Cafe Bridge 粉闘記

bridgetの日記の続編です。
カフェオープンからの日々のできごとや思ったことをつれづれなるままに。。。

伊雄山と浮山

2016-03-18 | カフェ
急に暖かくなってきました。伊豆高原の桜は咲いていますが、城ヶ崎海岸の桜はもう少し先のようです。

さて、今日のカフェ、嬉しいお客様が来てくれました。東京で仕事をしていた時の同僚です。素敵な奥様と1歳3か月の可愛いお嬢ちゃまと一緒に南伊豆の帰りに寄ってくれました。会社を辞めて以来ですから、5年ぶりの再会です。ご来店どうもありがとう!

さて、一昨日のお休みに伊豆高原ジオパーク研究会主催のジオ研ツアーに参加してきたお話です。
今回はジオ探訪「スコリア丘(伊雄山)と知る人ぞ知る浮山の海岸」。
今回はバスで移動しながら、要所要所を回りました。まず、向かったのは浮山別荘地。そうなんです。別荘地から入るんです。


別荘地の中の橋の横から下りていって、こんな岩、石のところを歩いて、着いたところにあるのが、もとせの浜。

板状節理と曲面状の節理が見られます。曲面状の節理に注目です。写真下中央の赤い人のあたりです。
 
節理というのは、マグマが冷える時にできる岩の割れ目模様のことです。柱状になるのが柱状節理です。
カフェブリッジがある城ヶ崎海岸は、4000年前の大室山の噴火で流れ出た溶岩で、このもとせの浜に流れ出たのは後で登る伊雄山の2700年前の噴火による溶岩です。この時に流れ出た2億トンの溶岩によって浮山溶岩台地が作られたそうです。
不思議な光景。誰かが立てた?他にもいくつか立ってました・・・。

この後向かったのが、河津三郎の血塚。


1176年に伊東祐親と河津三郎が、伊豆に流されていた源頼朝を慰めるために催した狩りの帰り道に、祐親を恨んでいた義理の甥の工藤祐経が企てた暗殺計画により、河津三郎が射殺された場所です。文が長くてわかりにくくなってすみません。
この写真の上の方の今は白いガードレールがあるあたりに3本の椎の木があって、そこに隠れていた弓の名手2人が放った矢で河津三郎が殺されたという血なまぐさい場所なのです。これが後に日本3大仇討ちの一つと言われる曽我物語の発祥の地でもあります。
血なまぐさい話はこのぐらいにして、この場所のもう一つの話。

吉田松陰も下田を目指してここを駆け抜けたと言われている伊豆東浦路の古道でもあるということです。江戸時代以降、伊豆の東海岸を通る大切な道路だったそうです。竹林が美しい。

長くなったので、続きはまた明日。

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