とめどもないことをつらつらと

日々の雑感などを書いて行こうと思います。
草稿に近く、人に読まれる事を前提としていません。
引用OKす。

【悪質なデマ】『🇯🇵女性を妊娠させる黒人に1000万円支給』最悪なガセが拡散される。

2024-08-17 14:26:57 | 海外・国内政治情報等
改めてアメリカは○○○○国家と言うのはよく分かった。
過度な主張と調整を必要とする。

※こちらはデマの注意喚起動画です。



で、日本人は黒人差別するという話だけれども、じゃあアメリカではどうなん? 黒人がアジア人ヘイトばっかりやってる国やん。
「日本人は黒人差別するから〜」(俺はこうする)(皆もこうすべき)は論拠にならない。

※こちらは事実を元に記載されたWikipedia記事。

小倉黒人米兵集団脱走事件 - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%8F%E5%80%89%E9%BB%92%E4%BA%BA%E7%B1%B3%E5%85%B5%E9%9B%86%E5%9B%A3%E8%84%B1%E8%B5%B0%E4%BA%8B%E4%BB%B6

小倉黒人米兵集団脱走事件(こくらこくじんべいへいしゅうだんだっそうじけん)は、1950年(昭和25年)7月11日、連合国軍占領下の日本である福岡県小倉市(現北九州市)で発生したアメリカ陸軍の兵士の大量脱走事件である。基地から多数のアフリカ系アメリカ人(黒人)兵が集団で脱走し、周辺地区の住民に略奪や暴行、強姦を行なった。しかし連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)による情報規制のためほとんど報道されず、被害者も口を閉ざしたことから、事件の詳細は分かっていない[1][2]。


脱走兵は女性をもとめて家の扉をこじ開けようとした[4]が、住民は妻や娘を押入や便所に隠したりして[11]脱走兵が去るのを待った。隣接する福岡県立小倉ろう学校(現・福岡県立小倉聴覚支援学校)の寄宿舎にも白人1人を含む3人の脱走兵が侵入し、舎監に拳銃を突きつけ女を出せと迫った[8]。脱走兵の数が20 – 30人に増えたが[11]、舎監がとっさに町の方を指さしたので脱走兵はその方向にあった旧小倉陸軍造兵廠の宿舎に向かった。脱走兵が学校を立ち去った後、女子生徒を浴室の風呂桶の中に隠して男性教諭が寝ずの番をしたが、宿舎の方から女性の悲鳴がしたという[8]。このほかにも、各地で女性の悲鳴が聞こえたという証言があり[11]、悲鳴が聞こえたところへ行くと髪が乱れ泥だらけの女性がうずくまっていたという例は「いくらもあった」[9]という。しかし、婦女暴行既遂の報告は1件も無かったと結論付けられており[10]、被害者や周囲がひた隠しにして表ざたにならない性暴行事件も多数あったと伝えられる[12]。当時の浜田良祐小倉市長は「後日、警察から報告書が届いた。風呂帰りの主婦が襲われた、夫の眼前で犯された、いまの競輪場の近くに娘さんが意識不明で倒れていたなど、人身被害だけで20件くらいはあった。実際の被害者はもっといたのではないか。報告書を残しておくと差し障りがあると思い、焼き捨てた」と述べている。この警官隊は一時「黒人兵に包囲されて集中射撃を食い全滅したらしい」という情報もあったが、後で無事が確認される。不穏な状態だったことは分かるが、被害がいまひとつはっきりつかめない。そんな中で、伝聞だが、実態がうかがえる証言がようやく出てくる。[13]。

事件後、小倉警察署(現・小倉北警察署)で米軍立ち合いの元、市民からの被害申し立てが行われた[14]。強盗、窃盗、暴行、傷害、強姦は、警察や憲兵隊に報告されたものだけで70数件にのぼり[2][15]、米国立公文書館にも窃盗や強姦未遂42件の記録が残されている[16]。しかしこれらの事件で小倉市警察が検挙したのは殺人の1件のみ[17]で、強姦など申告されていない事件もあり、その真相は不明である[2][1][12]。


強姦の被害に遭った世帯の中には、噂が広まり転居を余儀なくされた世帯や、目の前で妻が強姦された夫が酒浸りになって溺死し生活に困窮する世帯もあった[8]。

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