先日、偶然見つけてご紹介した「This is your Life」というポスターが、ホルスティー社の設立の時のマニフェストだったことを書きました。その時に思い出したものがありました。インターネットは本当に便利。断片的だった記憶とキーワードをもとに探し当てました。
前の前の仕事の時、あるパーティーだったかレセプションだったか何かのイベントでお会いした方のオフィスを訪ねた時のことです。受付には真っ赤なリンゴがかごに盛ってありました。お花ではなく。受付でお待ちしている間に何気なく目に留まったポスターがありました。この前のThis is your Life を見つけた時と同様、つい読み始めてしまいました。それが、今日ご紹介するスピーチの文章です。名刺を交換したときに、会社のマークもとても興味深いものでした。星がいくつか輝いていて、そこに伸ばしている手のマークです。
1936年にこの会社のシンボルになったそうです。
When you reach for the stars you may not quite get one, but you won't come up with a handful of mud either.
『星にむかって手を伸ばしても、なかなかつかめないかもしれない。 だが、星をつかもうとして泥をつかむことにもならない』
受付の籠にもられた真っ赤なりんごは、お客様を明るくお迎えするもので、その会社を訪れたお客様に「どうぞ召し上がってください」というものだそうです。大恐慌のさなかの1935年に会社を設立した時からの習わしだそうですから、そんな時代にリンゴをどうぞ、は喜ばれたのではないでしょうか。はるか昔の記憶ですが私もリンゴを一ついただいて帰ったような気がします。
赤いリンゴと星と手で、その業界にいらした方にはおわかりかと思いますが、それが、タイトルのLeo Burnett社のことです。大手の広告代理店です。
そして、私が興味をもって、今日ご紹介するスピーチというのは、Leo Burnett氏が1967年に社長を辞めて会長に引退するときの有名なスピーチ、「私の名前をドアからはずす時」です。ちょっと長いですが、日本語英語両方を載せます。
現在、日本ではレオ・バーネットの名前ではなく、ビーコンコミュニケーションズという名前になっていますが、これは電通とのビジネス提携によるものなので、今回のスピーチの文章とは無関係と考えます。
When to Take My Name Off the Door — A speech Leo Burnett delivered to employees at the company’s annual breakfast meeting in 1967.
「私の名前をドアからはずす時」
いつの日か私がここを去った後で、きみ達かあるいは君たちの後継者は、私の名前をもドアからはずしたくなるかもしれない。そして君たちは自分たちの事を「トゥエイン・ロジャーズ・ソーヤ&フィン」とか「エイジャックス・アドバタイジング」とか何とか、呼びたくなるかもしれない。もしきみ達にとってそれがよければ、私は一向に構わない。
だが、私のほうから「どうしても私の名前をドアからはずせ」と要求するときはどういうときなのかを、話しておきたい。
それは君たちが広告を作るために費やす時間より、金儲けに費やす時間が多くなったときとか、
我々の会社を作っている特別な人たち、ライターやアーティストやビジネスのプロフェッショナルたちにとって、広告を作るという純粋な楽しさや心の昂ぶりというものが、お金と同様にとても大切なんだということを忘れたときとか、
自分の仕事をさらに良くしようとする、絶え間ない努力の意識をきみ達が失ったときとか、
クライアントや予算の規模やそれにかかる手間の多少にかかわらず、より良い仕事をしようとする熱意をきみ達が失ったときとか、
完璧さにかける情熱や、いい加減さを憎む精神を君たちが失ったときとか、新鮮さや記憶性、そして信頼性などが生み出してくれる言葉と絵の、新しいスタイルやトーン、組み合わせといったものに、きみ達が手を伸ばすのをやめたときとか、
より優れた広告がレオ・バーネット・カンパニーの全てだという考え方に対して、毎日の努力研鑽をきみ達が怠ったときとか、
あのヘンリー・ソローがいうところの「良心のある会社」、きみ達がもはやそうでなくなった時とか、
この会社の熱い血であり、魂である君たちの誠実さが、揺らぎ始めた時とか、目先の利益にとらわれ、ご都合主義とか日和見主義によってきみ達自身を正当化し始めたときとか、
物事の適合性を知る敏感さを失い、君たちの中に粗雑さ拙劣さ、不真面目さが目に付き始めたときとか、
一所懸命に素晴らしい仕事をしようとすることより、会社を大きくすることがきみ達の第一の関心事になった時とか、
君のオフィスの窓の数が人より少ないなどということを気にしだし、視野が非常に狭くなったときとか、
きみ自身の器を忘れ、謙虚さを失い、なんでも知っているというような大物のふりをし始めたときとか、
あのりんごが社風や個性の象徴ではなくなり、単に食べるものやゴマすりの道具に成り下がってしまったときとか、
何かの仕事に賛成できないからといって、その仕事そのものを批判せず、その仕事をやった人を責め始めたときとか、
イキイキとした強いアイディアを作るのをやめて、ルーティーンの流れ作業に走り始めたときとか、
クリエイティビティとかクリエイトする欲望は刺激され、喚起され、そして育てられるものだということを忘れてしまい、単に効率だけを考えてひとにまかせてしまったり、管理できるものであるなどときみ達が思い始めたときとか、
最後にたった一人でタイプライターをたたいていたり、デザイン・ボードに向かっていたり、カメラを構えていたり、ブラック・ペンシルで何かを書き付けていたり、夜遅くまでメディア・プランを作っていたりする、そうした孤独な人たちへの尊敬の念を、君たちが失くした時とか、
我々のエージェンシーの今日を作り上げてきた、そうした孤独な人たちへの、深い感謝を忘れたときとか。
そうした人こそよりいっそうの努力をしているから、例え一瞬であろうと、熱くて手が届きそうにも無い星を、実際につかんだということを忘れたときとか、
こんなときにこそ、私は君たちに私の名前をドアからはずすよう強く求める。いや断じて、私の名前をはずしてほしいのだ。
たとえ死んだ後でも、私はあの世から甦ってきて、夜中にオフィスの全てのドアから私の名前を削り取る。
そしてあの世に戻る前に、スター・リーチング・シンボルもペンキで消してしまう。私の名前の入った全ての文房具を焼き払い、たぶん、通りすがりにいくつかの広告を破り捨て、忌々しくなったりんごは全部エレベーターの穴の中に投げ込んでやる。
すると君たちは次の朝、ここがどこであるかわからない。君たちは別の名前を探さなければならないのだ。
— レオバーネット
Somewhere along the line, after I’m finally off the premises, you or your successors may want to take my name off the premises, too.
You may want to call yourselves “Twain, Rogers, Sawyer and Finn, Inc.” … or “Ajax Advertising” … or Something.
That will certainly be okay with me if it’s good for you.
But let me tell you when I might demand that you take my name off the door.
That will be the day when you spend more time trying to make money and less time making advertising — our kind of advertising.
When you forget that the sheer fun of ad-making and the lift you get out of it — the creative climate of the place — should be as important as money to the very special breed of writers and artists and business professionals who compose this company of ours, and make it tick.
When you lose that restless feeling that nothing you do is ever quite good enough.
When you lose your itch to do the job well for its own sake — regardless of the client, or the money, or the effort it takes.
When you lose your passion for thoroughness … your hatred of loose ends.
When you stop reaching for the manner, the overtones, the marriage of words and pictures that produces the fresh, the memorable, and the believable effect.
When you stop re-dedicating yourselves every day to the idea that better advertising is what the Leo Burnett Company is all about.
When you are no longer what Thoreau called “a corporation with a conscience” — which means to me, a corporation of conscientious men and women.
When you begin to compromise your integrity — which has always been the heart’s blood — the very guts of this agency.
When you stoop to convenient expediency and rationalize yourselves into acts of opportunism — for the sake of a fast buck.
When you show the slightest sign of crudeness, inappropriateness or smart-aleckness — and you lose that subtle sense of the fitness of things.
When your main interest becomes a matter of size just to be big — rather than good, hard, wonderful work.
When your outlook narrows down to the number of windows — from zero to five — in the walls of your office.
When you lose your humility and become big-shot wisenheimers … a little too big for your boots.
When the apples come down to being just apples for eating (or for polishing) — no longer a part of our tone — our personality.
When you disapprove of something, and start tearing the hell out of the man who did it rather than the work itself.
When you stop building on strong and vital ideas, and start a routine production line.
When you start believing that, in the interests of efficiency, a creative spirit and the urge to create can be delegated and administered, and forget that they can only be nurtured, stimulated, and inspired.
When you start giving lip service to this being a “creative agency” and stop really being one.
Finally, when you lose your respect for the lonely man — the man at his typewriter or his drawing board or behind his camera or just scribbling notes with one of our big black pencils — or working all night on a media plan. When you forget that the lonely man — and thank God for him — has made the agency we now have possible. When you forget he’s the man who, because he is reaching harder, sometimes actually gets hold of — for a moment — one of those hot, unreachable stars.
THAT, boys and girls, is when I shall insist you take my name off the door.
And by golly, it will be taken off the door.
Even if I have to materialize long enough some night to rub it out myself — on every one of your floors.
And before I DE-materialize again, I will paint out that star-reaching symbol, too.
And burn all the stationery.
Perhaps tear up a few ads in passing.
And throw every goddamned apple down the elevator shafts.
You just won’t know the place, the next morning.
You’ll have to find another name.
前の前の仕事の時、あるパーティーだったかレセプションだったか何かのイベントでお会いした方のオフィスを訪ねた時のことです。受付には真っ赤なリンゴがかごに盛ってありました。お花ではなく。受付でお待ちしている間に何気なく目に留まったポスターがありました。この前のThis is your Life を見つけた時と同様、つい読み始めてしまいました。それが、今日ご紹介するスピーチの文章です。名刺を交換したときに、会社のマークもとても興味深いものでした。星がいくつか輝いていて、そこに伸ばしている手のマークです。
1936年にこの会社のシンボルになったそうです。
When you reach for the stars you may not quite get one, but you won't come up with a handful of mud either.
『星にむかって手を伸ばしても、なかなかつかめないかもしれない。 だが、星をつかもうとして泥をつかむことにもならない』
受付の籠にもられた真っ赤なりんごは、お客様を明るくお迎えするもので、その会社を訪れたお客様に「どうぞ召し上がってください」というものだそうです。大恐慌のさなかの1935年に会社を設立した時からの習わしだそうですから、そんな時代にリンゴをどうぞ、は喜ばれたのではないでしょうか。はるか昔の記憶ですが私もリンゴを一ついただいて帰ったような気がします。
赤いリンゴと星と手で、その業界にいらした方にはおわかりかと思いますが、それが、タイトルのLeo Burnett社のことです。大手の広告代理店です。
そして、私が興味をもって、今日ご紹介するスピーチというのは、Leo Burnett氏が1967年に社長を辞めて会長に引退するときの有名なスピーチ、「私の名前をドアからはずす時」です。ちょっと長いですが、日本語英語両方を載せます。
現在、日本ではレオ・バーネットの名前ではなく、ビーコンコミュニケーションズという名前になっていますが、これは電通とのビジネス提携によるものなので、今回のスピーチの文章とは無関係と考えます。
When to Take My Name Off the Door — A speech Leo Burnett delivered to employees at the company’s annual breakfast meeting in 1967.
「私の名前をドアからはずす時」
いつの日か私がここを去った後で、きみ達かあるいは君たちの後継者は、私の名前をもドアからはずしたくなるかもしれない。そして君たちは自分たちの事を「トゥエイン・ロジャーズ・ソーヤ&フィン」とか「エイジャックス・アドバタイジング」とか何とか、呼びたくなるかもしれない。もしきみ達にとってそれがよければ、私は一向に構わない。
だが、私のほうから「どうしても私の名前をドアからはずせ」と要求するときはどういうときなのかを、話しておきたい。
それは君たちが広告を作るために費やす時間より、金儲けに費やす時間が多くなったときとか、
我々の会社を作っている特別な人たち、ライターやアーティストやビジネスのプロフェッショナルたちにとって、広告を作るという純粋な楽しさや心の昂ぶりというものが、お金と同様にとても大切なんだということを忘れたときとか、
自分の仕事をさらに良くしようとする、絶え間ない努力の意識をきみ達が失ったときとか、
クライアントや予算の規模やそれにかかる手間の多少にかかわらず、より良い仕事をしようとする熱意をきみ達が失ったときとか、
完璧さにかける情熱や、いい加減さを憎む精神を君たちが失ったときとか、新鮮さや記憶性、そして信頼性などが生み出してくれる言葉と絵の、新しいスタイルやトーン、組み合わせといったものに、きみ達が手を伸ばすのをやめたときとか、
より優れた広告がレオ・バーネット・カンパニーの全てだという考え方に対して、毎日の努力研鑽をきみ達が怠ったときとか、
あのヘンリー・ソローがいうところの「良心のある会社」、きみ達がもはやそうでなくなった時とか、
この会社の熱い血であり、魂である君たちの誠実さが、揺らぎ始めた時とか、目先の利益にとらわれ、ご都合主義とか日和見主義によってきみ達自身を正当化し始めたときとか、
物事の適合性を知る敏感さを失い、君たちの中に粗雑さ拙劣さ、不真面目さが目に付き始めたときとか、
一所懸命に素晴らしい仕事をしようとすることより、会社を大きくすることがきみ達の第一の関心事になった時とか、
君のオフィスの窓の数が人より少ないなどということを気にしだし、視野が非常に狭くなったときとか、
きみ自身の器を忘れ、謙虚さを失い、なんでも知っているというような大物のふりをし始めたときとか、
あのりんごが社風や個性の象徴ではなくなり、単に食べるものやゴマすりの道具に成り下がってしまったときとか、
何かの仕事に賛成できないからといって、その仕事そのものを批判せず、その仕事をやった人を責め始めたときとか、
イキイキとした強いアイディアを作るのをやめて、ルーティーンの流れ作業に走り始めたときとか、
クリエイティビティとかクリエイトする欲望は刺激され、喚起され、そして育てられるものだということを忘れてしまい、単に効率だけを考えてひとにまかせてしまったり、管理できるものであるなどときみ達が思い始めたときとか、
最後にたった一人でタイプライターをたたいていたり、デザイン・ボードに向かっていたり、カメラを構えていたり、ブラック・ペンシルで何かを書き付けていたり、夜遅くまでメディア・プランを作っていたりする、そうした孤独な人たちへの尊敬の念を、君たちが失くした時とか、
我々のエージェンシーの今日を作り上げてきた、そうした孤独な人たちへの、深い感謝を忘れたときとか。
そうした人こそよりいっそうの努力をしているから、例え一瞬であろうと、熱くて手が届きそうにも無い星を、実際につかんだということを忘れたときとか、
こんなときにこそ、私は君たちに私の名前をドアからはずすよう強く求める。いや断じて、私の名前をはずしてほしいのだ。
たとえ死んだ後でも、私はあの世から甦ってきて、夜中にオフィスの全てのドアから私の名前を削り取る。
そしてあの世に戻る前に、スター・リーチング・シンボルもペンキで消してしまう。私の名前の入った全ての文房具を焼き払い、たぶん、通りすがりにいくつかの広告を破り捨て、忌々しくなったりんごは全部エレベーターの穴の中に投げ込んでやる。
すると君たちは次の朝、ここがどこであるかわからない。君たちは別の名前を探さなければならないのだ。
— レオバーネット
Somewhere along the line, after I’m finally off the premises, you or your successors may want to take my name off the premises, too.
You may want to call yourselves “Twain, Rogers, Sawyer and Finn, Inc.” … or “Ajax Advertising” … or Something.
That will certainly be okay with me if it’s good for you.
But let me tell you when I might demand that you take my name off the door.
That will be the day when you spend more time trying to make money and less time making advertising — our kind of advertising.
When you forget that the sheer fun of ad-making and the lift you get out of it — the creative climate of the place — should be as important as money to the very special breed of writers and artists and business professionals who compose this company of ours, and make it tick.
When you lose that restless feeling that nothing you do is ever quite good enough.
When you lose your itch to do the job well for its own sake — regardless of the client, or the money, or the effort it takes.
When you lose your passion for thoroughness … your hatred of loose ends.
When you stop reaching for the manner, the overtones, the marriage of words and pictures that produces the fresh, the memorable, and the believable effect.
When you stop re-dedicating yourselves every day to the idea that better advertising is what the Leo Burnett Company is all about.
When you are no longer what Thoreau called “a corporation with a conscience” — which means to me, a corporation of conscientious men and women.
When you begin to compromise your integrity — which has always been the heart’s blood — the very guts of this agency.
When you stoop to convenient expediency and rationalize yourselves into acts of opportunism — for the sake of a fast buck.
When you show the slightest sign of crudeness, inappropriateness or smart-aleckness — and you lose that subtle sense of the fitness of things.
When your main interest becomes a matter of size just to be big — rather than good, hard, wonderful work.
When your outlook narrows down to the number of windows — from zero to five — in the walls of your office.
When you lose your humility and become big-shot wisenheimers … a little too big for your boots.
When the apples come down to being just apples for eating (or for polishing) — no longer a part of our tone — our personality.
When you disapprove of something, and start tearing the hell out of the man who did it rather than the work itself.
When you stop building on strong and vital ideas, and start a routine production line.
When you start believing that, in the interests of efficiency, a creative spirit and the urge to create can be delegated and administered, and forget that they can only be nurtured, stimulated, and inspired.
When you start giving lip service to this being a “creative agency” and stop really being one.
Finally, when you lose your respect for the lonely man — the man at his typewriter or his drawing board or behind his camera or just scribbling notes with one of our big black pencils — or working all night on a media plan. When you forget that the lonely man — and thank God for him — has made the agency we now have possible. When you forget he’s the man who, because he is reaching harder, sometimes actually gets hold of — for a moment — one of those hot, unreachable stars.
THAT, boys and girls, is when I shall insist you take my name off the door.
And by golly, it will be taken off the door.
Even if I have to materialize long enough some night to rub it out myself — on every one of your floors.
And before I DE-materialize again, I will paint out that star-reaching symbol, too.
And burn all the stationery.
Perhaps tear up a few ads in passing.
And throw every goddamned apple down the elevator shafts.
You just won’t know the place, the next morning.
You’ll have to find another name.