今日は4年前に観光でいらしてくださったお客様が再度ご来店くださいました。
あの時生まれて数か月だった赤ちゃんが4歳のお嬢ちゃんになっていて、感慨深かったです。
冬だけどやっているかなと寄ってみてくださったそう。寒い中ご来店ありがとうございました。
さて、この前の水曜日、熱海の帰り、マスターが市役所に行くので、私はその近くにある市立図書館で車を降りました。
読みたい本もあったし、借りたい本もあったし、図書館ならマスターの用事がどのぐらいになっても適当に時間をつぶしていられるし・・・。
車を降りて、階段を上って建物に入って、図書館に入ろうとしたら・・・まさかの月末休館日!ガーン・・・。
都会と違って、こちらはほとんど車で移動します。バスの路線も時間も頭に入っていないし、そもそも本数が少ない。
さて、どうするか。観光?天気もいいし、少しお散歩でもしますか・・・。
図書館の入口の横には、伊東市が世界に誇る重岡建治先生作の彫刻がありました。「鳩と女」
図書館を出てすぐに目に入ったのがこちら。
「肝臓先生御夫妻顕彰碑」と書いてあります。
序
肝臓先生友の会 会長山田義郎
相共に伊東に在住された尾崎士郎先生の親友文豪坂口安吾先生は昭和二十五年正月号の文学界に肝臓先生をたたえた文と詩とを発表されておられる
茲に録して我等もまた肝臓先生御夫妻を称えんとするものである
この碑の2段目と3段目に彫られているのが下記です。
青空文庫の「肝臓先生」はこちらですので、全文を読みたい方はそちらをどうぞ。
碑に掘られている下記は肝臓先生の最後の部分です。肝臓先生にはモデルがいるそうで、佐藤十雨(本名清一)氏というお医者様で今はないそうですが、天城診療所という医院を開業していたそうです。「カンゾー先生」という映画にもなっていますが、こちらは舞台が岡山だそうです。
この町に仁術を施す騎士住みたりき
町民のために足の医者たるの小さき生涯を全うせんとしてシシとして奮励努力し
天城山の炭やく小屋にオーダンをやむ男あれば箸を投げうってゲートルをまき雲をひらいて山林を走る
孤島に血を吐くアマあれば一直線に海辺に駈けて小舟にうちのり風よ浪よ舟をはこべ島よ近づけとあせりにあせりぬ
片足折れなば片足にて走らん
両足折れなば手にて走らん
手も足も折れなば首のみにても走らんものを
疲れても走れ
寝ても走れ
われは小さき足の医者なり走りに走りて生涯を終らんものをと思いしに天これを許したまわず
肺を病む人の肝臓をみれば腫れてあるなり
胃腸を病む人の肝臓をみれば腫れてあるなり
カゼひきてセキする人の肝臓をみればこれも腫れてあるなり
ついに診る人の肝臓の腫れざるはなかりけり
流行性肝臓炎!
流行性肝臓炎!
戦禍ここに至りてきわまれり
大陸の流感性肝臓炎は海をわたりて侵入せるなり
日本全土の肝臓はすべて肥大して圧痛を訴えんとす
道に行き交う人を見てはあれも肝臓ならむこれも肝臓ならむと煩悶し
患者を見れば急いで葡萄糖の注射器をにぎり
肝臓の肥大をふせげ! 肝臓を治せ!
たたかえ! たたかえ! 流行性肝臓炎と!
かく叫びて町に村に山に海に注射をうちて走りに走りぬ
人よんで肝臓医者とののしれども後へはひかず
山に猪あれども往診をいとわず
足のうらにウニのトゲをさしても目的の注射をうたざれば倒れず
ついに孤島に肝臓を病む父ありて空襲警報を物ともせずヒタ漕ぎに漕ぎいそぐ
海上はるか彼方なり
敵機降り来ってバクゲキす瞬時にして肝臓先生の姿は見えず
足の医者のみかは肝臓の騎士道をも全うして先生の五体は四散して果てたるなりき
しかあれど肝臓先生は死ぬことなし
海底に叫びてあらむ
肝臓を治せ! 肝臓を治せ! と
なつかしの伊東の町に叫びてあらむ
あの人も肝臓なりこの人も肝臓なりと
肝臓の騎士の住みたる町、歩みたる道の尊きかな
道行く人よ耳をすませ
いつの世も肝臓先生の慈愛の言葉はこの道の上に絶ゆることはなかるべし
肝臓を治せ
たたかえ! たたかえ! 流行性肝臓炎と!
たたかえ! たたかえ!
たたかえ! と