Cafe Bridge 粉闘記

bridgetの日記の続編です。
カフェオープンからの日々のできごとや思ったことをつれづれなるままに。。。

レオ バーネット

2019-04-21 | 日記
先日、偶然見つけてご紹介した「This is your Life」というポスターが、ホルスティー社の設立の時のマニフェストだったことを書きました。その時に思い出したものがありました。インターネットは本当に便利。断片的だった記憶とキーワードをもとに探し当てました。
前の前の仕事の時、あるパーティーだったかレセプションだったか何かのイベントでお会いした方のオフィスを訪ねた時のことです。受付には真っ赤なリンゴがかごに盛ってありました。お花ではなく。受付でお待ちしている間に何気なく目に留まったポスターがありました。この前のThis is your Life を見つけた時と同様、つい読み始めてしまいました。それが、今日ご紹介するスピーチの文章です。名刺を交換したときに、会社のマークもとても興味深いものでした。星がいくつか輝いていて、そこに伸ばしている手のマークです。


1936年にこの会社のシンボルになったそうです。
When you reach for the stars you may not quite get one, but you won't come up with a handful of mud either.
『星にむかって手を伸ばしても、なかなかつかめないかもしれない。 だが、星をつかもうとして泥をつかむことにもならない』

受付の籠にもられた真っ赤なりんごは、お客様を明るくお迎えするもので、その会社を訪れたお客様に「どうぞ召し上がってください」というものだそうです。大恐慌のさなかの1935年に会社を設立した時からの習わしだそうですから、そんな時代にリンゴをどうぞ、は喜ばれたのではないでしょうか。はるか昔の記憶ですが私もリンゴを一ついただいて帰ったような気がします。

赤いリンゴと星と手で、その業界にいらした方にはおわかりかと思いますが、それが、タイトルのLeo Burnett社のことです。大手の広告代理店です。
そして、私が興味をもって、今日ご紹介するスピーチというのは、Leo Burnett氏が1967年に社長を辞めて会長に引退するときの有名なスピーチ、「私の名前をドアからはずす時」です。ちょっと長いですが、日本語英語両方を載せます。

現在、日本ではレオ・バーネットの名前ではなく、ビーコンコミュニケーションズという名前になっていますが、これは電通とのビジネス提携によるものなので、今回のスピーチの文章とは無関係と考えます。


When to Take My Name Off the Door — A speech Leo Burnett delivered to employees at the company’s annual breakfast meeting in 1967.


「私の名前をドアからはずす時」

いつの日か私がここを去った後で、きみ達かあるいは君たちの後継者は、私の名前をもドアからはずしたくなるかもしれない。そして君たちは自分たちの事を「トゥエイン・ロジャーズ・ソーヤ&フィン」とか「エイジャックス・アドバタイジング」とか何とか、呼びたくなるかもしれない。もしきみ達にとってそれがよければ、私は一向に構わない。

だが、私のほうから「どうしても私の名前をドアからはずせ」と要求するときはどういうときなのかを、話しておきたい。

それは君たちが広告を作るために費やす時間より、金儲けに費やす時間が多くなったときとか、

我々の会社を作っている特別な人たち、ライターやアーティストやビジネスのプロフェッショナルたちにとって、広告を作るという純粋な楽しさや心の昂ぶりというものが、お金と同様にとても大切なんだということを忘れたときとか、

自分の仕事をさらに良くしようとする、絶え間ない努力の意識をきみ達が失ったときとか、

クライアントや予算の規模やそれにかかる手間の多少にかかわらず、より良い仕事をしようとする熱意をきみ達が失ったときとか、

完璧さにかける情熱や、いい加減さを憎む精神を君たちが失ったときとか、新鮮さや記憶性、そして信頼性などが生み出してくれる言葉と絵の、新しいスタイルやトーン、組み合わせといったものに、きみ達が手を伸ばすのをやめたときとか、

より優れた広告がレオ・バーネット・カンパニーの全てだという考え方に対して、毎日の努力研鑽をきみ達が怠ったときとか、

あのヘンリー・ソローがいうところの「良心のある会社」、きみ達がもはやそうでなくなった時とか、

この会社の熱い血であり、魂である君たちの誠実さが、揺らぎ始めた時とか、目先の利益にとらわれ、ご都合主義とか日和見主義によってきみ達自身を正当化し始めたときとか、

物事の適合性を知る敏感さを失い、君たちの中に粗雑さ拙劣さ、不真面目さが目に付き始めたときとか、

一所懸命に素晴らしい仕事をしようとすることより、会社を大きくすることがきみ達の第一の関心事になった時とか、

君のオフィスの窓の数が人より少ないなどということを気にしだし、視野が非常に狭くなったときとか、

きみ自身の器を忘れ、謙虚さを失い、なんでも知っているというような大物のふりをし始めたときとか、

あのりんごが社風や個性の象徴ではなくなり、単に食べるものやゴマすりの道具に成り下がってしまったときとか、

何かの仕事に賛成できないからといって、その仕事そのものを批判せず、その仕事をやった人を責め始めたときとか、

イキイキとした強いアイディアを作るのをやめて、ルーティーンの流れ作業に走り始めたときとか、

クリエイティビティとかクリエイトする欲望は刺激され、喚起され、そして育てられるものだということを忘れてしまい、単に効率だけを考えてひとにまかせてしまったり、管理できるものであるなどときみ達が思い始めたときとか、

最後にたった一人でタイプライターをたたいていたり、デザイン・ボードに向かっていたり、カメラを構えていたり、ブラック・ペンシルで何かを書き付けていたり、夜遅くまでメディア・プランを作っていたりする、そうした孤独な人たちへの尊敬の念を、君たちが失くした時とか、

我々のエージェンシーの今日を作り上げてきた、そうした孤独な人たちへの、深い感謝を忘れたときとか。

そうした人こそよりいっそうの努力をしているから、例え一瞬であろうと、熱くて手が届きそうにも無い星を、実際につかんだということを忘れたときとか、

こんなときにこそ、私は君たちに私の名前をドアからはずすよう強く求める。いや断じて、私の名前をはずしてほしいのだ。

たとえ死んだ後でも、私はあの世から甦ってきて、夜中にオフィスの全てのドアから私の名前を削り取る。

そしてあの世に戻る前に、スター・リーチング・シンボルもペンキで消してしまう。私の名前の入った全ての文房具を焼き払い、たぶん、通りすがりにいくつかの広告を破り捨て、忌々しくなったりんごは全部エレベーターの穴の中に投げ込んでやる。

すると君たちは次の朝、ここがどこであるかわからない。君たちは別の名前を探さなければならないのだ。

— レオバーネット

Somewhere along the line, after I’m finally off the premises, you or your successors may want to take my name off the premises, too.

You may want to call yourselves “Twain, Rogers, Sawyer and Finn, Inc.” … or “Ajax Advertising” … or Something.

That will certainly be okay with me if it’s good for you.

But let me tell you when I might demand that you take my name off the door.

That will be the day when you spend more time trying to make money and less time making advertising — our kind of advertising.

When you forget that the sheer fun of ad-making and the lift you get out of it — the creative climate of the place — should be as important as money to the very special breed of writers and artists and business professionals who compose this company of ours, and make it tick.

When you lose that restless feeling that nothing you do is ever quite good enough.

When you lose your itch to do the job well for its own sake — regardless of the client, or the money, or the effort it takes.

When you lose your passion for thoroughness … your hatred of loose ends.

When you stop reaching for the manner, the overtones, the marriage of words and pictures that produces the fresh, the memorable, and the believable effect.

When you stop re-dedicating yourselves every day to the idea that better advertising is what the Leo Burnett Company is all about.

When you are no longer what Thoreau called “a corporation with a conscience” — which means to me, a corporation of conscientious men and women.

When you begin to compromise your integrity — which has always been the heart’s blood — the very guts of this agency.

When you stoop to convenient expediency and rationalize yourselves into acts of opportunism — for the sake of a fast buck.

When you show the slightest sign of crudeness, inappropriateness or smart-aleckness — and you lose that subtle sense of the fitness of things.

When your main interest becomes a matter of size just to be big — rather than good, hard, wonderful work.

When your outlook narrows down to the number of windows — from zero to five — in the walls of your office.

When you lose your humility and become big-shot wisenheimers … a little too big for your boots.

When the apples come down to being just apples for eating (or for polishing) — no longer a part of our tone — our personality.

When you disapprove of something, and start tearing the hell out of the man who did it rather than the work itself.

When you stop building on strong and vital ideas, and start a routine production line.

When you start believing that, in the interests of efficiency, a creative spirit and the urge to create can be delegated and administered, and forget that they can only be nurtured, stimulated, and inspired.

When you start giving lip service to this being a “creative agency” and stop really being one.

Finally, when you lose your respect for the lonely man — the man at his typewriter or his drawing board or behind his camera or just scribbling notes with one of our big black pencils — or working all night on a media plan. When you forget that the lonely man — and thank God for him — has made the agency we now have possible. When you forget he’s the man who, because he is reaching harder, sometimes actually gets hold of — for a moment — one of those hot, unreachable stars.

THAT, boys and girls, is when I shall insist you take my name off the door.

And by golly, it will be taken off the door.

Even if I have to materialize long enough some night to rub it out myself — on every one of your floors.

And before I DE-materialize again, I will paint out that star-reaching symbol, too.

And burn all the stationery.

Perhaps tear up a few ads in passing.

And throw every goddamned apple down the elevator shafts.

You just won’t know the place, the next morning.

You’ll have to find another name.



ある無名兵士の詩

2019-04-14 | 日記
最近、とても素敵な詩にであったのでご紹介します。NYの大学病院のリハビリセンターの壁に掲げてあるのだそうですが、もともとは南北戦争に従軍した無名の兵士によるもので、作者不詳、日本語訳もいくつかあるようです。(すみません、日本語訳もどなたのかわかりません。)タイトルも英語の原題はA Creed for those who have sufferedというものらしいです。日本語タイトルも「病者の祈り」「苦難にある者たちの信条」とか、「悩める人々への銘」などいくつかの訳があります。
先日であった「This is your Life」同様、この詩もかなり有名なようでインターネットで調べるとたくさん出てきます。ですので、既にご存知の方もいらっしゃるかもしれませんね。有名でも私はこの前のもこれも知りませんでしたから、やっぱりご紹介させてください。


「ある無名兵士の詩」 

大きなことを成し遂げるために 強さを与えてほしいと神に求めたのに
 謙遜を学ぶように 弱さを授かった。

偉大なことができるようにと 健康を求めたのに
 よりよきことをするようにと 病気を賜った。

幸せになろうとして 富を求めたのに
 賢明であるようにと 貧困を授かった。

世の人々の称賛を得ようとして 力と成功を求めたのに
 得意にならないようにと 失敗を授かった

求めたものは一つとして与えられなかったが 願いはすべて聞き届けられた
 私はもっとも豊かに祝福されたのだ。
(作者不詳)

オリジナルは下の無名の南軍の兵士による詩です。


The Prayer of an Unknown Confederate Soldier

I asked God for strength, that I might achieve
  I was made weak, that I might learn humbly to obey...


I asked for health, that I might do greater things
  I was given infirmity, that I might do better things...


I asked for riches, that I might be happy
  I was given poverty, that I might be wise...


I asked for power, that I might have the praise of men
  I was given weakness, that I might feel the need of God...


I asked for all things, that I might enjoy life
  I was given life, that I might enjoy all things...


I got nothing that I asked for -- but everything I had hoped for


Almost despite myself, my unspoken prayers were answered.
  I am among all men, most richly blessed!

(Author unknown)

(写真はどちらもmoon roadではなく朝の海です。)

This is your Life.

2019-03-29 | 日記
肌寒い1日でした。城ヶ崎海岸桜並木は咲いてる木は咲いてますが、桜のトンネルにはまだならない。
今日いらしたお客様も期待がはずれてがっかりされていました。テレビの画面で見ると、東京のほうが咲いています。伊豆は暖かいイメージですが、ソメイヨシノに関していえば、東京より遅いのかもしれません。

さて、先日のお休みに久しぶりに東京に行って、20年ぶりにイギリス時代のビッグボスにお会いしました。昔から尊敬している方ですが、益々輝いていらっしゃり、言葉が見つかりませんが、生きるエネルギーに満ち溢れているというのか、仕事、人生そのものをいつも謳歌していらっしゃるというのか、本当に素敵なビジネスウーマンで、いい刺激をいただき、とても満ち足りた時間を過ごしてきました。

さて、そのランチの後でボスとも再会の約束をして別れ、久々の東京での所用をすませて、ちょっと時間が空いた時にふと目についたポスター。
Tシャツやら商品やらに書かれている英語って、結構意味のないことだったりすることが多いのですが、何気なく英字を目で追い始めて、ついつい最後まで読んでしまいました。そして、心に響きました。 

ネットで調べてみたら、なんだか数年前に有名になったポスターだったようで、いろいろな説明がでていました。
NYにあるエコデザインの会社、Holstee社を立ち上げる時に作ったマニフェストで、SNSで100万人以上にシェアされて、延べ5億人以上の人が閲覧したというものだそうなので、既にご覧になったことがある方もいらっしゃるかもしれませんが、私は初めて見たので、ご紹介します。
なんと日本語訳もありました。このほかにも筆で書かれた日本語版もあるそうです。
多くの人の共感を呼んだだけのことはあると思います。何歳の時にこれに出会ったかによっても違うでしょうし、人それぞれに響いてくるところも違うでしょう・・・。

皆さんの心に響く一文はあるかしら?
(日本語訳が下にあります)






2月23日は富士山の日

2019-02-23 | 日記
暖かくなったと思ったけれども、やはりまだ2月。とはいえ、普段の2月よりずっと暖かいです。
2月23日は富士山の日。先日、LINEで届いた友人撮影による富士山。とても印象的だったので拝借して皆様にもシェア。(無断拝借失礼します。)


ブルーガーデンの花が咲き始めました。まだ、背は低いんです。10センチぐらい。


ムスカリとヒヤシンスもこれから伸びてくるでしょう。



聚光院伊東別院

2019-02-18 | 日記
昨日、今日と暖かくてお天気がよくて、お出かけ日和でしたね。
城ヶ崎海岸もたくさんのお客様が訪れていました。

昨日2月17日には、1週間遅れの大室山の山焼きがありました。12時点火なので見に行ったことはないのですが、伊豆新聞に写真が出ていました。

昨日は今年の第1号のツルニチニチソウを見つけました。魔法使いのスミレ、魔除けの効果があって、繁栄と幸福をもたらすとか。


先日訪れた、聚光院別院では小室桜がきれいに咲いていました。



こちらの聚光院(じゅこういん)は、京都の大徳寺の伊東別院で、平成9年に寄進されたお寺なのだそうですが、なにしろ見事でした。
こんなに近くにこんなに素晴らしいものがあったのに、先日までその存在すら知りませんでした。
少し前に銀座のヒロ画廊さんがいらしたときに教えてくださって、機会があれば見に行こうと思っていたところ、2月14日、15日に特別拝観の機会があったので、さっそく申し込んで見せていただきました。この特別拝観でなくても予約をすれば2000円で説明付きで拝観できるそうです。

建築家の吉村順三氏が21世紀のお寺として設計したコンクリート打ちっぱなしのモダンなお寺です。




日本画家の千住博氏の襖絵が圧巻です。
中は写真撮影NGだったので、パンフレットの写真を撮りました。

滝の襖絵も何枚もあります。

奥の襖絵が砂漠、手前の襖絵が森、砂漠が生を森が死(再生)を表していて、911の前後に書かれたそうです。

2階には禅堂があり、こちらの千住画伯の波の絵も素晴らしかったです。

聚光院伊東別院
静岡県伊東市富戸1301-104
TEL 0557-51-4820

近くにいらっしゃる機会があれば、ぜひ予約をしてご覧になることをお勧めします。
富戸と川奈の間というのか、富戸のまさきクリニックの隣です。


京都の大徳寺は、一休さんゆかりのお寺で、お茶の千利休のお墓もあるそうです。

あんの徳江さんの言葉

2019-02-16 | 日記
ちょっと前になりますが、「あん」というDVDを見ました。
樹木希林さんが主演ということで、どんな映画かはまったく知らずに手に取ったのですが、いい映画でした。
内容はまだこれからご覧になる方のために書きませんが、いろんな意味で考えさせられる映画でした。

特に心に残った言葉は、樹木希林演じる徳江さんがどら焼きの店長さんに言った言葉です。
「ねぇ、店長さん、私たちはこの世を見るために、聞くために生まれてきた。
だとすれば、何かになれなくても私たちは、私たちには生きる意味があるのよ。」

この言葉を聞いた時、ただただ、いいなぁと思いました。
何かになれなくても、いい。




今日は、庭の「ふきのとう」を摘んで天ぷらにしました。
明日はふきみそを作ります。
伊豆の人になってきたなぁと思います。でも、これって幸せ。庭から早春を味わえる。

暖かい立春

2019-02-04 | 日記
とんでもなく暖かい立春になりましたね。暦の上では春、じゃなくて、本当に4月、5月の気温でした。
このまま春が来るのかなぁと思いましたが、天気予報では、また寒い日が来るそうですから、油断はできません。

さて、この前から新幹線の鼻のようになっていたクロホウシですが、とうとう花が咲き始めました。
少し前からこの前初めて食べた野菜のロマネスコのように上を向いていました。ロマネスコ、ご存じですか?写真を撮らなかったのが残念ですが、新種のブロッコリーみたいと思っていましたが、カリフラワーの仲間なんですね。茹でて食べたら、甘くておいしかったです。

さて、クロホウシ。右上の方です。

近寄ってみると、黄色い小さい花と蕾がびっしり。

これに花が咲くのは7年間で初めてです。花が咲くと枯れてしまうこともあるらしいので、気を付けて見守ります。
クロホウシの花言葉は「永遠」・「良い知らせ」。






スーパー・ブラッド・ウルフ・ムーン

2019-01-20 | 日記
今日1月20日は二十四節気の大寒でした。
が、それほど寒いわけでもなかったですが、日中途中から天気雨と突風。変なお天気でした。
仲のよい紳士お二人SさんとKさんが、「こんにちは~!」とお店のドアを開けると同時に物凄い突風がSさんとKさんの後ろを吹き荒れ、枯れ葉が舞い上がったんです。
お二人はお店に入るところだったため、後ろの風には気づいた様子なし。
それをお伝えすると、「はははは、風神雷神の如くの登場となったわけですな~」と笑っていらっしゃいました。
だって、その時まで、外はすごく静か、風もなく、ただ晴れているのにお客様が傘をさしていらしたから雨かしら?と思ったぐらい。
その後は、春一番?と思うほどの大風でした。それほど暖かくない風だから春一番ではありません。

さて、1月21日には、残念ながら日本では見られないようですが、北米、南米ではスーパー・ブラッド・ウルフ・ムーンが見られるそうです。
昨年2018年にはスーパー・ブルー・ブラッド・ムーンを日本でも見られました。
整理してみますと;
スーパームーン:月が地球に最も近づいた時に満月または新月。
ブラッドムーン:皆既月食の時に赤銅色に見える月。
ウルフムーン:1月の最初の満月。
ブルームーン:1か月に2回満月があること。

今日のお月様もずいぶん大きく見えました。


己亥

2019-01-06 | 日記
今日1月6日には部分日食が見られたそうですね。
日食とは、地球、月、太陽が一直線に並ぶことにより、太陽が月に隠される現象。
今日のは部分日食なので、太陽の一部分が月に隠されたということですね。最近、理科の復習をよくしているような・・・。



お隣の陶八画の先生が毎年くださる干支皿。今年もいただきました。
いのしし。私、年女でございます~。24歳と思っていただいても、72歳と思っていただいてもかまいませんのよ( ´艸`)

干支、つまり十二支と十干の組み合わせでいうと、己亥。(つちのと・い)
己は十干の6番目(甲・乙・丙・丁・戊・己・庚・辛・壬・癸)土の弟の意、亥は十二支の最後の12番目。(子・丑・寅・卯・辰・巳・午・未・申・酉・戌・亥)陰陽五行では陰の水。 

それで己亥の年はどんな年かとキーワードで調べるとたくさんのサイトが色々な説明をしていますので、ご興味の有る方はそちらを見てください。
ちょっとまとめて書くには複雑すぎました><。 調子に乗りすぎて落とし穴に落ちないようにというようなことも書いてあったので、気を付けましょう。どんな年かってことだから、全員にあてはまるってことでしょう。