とめどもないことをつらつらと

日々の雑感などを書いて行こうと思います。
草稿に近く、人に読まれる事を前提としていません。
引用OKす。

戦争において日本の何を固めないといけないのか

2014-01-26 05:07:47 | 海外・国内政治情報等
私は戦争に反対だ。出来うる限りの戦闘行為は避けるべきであると考える。
それを前提にして記載させて頂く。

世界とは何によって動いているか、ということを問えば、いまだ世界というものは戦争によって動いているということを言わざるを得ない。
「そんなバカな、日本は60年間戦争はしなかったでしょう? 」という方は落ち着いて欲しい。

確かに日本は1945年(昭和20年)8月15日に終戦を迎えて以来、戦闘行為を行っていない。だがそれを以ってして戦争というものが無くなったというのは早計だ。
十数年前、テレビに出ていた占い師が、年末の番組で来年を占うという特集の中で「来年は世界のどこかで戦争が起きます」と悲観的な占い結果を出していたが、世界のどこかで戦争が起きているのは当たり前である。バルカン、アフリカ、内戦、内紛、紛争の事例には事欠かない。
これは歴史的に俯瞰した場合の、人間社会における営みなのであって、人間社会の本質である。そこから目をそらしても何の解決にもならない。むしろそれをよりよく研究することによってその戦争の抑止が図られる。

さて、そのような人間社会の本質をして、その政策を組んでいる国がある。アメリカだ。アメリカは基本的に世界で戦争・紛争が起こることを前提として国際社会における政策を保持している。そんなバカな、と思われる方は、なぜアメリカの海軍艦隊が世界展開しているのかの理由を知らなければならない。
仮に海洋国家と海洋国家が戦争になった場合、勝敗を決する海洋地理上のポイントが存在する(海上輸送経路:シーレーン)。このシーレーンを守る為に艦隊が世界展開しているのである。
国家と国家がぶつかりあう、地理上における研究学問を地政学と呼ぶ。この地政学は戦時のみならず、平時にも稼動する。

ひとえにアメリカのみならず、世界各国の政治というものは基本的にそうしたことを前提にして動いており、「戦争は反対です、ですので武力放棄を前提に国政をしますね」などという稀有な国は存在しない。日本がそうじゃないか、という意見もあるだろうが、日本にも地政学を中心とした派閥が存在する。
尤も、全てが全てそうではなく、外務省などにおいてはそれが三つの派閥における一つの勢力であったようだ。


さて、日本人には戦争アレルギーがある。当然だ。あれだけの損害を出して、未だに語り継がれるのであるから戦争をしたくないのは誰しも一緒だろう。
それにもう一つ重要な要因がある。戦争をした対峙国の国民を傷つける。これも避けなければならないと考えている。

おかしなことであるが、世界において残虐無比と喧伝される日本人は、日本人自身と他国民を守る為に戦争を行いたくないという国民性を獲得するに至った。
これは時代の要請に合った日本人の特性の転換だったと言わなければならない。アメリカとの戦争は自衛の戦争であったのだ。
ピルグリム・ファーザーズが欧州からアメリカ大陸に移住した際、最初は先住者のネイティブ・アメリカンの軒下を借りていたが、次第に母屋を乗っ取り始め、「最終的には推定1000万人いたインディアンは白人の直接・間接虐殺により実に95%が死に絶えた」とされる。
こうしたアメリカ人と対峙するのに、何もしないという訳にはいかない、というのが道理である。

戦争したくはないが、負けたくもない、つまりどうすればいいのかというと、戦争をしなければいいのである。これは武力放棄によるものではない。
他国に戦争をしたら不利だと思わせる事前の根回しをしておいて戦争を回避する。

そうした国内世論の足固めをせねばならない。

ジョークに次のようなものがある。
アメリカ人の将軍
ドイツ人の将校
日本人の下士官と兵

これに政治家と新聞と国民を加えた時、日本はそのどれもに入らない。
今後の日本はこれらを強化する必要がある。
それは戦争に突っ込め、と言っている訳ではない。
政治的哲学的基礎体力を底上げせよということなのである。
そしてそれはITによってなされるのが望ましい。

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計画・方針・立案

2014-01-26 05:02:50 | 雑感
何事にも計画・方針・立案が必要だ。
私は頭が悪いのであるから尚更のことである。
コメント (1)
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報道における人物写真と頭の位置

2014-01-26 05:01:58 | 海外・国内政治情報等

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140122-00000014-rcdc-cn
2014年1月21日、中国新聞網は、「米国を怒らせた安倍氏、米議員との会談で“ぺこぺこ”」と題した記事を掲載した。

【その他の写真】

報道では、同日に日本の首相官邸で、安倍首相が米上院外交委員会東アジア太平洋小委員会のマルコ・ルビオ筆頭委員(共和党)との会談を映した写真が掲載されている。

日本メディアは、両者が中国の防空識別圏設定や、領土問題について意見を交わしたと報道しているが、中国メディアの関心は会談の内容ではなく、安倍氏がルビオ氏に対して“低姿勢”で応対したことだった。中国メディアは、安倍首相の一連の言動が米国を怒らせたため、その機嫌取りであるとやゆしている。(翻訳・編集/内山)


報道写真というのは政治的利用で使用される。
この政治的利用の「政治」というのはどういう意味かというと、政治とは少数の人間が大多数の人間で構成される社会の方向を決定するものだ。

例えば二者会談では両者の動きの中で、一番相手の頭が低い位置にあった時の写真を狙う。
平均値ではなく、極大値を採用するのである。
報道はいつだってセンセーショナルだ。購買者層が平均値を求めるのではなく、極大値を好むからである。

オバマ大統領が天皇陛下に謁見する時にも一番頭が低い位置の写真を採用されたことは記憶に新しいだろう。

飯島勲での北朝鮮訪問においても同様である。

一番初めの記事に戻る。
日本人はこうしたお辞儀をやりがちだ。
一国の首相でさえこうなのだから、全員気をつけるべきである。

また外交上では日本はこうした場面の時に悪用されてしまうので、頭を極力下げない工夫も必要だろう。
プーチンなどはそうした写真は絶対撮らせはしない。
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恵方巻き否定論

2014-01-26 04:58:26 | 雑感
恵方巻きなる2月の風習は、「昔から続いている伝統行事ですよー」などという面の皮の厚さ10cmくらいの顔で凛然と我々の意識に座してはいるが、この恵方巻きは一部の地域で昔から続いていたものの、実を言えば全国的には、長期的歴史的スパンから見ればここわずかたった十数年で流行りだしたムーブメントだというのを記載しておかねばならない。

これはセブンイレブンが商品戦略として作り出した衆愚操作意識なのだ。
ここの辺りは皆、十分承知であるとは思うが、現在における空気を醸成しているセブンイレブンへの違和感と、そしてそれを操作しようとしている者への抵抗、怒りをここに記載せねばならない。
そりゃあ子供に「周りの友達も恵方巻きやってるってー、うちはなんでやらないの? 」と言われてしまえば、そうした怒りなどは凛とした花を手折るが如くにぽろっと折れてしまいそうになるが、しかしこれを書き留めておかねばならない気概にかられるのである。

いや、実際にそれを昔から伝統的にやっている地方は全くいいのである。
問題は、これをやらないと非国民だと言わんばかりのコンビニでの煽りとそれに便乗しているスーパーだ。
確かにこの恵方巻きなるものは売り上げに貢献するかもしれないがちょっと考えてみよう。

自宅で恵方巻きを作れるならいいが、その多くの主目的はコンビニやスーパーの売り上げアップが目印だ。

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技術提供統制による安全保障確保論

2014-01-26 04:57:31 | 海外・国内政治情報等
日本の安全保障を守るには軍事力が必要であるのだが、それ以外にもいろいろ手段がありそうだ。
どうすれば日本の安全保障を保つことができるのだろうか。

それは日本の技術提供先を安全度に応じて振りかえることではないだろうか。
例えば日本を侵攻せしめようとする国家に関しては、技術提供をやめる。

これは今でも行われていることであるが、今後はその販売やらなにやらの一切を止める。

これでOKのように思える。
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