ぶつぶつ地蔵

地蔵 呟く ひーの言葉を。ぶつぶつと…。

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花会式 ~覚書~

2008-04-08 11:34:53 | 呟き
5日に結願を迎えた修二会・花会式。
そんな今日は、お釈迦様の誕生日。皆様、ちゃんとお祝いしてますかー?

いつも花会式には狂言の奉納の時に行くのだが、今回はもろもろの事情で結願の日に行った。
そして、法話を聞かせていただいた。(法話は花会式に限らず、いつでも行っております。)

今回の題材は『花会式と薬師悔過』についてだった。
沢山の笑いの中に含まれた多くの教え。全部は無理だけど、心に引っかかったものを幾つか書き留めておく。

■修二会とは
旧暦の2月にあたる時期。
種を蒔き新たな一年が始まるその頃に、練行衆と呼ばれる僧侶たちによって、天下泰平・五穀豊穣を祈り、また、それまでの一年に犯した罪を民に代わって懺悔(さんげ)するもの。

■練行
魂を練る行を行うこと。

■花会式とお水取り
東大寺の二月堂で行われる有名な修二会であるお水取り。
正式には十一面悔過(じゅういちめんけか)という。
十一面観音様に新しい一年のお願い事をし、それまでの一年を悔過する行事である。
752年より、1256年間一度も絶えることなく続いている行事。(二月堂で出来なかったときには、別のお堂で悔過したといわれている。)
十一面観音様の手に持たれているのが壷であることから、お水取りとなっている。
二七日の行法である。(2週間)

天武天皇によって680年に発願、持統天皇によって697年にご本尊開眼。710年の平城遷都に伴い現在の地に718年に移された薬師寺。
その薬師寺の金堂で行われる修二会が花会式。お薬師様をご本尊とすることから、薬師悔過法要である。
1107年の堀川天皇の御世に皇后様の病気の平癒を願われ、それが叶ったことに対し、皇后様より宮中で作られている10種の花の造花が供えられた。以降、造花を飾る花会式となった。この造花を染めるのに使われているのも薬草である。
一七日の行法である。(1週間)
東大寺さんとは違い、戦争中などに途絶えていた時期もある。

■七
一七・二七とはじゅうなな・にじゅうななという意味ではなく、七日を一回・七日を二回の意味。
仏教では7がひと括りであり、基本の数字である。
七七の四十九日は、七日を七回行い、単なる数字としての49ではなく『沢山』の意味となる。

■2月の意味
お百姓さんが種を蒔く時期。
種を蒔くと百生(姓)じることから、種を蒔く人を『百姓』と呼ぶ。この読み方は『おおみたから』と読む。
宝物とは、『田』からの『もの』。

■弱肉強食
これは自然の摂理であり、根本である。
弱肉強食が悪いのではなく、弱いものの命をいただいて強いものが命を繋ぐ。
しかし、弱いものは繁殖力を生かし、絶えることなく命を繋ぐ。
それを見ることで、生かされている今を感じるべき。

■陰と陽
男を陽とするなれば、外に出て働く。
女を陰とするならば、内にて働く。
このバランスが崩れたときに理が崩れる。
(・・・と言うことは、陰であった女性が陽となって外で働く場合は、男性が陰にならないとバランスが取れないって事。。。いわゆる、主夫ってヤツ。そうすると陰陽のバランスが取れた安定した状態になるって事ですね。そーすると、今後「やすらぐ」の文字は家の中に女ではなく、家の中に男になる可能性もありますね。)

■5つの色と五節句とウチの御カミさん
一年には必ずしなければいけない行事が5つある。家庭内でそれを司るのが家の奥に居る人。奥様・家内・オカミサンである。御・神・さんに通づるかもとの事(笑)
五節句とは、正月・上巳(お雛様)・端午・七夕(しちせき)・重陽の5つである。
この五節句には、5つの色を取り込まなければならない。
中央に黄色(牛王(と言ったと思う^^;))、東に青(青春)、南に赤(朱夏)、西に白(白秋)、北に黒(玄冬)の5色。
正月のおせち料理も、お雛様のちらし寿司も、こどもの日の吹流しも、七夕の短冊も、重陽の菊も5色なんだそう。
重陽に関して、男の人は酒に菊の花弁を浮かべて小高い丘で飲む慣わし(中国の故事にちなんでいる)が、女性は菊に綿帽子を被せ、一夜明けてから夜露と菊の生を含んだ綿を搾ると、なんとか一滴ほどの雫を得ることが出来るらしい。この雫を肌に塗ると美しく保てるんだそう。

■悪業とは
無始(始まりも終わりもない)の
貧・・・むさぼる心。満足を得れない心。
瞋・・・いかる心。怒りとは正悪に関係なく、己の心にそぐわないときに感じるもの。
癡・・・おろかなる心。
による
身・・・直接的に傷をつけること。ほとんどの人がする事はないが、全体の10%に満たない程のニュースなどで聞くような痛ましい事件。
語・・・言葉によってつける傷。不登校になってしまう、死んでしまいたいと思わせるような言葉。自分がそうとは思わなくても、刃となっている場合があるもの。
意・・・心の中でつける傷。「あいつなんて死んでしまえばいい」など心の中で思うこと。
これら6つ、全て同じ罪である。

■懺悔(さんげ)
悔い・過ちと書いて、悔過。
人は生きていると、間違いを犯す。
それは、認識していようと無意識であろうと『罪』である。
発露懺悔すれば(内より出して過ちを悔いれば)、罪は即ち消除する。


「毎日、朝には仏様に一日の無事などお願い事をし、夜眠る前にその日あった事の懺悔をすれば、毎日を意欲的に生き安眠する事が出来ます。」と最後に締めくくられていた。


あ~・・・オイラの頭がぼんやりしてるから、もっといろいろおっしゃって下さったのに、ツルツルっと滑り落ちてるよぉ。。。
ってか、取り違えてることがいっぱいあるかもしれないのが不安だなぁ。。。
ま、これを読まれた方は鵜呑みにせず、ちゃんとお話を聞きに行ってくださいまし。