とめどもないことをつらつらと

日々の雑感などを書いて行こうと思います。
草稿に近く、人に読まれる事を前提としていません。
引用OKす。

freebsd/mysql5.5インストールメモ

2014-01-26 23:04:52 | IT・ビッグデータ・新技術
メモ。

freebsdで、mysql5.5をportsインストールしようとすると下記のエラーが出る。
cd /usr/ports/databases/mysql55-client
make WITH_CHARSET=utf8 WITH_XCHARSET=all install clean

===> Found saved configuration for mysql-client-5.5.28
===> Extracting for mysql-client-5.5.28
=> SHA256 Checksum OK for mysql-5.5.28.tar.gz.
===> Patching for mysql-client-5.5.28
===> Applying FreeBSD patches for mysql-client-5.5.28
===> mysql-client-5.5.28 depends on file: /usr/local/bin/cmake - not found
===> Verifying install for /usr/local/bin/cmake in /usr/ports/devel/cmake
===> License BSD accepted by the user
=> cmake-2.8.9.tar.gz doesn't seem to exist in /usr/ports/distfiles/.
=> Attempting to fetch http://www.cmake.org/files/v2.8/cmake-2.8.9.tar.gz
fetch: http://www.cmake.org/files/v2.8/cmake-2.8.9.tar.gz: No address record
=> Attempting to fetch ftp://ftp.FreeBSD.org/pub/FreeBSD/ports/distfiles/cmake-2.8.9.tar.gz
fetch: ftp://ftp.FreeBSD.org/pub/FreeBSD/ports/distfiles/cmake-2.8.9.tar.gz: No address record
=> Couldn't fetch it - please try to retrieve this
=> port manually into /usr/ports/distfiles/ and try again.
*** [do-fetch] Error code 1

Stop in /usr/ports/devel/cmake.
*** [build-depends] Error code 1

Stop in /usr/ports/databases/mysql55-client.
*** [install] Error code 1

Stop in /usr/ports/databases/mysql55-client.


単に/etc/resolv.confにDNSの記述が無かったから名前解決できずftpできなかっただけの模様。

nameserverとしてDNSサーバのIP入れたら動きましたとさ。

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小泉純一郎元首相はライターを雇うべき

2014-01-26 18:20:46 | 国内社会批判

【都知事選】細川氏、心ないヤジに「…ハイ」
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140125-00000201-sph-soci
 その後、北口での演説には約5000人が集まったが、今度は小泉氏の口から思わぬ言葉が。「東日本大震災は、天が与えてくれた大事なチャンスだ」と明言した。「東北の人には怒られるかも知れないけど、犠牲を無にしてはいけない」とフォローしたものの、きわどい言葉で原発ゼロを訴えた。


ライターを雇うべきだ。本人の意向がどうであろうと、これはいけない。
「東日本大震災では私たちは様々な教訓を得ました。この悲しみを無駄にしてはいけません。同じ未来を繰り返さぬよう、将来に向けて原発のあり方を見直すべきなのです。」
くらいが望ましい。

同じ着地点を目指しても、言い方一つで結果が大きく変わる一例である。
何と言っても「口が一番えらい」のだ。
世の中プレゼンテーション能力が可否を大きく決定する。
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先日見た夢

2014-01-26 18:03:05 | 最近の出来事
いつもの夢を見た。
とは言っても傾向が同じだけで細部は異なる。

だだっ広い家、薄暗い室内、億ションもいいとこ、登場人物は自分一人。
コンクリート打ちっぱなしで10F建てのビルの内、9Fが自分の住居。
広さはおおよそ1000平米。おかしい。
9Fなのになぜか車庫がある。
車庫はSUV リムジンが軽く置けそうなくらいの広さと長さ。コンクリート打ちっぱなし。車庫のくせにやたらと長い。ここだけでも1割くらい。
その横は野外のテラス。ここもコンクリート打ちっぱなし。グランドピアノがおいてある。室外に置いてはいかん。

廊下直上をモノレールが走る。10Fが駅になってる。
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実力主義世界

2014-01-26 05:11:43 | 雑感
既得権益や世襲ではなく、完全実力主義の世界がある。

それはサッカー、お笑い、あるいは実業・・・。


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戦争において日本の何を固めないといけないのか

2014-01-26 05:07:47 | 海外・国内政治情報等
私は戦争に反対だ。出来うる限りの戦闘行為は避けるべきであると考える。
それを前提にして記載させて頂く。

世界とは何によって動いているか、ということを問えば、いまだ世界というものは戦争によって動いているということを言わざるを得ない。
「そんなバカな、日本は60年間戦争はしなかったでしょう? 」という方は落ち着いて欲しい。

確かに日本は1945年(昭和20年)8月15日に終戦を迎えて以来、戦闘行為を行っていない。だがそれを以ってして戦争というものが無くなったというのは早計だ。
十数年前、テレビに出ていた占い師が、年末の番組で来年を占うという特集の中で「来年は世界のどこかで戦争が起きます」と悲観的な占い結果を出していたが、世界のどこかで戦争が起きているのは当たり前である。バルカン、アフリカ、内戦、内紛、紛争の事例には事欠かない。
これは歴史的に俯瞰した場合の、人間社会における営みなのであって、人間社会の本質である。そこから目をそらしても何の解決にもならない。むしろそれをよりよく研究することによってその戦争の抑止が図られる。

さて、そのような人間社会の本質をして、その政策を組んでいる国がある。アメリカだ。アメリカは基本的に世界で戦争・紛争が起こることを前提として国際社会における政策を保持している。そんなバカな、と思われる方は、なぜアメリカの海軍艦隊が世界展開しているのかの理由を知らなければならない。
仮に海洋国家と海洋国家が戦争になった場合、勝敗を決する海洋地理上のポイントが存在する(海上輸送経路:シーレーン)。このシーレーンを守る為に艦隊が世界展開しているのである。
国家と国家がぶつかりあう、地理上における研究学問を地政学と呼ぶ。この地政学は戦時のみならず、平時にも稼動する。

ひとえにアメリカのみならず、世界各国の政治というものは基本的にそうしたことを前提にして動いており、「戦争は反対です、ですので武力放棄を前提に国政をしますね」などという稀有な国は存在しない。日本がそうじゃないか、という意見もあるだろうが、日本にも地政学を中心とした派閥が存在する。
尤も、全てが全てそうではなく、外務省などにおいてはそれが三つの派閥における一つの勢力であったようだ。


さて、日本人には戦争アレルギーがある。当然だ。あれだけの損害を出して、未だに語り継がれるのであるから戦争をしたくないのは誰しも一緒だろう。
それにもう一つ重要な要因がある。戦争をした対峙国の国民を傷つける。これも避けなければならないと考えている。

おかしなことであるが、世界において残虐無比と喧伝される日本人は、日本人自身と他国民を守る為に戦争を行いたくないという国民性を獲得するに至った。
これは時代の要請に合った日本人の特性の転換だったと言わなければならない。アメリカとの戦争は自衛の戦争であったのだ。
ピルグリム・ファーザーズが欧州からアメリカ大陸に移住した際、最初は先住者のネイティブ・アメリカンの軒下を借りていたが、次第に母屋を乗っ取り始め、「最終的には推定1000万人いたインディアンは白人の直接・間接虐殺により実に95%が死に絶えた」とされる。
こうしたアメリカ人と対峙するのに、何もしないという訳にはいかない、というのが道理である。

戦争したくはないが、負けたくもない、つまりどうすればいいのかというと、戦争をしなければいいのである。これは武力放棄によるものではない。
他国に戦争をしたら不利だと思わせる事前の根回しをしておいて戦争を回避する。

そうした国内世論の足固めをせねばならない。

ジョークに次のようなものがある。
アメリカ人の将軍
ドイツ人の将校
日本人の下士官と兵

これに政治家と新聞と国民を加えた時、日本はそのどれもに入らない。
今後の日本はこれらを強化する必要がある。
それは戦争に突っ込め、と言っている訳ではない。
政治的哲学的基礎体力を底上げせよということなのである。
そしてそれはITによってなされるのが望ましい。

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