Cafe Bridge 粉闘記

bridgetの日記の続編です。
カフェオープンからの日々のできごとや思ったことをつれづれなるままに。。。

営業再開しました

2018-10-27 | 旅行
4日間のお休みをいただきまして、リフレッシュしました。
法事で弘前に行っていました。マスターの父の13回忌とマスターの母の33回忌でした。
2年ぶりに家族に会えて、大切な時間を過ごすことができました。
弘前は思いのほか暖かく、弘前公園では紅葉祭りと菊祭りが行われていました。

船に乗っているのは菊人形です。

伊豆高原にも十月桜はありますが、ここにも十月桜が咲いていました。

弘前城の天守閣は、石垣修繕のため曳家(ひきや)済み。



以前もご紹介しましたが、弘前では古い洋館があちこちで見られます。
これは確か銀行だったと思いますが、遠くから撮ったので違っているかも・・・。

レトロな雰囲気の建物。

ミシュラングリーガイドジャポンでも紹介されています。☆もとっています。


こちらのお山が岩木山。弘前の人にとってみれば、日本人にとっての富士山ぐらいの感覚だと思うので心理的に大きくて、近い山なのではないでしょうか。

帰りに飛行機からも見えました。





ずんべらずんべら

2018-07-22 | 旅行
一昨日は伊勢に伝わる説話の蘇民将来子孫家門について書きました。この旅行中にもう一つの民話を知りました。それは種まき権兵衛さんの話です。
まずは、その舞台となる熊野古道、馬越峠(まごせとうげ)の写真です。

今回の旅行は全く土地勘がなく(旅行って大抵そんなものです)、伊勢神宮といっても125もの宮があり(有名なのは外宮と内宮ですが)、熊野古道といっても三重県和歌山県に広がっていて、2泊3日でどこをどう回るのがいいのか、なかなか難しかったのですが、1日めはまず伊勢神宮にお参りし、2日目伊勢市でレンタカーを借りて、南下していきました。世界遺産にもなっている馬越峠を少し歩きました。海山(みやま)の道の駅の近くに車を停めて、登っていきます。



きれいな石畳の道がずっと続いています。これは「夜泣き地蔵」。もともとは旅の安全を祈念していたが、いつしか子供の夜泣きを封じ込める信仰になったとか。大正時代までは石じゃなくてお地蔵さんがあったそうです。

石の一枚板。

もっとずっとこの道を行けば峠の頂上まで行けるのですが、何せこの日は西日本豪雨の日で、実際にはそんなに降られなかったのですが、天気予報ではいつ雨が降るかわからずこの辺りで引き返しました。

で、話は元に戻りますが、種まき権兵衛。
この海山地区の民話です。下記はウィキに出ている種まき権兵衛のお話です。

権兵衛は当地の武士の家に生まれたが、父の上村兵部の死後は武士の身分を捨て、父の望みであった農家となり荒地の開墾をはじめた。
しかしもともと武士であった権兵衛には何もかもが初めてのこと。慣れない手つきで見よう見まねの農作業は、種をまくそばからカラスに食べられてしまうほどで、近隣の農家の笑いものになっていた。
それでもあきらめず懸命に農業を続けた権兵衛は、やがて村一番の農家になっていたという。
権兵衛は狩猟の腕にも秀でており、その評判は紀州藩主・徳川宗直の耳に届くほど。宗直の前で見事3発の弾を標的に命中。宗直が褒美に田を与えようとしたところ、権兵衛はこれを辞退し、代わりに村人の年貢を免じてもらって村人から喜ばれた。
狩猟の腕に自信の権兵衛、馬越峠(まごせとうげ)に大蛇が出ると聞くと、大蛇を退治するべく猟銃を持って山に入った。
見事大蛇を仕留めたものの、彼自身も大蛇の毒液を浴びてしまい、村人の介抱もむなしく1736年(元文元年)12月26日に死去した。(ウィキペディアより)

お話に出てくる権兵衛が大蛇を退治したのが馬越峠というわけです。
この権兵衛さんは、ことわざにもなっています。
「権兵衛が種まきゃカラスがほじくる」 - (まいた種をカラスに食べられてしまうことから)努力が実らないこと、無駄なことの意。人が苦労してやったことを他の人がぶち壊してしまいせっかくの骨折りが無駄になること。

そして、民謡にもなっているのですが、民謡だけでなく黒人霊歌の替え歌にもなっている??
まずは民謡。お座敷ずんべら。
権兵衛が種まきゃ からすがほじくる
三度に一度は 追はずばなるまい
ずんべら すんべら ずんべら


こちらは藤原義江版。民謡ともまた違う趣です。美しいテノールのずんべらずんべら。


墨田男性合唱団のコーラスがこちら。これが黒人霊歌の替え歌だそうですが、民謡とは当然ながら全く違う曲です。が、内容的には同じ権兵衛さん?
ごんべが、たねまく、パラパラ、からすが、あとから、ほじくる



ずんべらってどんな意味なんでしょう?


蘇民将来子孫家門

2018-07-21 | 旅行
暑い暑い毎日が続きますね。月曜日ぐらいが最高に暑くなると聞いています。まだ暑くなるのか・・・。
ここのところメガソーラー関連でブログを見に来てくださる方が増えていたようなので、そうじゃないことを書くと期待外れになってしまって申し訳ないですが、メガソーラーのことも動きがあり次第書きます。というか、お知らせします。

旅行から2週間以上経ってしまい、記憶も曖昧になりつつありますが、旅行に行くとその土地その土地での見知らぬモノに出会います。
今回のソレはこのしめ縄です。




タイトルがスラスラ読める方は伊勢地方ご出身?
蘇民将来子孫家門。ソミンショウライシソン(の)カモン

しめ縄にかいてある文字がその蘇民将来子孫家門。どこで見たかと言いますと、先日伊勢・熊野を旅行したとき、伊勢神宮・内宮の近くのおかげ横丁、あるいはおはらい町の家の入口のところにかけてありました。しめ縄。お祭りか何か?もう1種類写真を撮り損ねましたが、同じようなしめ縄で笑門と書かれているものもありました。なんとなく「笑う門には福来る」に通じるのかなと。

伊勢地方の民話に基づくお守りのようです。写真はもっときれいなのがこちらのサイトにありました。伊勢の神具屋さんのサイト伊勢宮にお話しもありましたので、下記にご紹介。

「蘇民将来子孫家門」の由来
昔、伊勢の地を旅した須佐之男命が、夕暮れに泊まるところがなく困りはてていました。
この地には、将来兄弟という二人が住んでおり、弟の大変裕福であった巨旦将来に、宿を頼んだが、これを断られてしまう。その兄である、大変貧しい暮らしをしていた蘇民将来は、この頼みを快く引き受け、貧しいながら、出来る限りで、もてなし一夜を過ごした。須佐之男命は、これを大変喜び、一宿の恩返しとして、茅の輪を与え、「後の世に疫病あらば、蘇民将来の子孫と云いて、その茅の輪を腰に付けたる者は、難を逃れるであろう」と言い残した。以来、蘇民家は、後の疫病が流行っても免れ、代々栄えたという。

この故事にあやかり、「蘇民将来子孫家門」の護り札をしめ縄に付けて、一年中門口に飾り、無病息災を願う、慣しとして今に受け継がれている。
(伊勢宮サイトより)

ウィキペディアで蘇民将来を調べると、伊勢地方だけでなくなんと日本各地に伝わる説話だとのこと。

日本各地に伝わる説話、およびそれを起源とする民間信仰である。こんにちでも「蘇民将来」と記した護符は、日本各地の国津神系の神(おもにスサノオ)を祀る神社で授与されており、災厄を払い、疫病を除いて、福を招く神として信仰される。また、除災のため、住居の門口に「蘇民将来子孫」と書いた札を貼っている家も少なくない。(ウィキペディアより)

日本各地に伝わるそうですが、私には初めての蘇民将来さんでした。


ザ・ロイヤルエクスプレス

2017-07-23 | 旅行
昨年7月から運行され、この7月で一周年を迎える大人のリゾート列車伊豆クレイルに続き、今度は豪華な観光列車ザ・ロイヤルエクスプレスが7月21日から運行され始めました。
7月22日の伊豆新聞です。右側が、メガソーラー白紙撤回は困難の記事。左側です。





新聞の写真は見にくいので、伊豆新聞のサイトへどうぞ

いえ、むしろ ザ・ロイヤルエクスプレスのHPをご覧ください。
美しさ、煌く 旅。 というコンセプトで横浜-下田間を豪華列車に乗り、食事をし、下田で宿泊、観光するクルーズプランと、豪華列車内で食事をする食事つき乗車プランがあるそうです。

料金の方は、食事つきプランが25,000円~40,000円、クルーズプランが135,000円~150,000円(一泊2日、2名1室1名様料金)。7月分は完売だそうですよ。

城ヶ崎海岸や伊豆高原で降車することはありませんが、皆様にとっては伊豆へいらっしゃる楽しみがまた一つ増えたのではないでしょうか。


イズハピのサイトで、ザ・ロイヤルエクスプレスの中の写真が42枚も載っていたので、リンクを貼っておきます。

韮山反射炉と蛭が島の夫婦(ふたり)

2017-02-25 | 旅行
昨日はブログに写真を送ろうとしたら、スマホがトラブってしまって、あきらめました。
というわけで、すでに遅れている内容がさらに1日遅れてしまいましたが、先日の水曜日のお休みに、歩こう会のお出かけで韮山反射炉に行ってきました。


韮山反射炉は、2015年に世界遺産にも登録されたので、聞き置覚えのある方も多いかもしれませんね。
伊豆の国市にある、唯一現存する反射炉跡です。
「17世紀から18世紀にかけてヨーロッパで発達した金属をとかして大砲などを鋳造するための溶解炉で、内部の天井がドーム状になった炉体部をレンガ積みの高い煙突からなる。石炭などを燃料として発生させた炎と熱を炉内の天井で反射し、集中させることにより、鉄を溶かすことが可能な千数百度の高温を実現する。」 韮山反射炉のパンフレットより抜粋。

江戸時代末期に、日本の軍事力強化のために大砲をつくるために作られたのがこの韮山反射炉なのです。最初は下田で建設が始まりましたが、ペリーが来航して水兵が敷地内に侵入したため、韮山に移されたのだそう。
韮山で造られた大砲が運ばれて、城ケ崎/富戸にも砲台跡がありますし、東京のお台場(お台場の名前の由来はここから!砲台場)にも運ばれました。
24ポンドカノン砲。(再現)


こちらは青銅製。


順序が全く逆になってしまいましたが、まず行ったのが、今は何にもない韮崎城跡。なんにもない。


韮山反射炉に行く前にお昼を食べた場所が、蛭が小島公園。
ここにいたのが、源頼朝と北条政子。像のタイトルが、「蛭が島の夫婦(ふたり)」
1177年、源頼朝31歳、北条政子21歳、二人はこの地で結ばれる。と書いてありました。


頼朝と政子(頼朝の正室)の像を見て、八重姫(頼朝の最初の妻:伊東祐親の娘)や千鶴丸のことを思ってしまう私は、伊東の人になりつつある・・・のか・・?

18世紀中ごろに建てられたと思われる、上野家が歴史民俗資料館となっていました。




今回の歩こう会は、先月に続き平坦なところを歩いたので、楽チンでした。一度は見たいと思っていた韮山反射炉も見ることができて、良かったです。


柿田川湧水群

2017-01-22 | 旅行
昨日書いた大室高原歩こう会で、木曜日に行った場所の一つである柿田川について、もう少し書きます。

今までは、柿田川といえば、サントムーン柿田川というショッピングセンターにしか行きませんでしたし、知りませんでした。
伊東には映画館がなくなってしまったので、映画を見るならこの柿田川にあるシネプラザサントムーンに行くことになります。

さて、柿田川。
ウィキペディアから下記を引用します。
「柿田川は、静岡県駿東郡清水町を流れる狩野川水系の一級河川。全長は約1.2kmで日本で最も短い一級河川である。
大量の湧水を水源とする日本でも稀有な川である。
本河川は、長良川・四万十川とともに日本三大清流に数えられている。1985年(昭和60年)柿田川湧水群として名水百選に選定された
流水はほぼ全量が湧水から成り、これは富士山への雨水や雪どけ水が三島溶岩流に浸透し、その先端部から湧き出でたものである。清流で知られ、水温は季節を問わず15℃前後。流量も年間を通してほぼ一定を保っている。」

上記の説明を実はこの写真のこちらを向いている86歳のおじいさんが、ボランティアで説明をしてくれたのです。


1970年代に工場によって汚染された川をよみがえらせる運動を始めて、退職後は毎日もう26年間、掃除と説明をしているのだそうです。

お蔭で、川も美しくなったし、川だけでなく美しい風景が残されたのです。








場所とか詳しくご覧になりたい方は清水町観光協会のHPをどうぞ。

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にじいろジーン (関西テレビ/フジテレビ) 
ハッピーふるさとりっぷコーナーにてカフェ ブリッジが紹介されます。
1月28日(土)午前8:30~午前9:55
是非、見てください。


三島夢街道と三嶋大社で初詣、 更に楽寿園、富士山湧水の柿田川へ

2017-01-21 | 旅行
ここ数日、いろいろなことがありました。
火曜日には、マスターの元の会社の先輩がご夫婦でご来店くださいました。昨年城ヶ崎海岸にいらした時も来てくださろうとしたけれど、カフェブリッジが見つからなかったとのことでしたので、再チャレンジで探してご来店くださいました。ありがとうございました!

水曜日は、昨日書いたにじいろジーンの撮影がありました。タレントさんが来ての撮影と、ヨークシャーサンドだけの撮影の2回に分かれていたのですが、ちょうどその間の時間に、5年前に私たちのことを取材して伊東暮らしというコラムに記事を書いてくれた伊豆新聞の元記者さんがお友達とつり橋に来たついでにご来店くださいました。お店、開けてて良かった!久しぶりにお会いできて嬉しかったです。

そして、木曜日は、昨年から入会した大室高原歩こう会の1月の定例会行事がありました。今回の行先は「三島夢街道と三嶋大社で初詣、 更に楽寿園、富士山湧水の柿田川へ」ということで、山登りではなく平坦なコースでしたので、前日に膝を強打してしまった私も安心して参加できました。
旧東海道付近から見えた富士山。



三嶋大社。前から一度行きたいと思っていた場所で、ちょうど初詣になりました。


楽寿園は、明治維新で活躍された小松宮彰仁親王が明治23年に別邸として造営し昭和27年より市立公園となる。楽寿園の自然は、すべて富士山の三島溶岩と関係を持つもので、平成24年9月24日、 「伊豆半島ジオパー ク」のジオサイトとして認定されました。(歩こう会のパンフレットより)
溶岩のお庭の池の水は枯れあがっていました。


湧水の源。色がきれい。


柿田川。


帰りに寄った村の駅での珍UFOキャッチャー。しいたけキャッチャーです。伊豆ならではのモノでしょうか。


紅葉狩り@箱根路、芦ノ湖畔

2016-11-18 | 旅行
16日(水)の定休日に、大室高原歩こう会の11月の定例イベントに参加してきました。
今回は湖尻峠から黒岳、芦ノ湖畔、湖尻水門から深良水門のあたりを歩きました。

霧が深くて絶景は見られなかったんですが、紅葉はきれいでした。伊豆高原、城ヶ崎海岸エリアでは紅葉は見られないんです。

黒岳頂上あたり。

この近辺でお弁当を食べました。晴れていたらきれいな景色が見られたんですけどね・・。
伊豆にいて、こういうのも変ですが、自然に触れた、いい一日でした。

















仙石原のすすき

2016-10-28 | 旅行
急に寒くなりましたね。11月の気温だったとか。
とはいえ、一昨日の水曜日は夏のような暑さ、昨日の木曜日は爽やかな秋の1日で、体温調整が大変です。

一昨日の水曜日の休みに、箱根の仙石原にすすきを見に行ってきました。
11月の中旬だと金色感が増すようなんですが、11月もお休みの日の行事がいろいろと入っていて、もう今日しかない!ということで、突然ですが行ってきました。

城ヶ崎海岸から箱根は意外と近かったです。1時間半ぐらいで箱根エリアに到着。

前夜のにわかリサーチでランチに行こうと決めたビストロにも入ることができ、何よりの偶然は、もう1軒時間があったら寄ろうと思っていたカフェがそのお店の隣だったことです。このカフェは、箱根で物件を探していた時に寄ったお店だったので、なんとなくまだお店あるかな?ぐらいの気持ちだったのですが、健在でした。

さて、ススキです。誰もいないすすき野原のような写真ですが、実際には、ものすごく大勢の人たちがすすき鑑賞に訪れていました。
仙石原もそうですが、箱根エリアが活気づいているように思いました。湯本のあたりは店も人もたくさんでした。





こんな遊歩道を歩いて行きます。






すすきをご堪能いただけましたでしょうか?
おまけ画像です。




ソフトクリーム屋さんでパンパスグラスも売っていました。


仙石原からだと20分ぐらいとのことだったので、御殿場プレミアムアウトレットにも初めて寄ってみました。
ちょっとディズニーランド気分。今回は時間もなかったので、次回はじっくり調べてから行こうと思います。
富士山が見えました。

あじょうみさき

2016-10-21 | 旅行
カフェ ブリッジ雑貨部門の人気商品、裂き織マフラーの作家さまより、胡蝶蘭をいただきました!
どうもありがとうございました。


さて、水曜日に出かけてきました。
安城岬と書いて、「あじょうみさき」と読みます。場所は、西伊豆、松崎の少し北のあたりです。

歩こう会の10月のイベントでした。9月のイベントが雨で中止になったため、7月に小田原城とビール工場の見学をして以来になります。
私たちにとっては、今年3度目の参加です。

安城岬遊歩道コースを一周しました。

最初にかなりの急な段を上っていくのが、少し大変でしたが、鍛えていなかった私たちもなんとかついていくことができました。この会では、2月に夫婦そろって皆さんにご迷惑をおかけしてしまったので、今回は慎重に、滑らないように、転ばないように、落ちないように(><)気を付けて、気を付けて歩いてきましたので、あまり写真は撮れませんでした。

一見城ヶ崎海岸と似たような感じなのかと思っていましたが、岩や岸壁という意味では似ていますが、波は穏やかだし、小さな島(大きな岩?)もいくつかあり、やはり東と西で伊豆半島の景色は違いました。
亀甲岩。釣り人が一人いました。


岬を一周して、下って、お弁当を食べて、室岩堂へ。
伊豆半島ジオパークのサイトから室岩堂の説明を下記に引用します。
「半島が海底火山であった時代に海底に降り積もった火山灰は長い年月を経て凝灰岩へと変化し、「伊豆石」と呼ばれる石材として江戸城の石垣に使われるなど重宝されました。室岩洞はその「伊豆石」を切り出していた石切り場(石丁場)の跡であり、昭和初期まで活用されていました。」

伊豆石は安山岩の硬い石と凝灰岩の軟らかい石の2種類があり、室岩堂のは軟らかい石で、指でこすると砂のように潰れる感じでした。室岩堂まで道路からかなり下ったので、堂内見学の後は、また上りです。


この後、下田の開国みなとの道の駅でお土産を買って、大室高原に戻りました。
爽やかな秋の1日になるはずが、大変暑い1日でいい汗をたくさんかいて、心地よく疲れた1日でした。