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奮闘記・45~35th多摩ロードレース

 万葉の頃、多摩川の右岸一帯に横に伸びる丘陵地を “多摩の横山” と呼んでいた。そして昭和30年代から始まった多摩ニュータウン開発で丘陵地のかなりの部分が宅地化されたが、多摩市諏訪付近から町田市上小山田町付近まで雑木林の中を東西に結ぶ全長10キロほどの “よこやまの道” が昔日の面影を残して整備された。花木や野草がたくさん見られ、展望ポイントでは遠く富士山も望める道になっている。
 今日はこの山道に並行する4車線道路(一部未完成)の尾根幹線を走る “多摩ロードレース大会(10キロ)” が開催され、私は3年連続の出場。この大会は昭和56年(1981年)に多摩市制施行10周年記念事業として開催されたもので今回が35回目になる。第1回大会では1952年ヘルシンキ五輪三冠王(5,000m、10,000m、マラソン)の人間機関車・ザトペック氏が走ったという伝統ある大会だ。
 ザトペック氏が58歳で来日した際、 『どうしてもムラコソと一緒に走りたい。彼は私を陸上競技の道に進ませてくれた憧れの人だ。』 と希望した。村社耕平氏は1936年ベルリン五輪の5,000m、10,000mで力走しともに4位入賞を果たしたが、その当時13歳だったザトペック氏はこの姿に感銘を受けたと語っている。これを聞いた村社氏はその時75歳になられていたが、出場を快諾しザトペック氏と共に5キロを走った。感激したザトペック氏は 『今日は我が人生で一番幸福な日』 と語ったというエピソードが残っている。
 コースは丘陵地で平らな部分がほとんど無く、強烈なアップダウンが連続するタフなコース。去年は2週間前に横浜マラソン(フル)を走り脚に相当な疲労が残っていて、過去の10キロレースの中で最悪の記録(57分10秒)となっていたが、今日は準備万端で臨めた。結果は51分54秒(ネット)で1キロあたり5分11秒。一昨年のこのレース(54分5秒)より、2分11秒早くなった。この難コースでの51分台は上出来。1キロ毎のラップは、
5′10"、5′03"、5′08"、5′07"、5′01"
5′31"、5′19"、5′18"、5′18"、4′59"
スタートから厳しいアップダウンの連続で後半はペースが少し落ちたが、ラスト1キロは頑張った。
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アズマイチゲ・3~群生

 今年も見ることができた「アズマイチゲ(東一華)」。キンポウゲ科イチリンソウ属の多年草で、花弁のように見えるのは萼片。花弁は無い。この花は中山地区の山道に群生しており、おそらく自生だと思われる。この存在を一昨年、地元の方から教えていただき、毎年見るのを楽しみにしている。この日は午前中は日差しが弱く萎んでいたが、午後から晴れたのでもう一度見にきてこの姿を撮ることができた。
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