<
神視点 (かみしてん)とは【ピクシブ百科事典】
https://dic.pixiv.net/a/%E7%A5%9E%E8%A6%96%E7%82%B9
創造神(作者)の視点だったり、空気の視点だったり、定義は人それぞれ。
概要
元は、「アクトレイザー」「シムシティ」のように、天の上の神様気分になり、人の子達のいる大陸を見下ろすという傍観(鳥瞰)の中二病的な言い回しだった。
だが、万人受けする視点というものはなく、何を唯一神の視点とするかは難しい。
宗教や土地によって神様の解釈が違うし、
神を男神とするか女神とするか、天の神とするか地の神とするか付喪神とするかでも解釈が分かれる。
現在では、小説など文学作品の「地の文」の書き方で、「作中の人物の誰の視点も介さずカメラ越しに見ている視点」=中立な視点のうち、基本的にあらゆることが認識出来きている立場にある視点を指すこともある。なので「主人公が絶対に知りえない敵幹部の重要な会話の場面を普通に見る」といった演出もできてしまう。
基本この場合叙述トリックのようなものは成立しえない。
ただ、こじつければ大概の漫画やアニメはこのタイプの表現をしていることになる。画像付きで物語を鑑賞する以上、キャラ主観の世界観が観れないのは当然のことではある。原作の小説・ライトノベルがある場合に、まるっきり印象が変わるのはこういうところにも原因がある。
「着眼点が神がかっている」「性的な構図が神がかってる」という意味で「神視点」と呼ばれることもある。
>
と言うことで、今回はこの中段にある作品制作における書き方の手法の件について書いていく。
「中立な視点のうち、基本的にあらゆることが認識出来きている立場にある視点を指すこともある。」
が近いが、私からこれを補足する。
私が個人的に考えるに、神の視点が入る場合には、その人間社会の模様をただただあるがままに描き出し、そこに存在する矛盾、悩み、葛藤、問題、人の潮流や振る舞いを提示した後に、それを作品と世界観に包含する手法である。
そしてそれを見ている我々は、そこにある人間的な愛と汚さとそれにまつわる儚い情景を神がそれを愛するように、鑑賞者もそれを愛するようになる。こうした感情を抱かせるように仕向ける作品の作成・構成手法を神の視点と呼ぶように思われる。
分かりやすく具体的に言うと、通常の作品群においては、「これが問題なんだ」とテーマや問題性を提示した後に、「じゃあこれで解決しよう」と解決策を示し、それで解決する、と言うのがおおまかな流れだが、神の視点は問題を問題と明示せずに、あるがままを描写する。
そしてその解決策も提示しない。
ひとまずはこの定義でいいと思うのだが、「マーティン・スコセッシ監督作品に登場する「神の視点」」と言う記事については、本当にひどく落胆した。
<
マーティン・スコセッシ監督作品に登場する「神の視点」シーン集 | ギズモード・ジャパン
https://www.gizmodo.jp/2016/12/god-pov-scene-martin-scorsese.html
>
映像を見てみれば分かるのだが、基本的に天井の上から人々を見下ろす形で撮影している手法、として紹介しているのである。そうではない。
神がなあ・・・こんな凡俗の観点で見るわけないだろう、と。
ギズモード・ジャパンの解説がおかしいとも思うのだが、仮にこれが映画界における神の視点の撮影手法と呼ばれているのであるならば、これもまた落胆のため息をつかざるを得ない。
神は見下ろすだけではなく、傍らに寄り添ったり、水平に俯瞰したりするのだ。
そこの距離を置いた情景に愛があり、憎しみがあり、汚さがあり、滑稽さがあり、そしてそれらを包含した人間そのものへの愛おしさがある。
真上からの真下に向けての撮影アングルが神の視点だとは本当に安直にすぎる。
これは改めなければいけない。