
戦争の悲惨さを緩和し、より人道的な「傷ついた兵士を救援する組織」の思想を発展させる。
翌63年に、デュナンは4人の友人と共に「5人委員会」を立ち上げる。これが後の赤十字の母体となるのである。
デュナンについての演劇の脚本を書いたミッシェル・ベレッティ氏は「わずか5人の男がジュネーブのアパートの一室で、国際的組織をスタートさせたとは。本当に信じられないことだ。こういったことをやるのはジュネーブ人だからで、いわばジュネーブ人の自惚れに近い性格のお陰だ」と分析しているらしい。

ジュネーブ人って、かなり行動的なんでしょうね。イタリア人=陽気とかスペイン人=情熱・・・みたいな感じに、スイス人(ジュネーブの人)の性格って全然知らなかったので、ベレッテ氏の言葉を知ると、劇中の迷いのない決断・行動が納得できる気がします。

1年後、スイス政府は16カ国を招待し国際会議を開催。最初の「ジュネーブ条約」が調印される。条約には「戦争のルールの規定」「戦場での負傷兵の取り扱い」「白地に赤十字の旗」を制定している。
この赤十字の印は、デュナンの母国であるスイスの国旗に由来しているとの説が有力なのだとか。

劇中では、「キリストの十字が赤く染まっている」これを狙って撃つ者はいないだろう。そして、傷ついた人を救う事は「神の御心に沿った行動である」と信じて目印としてました。
これはクリスチャンならではの発想ですよね。
スイス国旗が「神に仕える」という意味を持っているらしいので、ある意味劇中の解釈もスイス国旗に由来するって解釈も、遠くなないんじゃないかと思うオイラであります。

その後のデュナンの人生は事業の失敗や詐欺罪に問われるなど、平穏なものではなかった。
この事件はデュナンをジュネーブ社会から事実上追放することとなり、デュナンに立った悪評からICRCを守るという理由でデュナンはICRCから遠ざけることとなる。
失望したデュナンはジュネーブを去り、アッペンツェルン・インナーローデン州の小さな町ハイデンに移り住む。
その後1892年に病気の為ハイデンの病院に入院。
この病院で残りの18年を過ごしたのだそう。
1895年、ドイツのジャーナリストが病院の取材中にデュナンに気付き、記事として取り上げた事がきっかけとなり、再度デュナンは世界の注目の的となる。
1901年、赤十字創設の礎を築き、ジュネーブ条約を創設した功績を讃えられ、初のノーベル平和賞が送られる。賞金は、彼の意思により赤十字に全額寄付された。
しかしその後、1910年10月30日に特別な葬儀もなくチューリヒで埋葬された。

この、特別な葬儀もなく・・という部分、なんだかアマデウスのラストシーンを想い浮かべちゃって、切ないです。
家族とかいなかったんでしょうか。
お写真(晩年)を見ると、とても穏やかな雰囲気なんですけれど。。。

デュナンの生まれた5月8日は万国赤十字デーなんだって。

伝記『アンリ・デュナン、人道法を創設した人』を書いたジェラー・ジェゲー氏の言葉
「物事が早く進んだのは、デュナンのダイナミックな推進力と執念のお陰だ。歴史的観点からは ( 彼がいなくても ) 50年後には世界のどこかで ( 違う ) 赤十字組織が誕生していたかも知れない。しかしデュナンは時代の先を行った。彼は理想主義者だった。そして自分の考えを具体的な行動に移す人だった」

ソルフェリーノの戦いから150年経った今(正確には今年は151年ですが・笑)、デュナンはどんな気持ちでこの世を見下ろしているでしょうかね。
いつかデュナンのお墓参りに行ってみたい気がします。(←結構、墓マイラーなんです・笑)

(ウィキペディア(Wikipedia)及び「赤十字の父」アンリ・デュナンを参考にさせて頂きました。)


舞台の事って言うより、単純にデュナンの総まとめになってしまった。
ま、いっか。勉強になったから^^