落語やってたというだけある。
イントロ2秒くらい似ている
1.Lovergirl In Summer ~GUHROOVY HARD CORE MIX~(1997年 日本)
2.This Fffire フランツ・フェルディナンド (2004年 スコットランド)
1.Lovergirl In Summer ~GUHROOVY HARD CORE MIX~(1997年 日本)
2.This Fffire フランツ・フェルディナンド (2004年 スコットランド)
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https://video.twimg.com/ext_tw_video/1576831698276618241/pu/vid/1280x720/XOsK1BMTyuo5_7SR.mp4
松本人志「(統一教会と)付き合いありました。でもこれからは付き合いません。でOKなら紳助さんも復活できるんちゃう?」
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と言うことで、島田紳助を引き合いにしての政権批判。
紳助NGなら政権もNGにしろやと言う。
でもこれはいくつかのテーマが混交されているように思う。
1.政権批判
紳助がNGなら政界もNGにしろやという。
2.松っつんは紳助が好きなので、芸能界に帰ってきて欲しいと言う希望。
1の逆で政界がOKなら紳助もOKにしろやという半句。
3.2を肯定したと仮定する場合、その場合は松っつんは発言者の立場で政界の癒着も許容する。
でもコメントの論調的に政権批判がメインなので3まではいかないかな。
https://video.twimg.com/ext_tw_video/1576831698276618241/pu/vid/1280x720/XOsK1BMTyuo5_7SR.mp4
松本人志「(統一教会と)付き合いありました。でもこれからは付き合いません。でOKなら紳助さんも復活できるんちゃう?」
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と言うことで、島田紳助を引き合いにしての政権批判。
紳助NGなら政権もNGにしろやと言う。
でもこれはいくつかのテーマが混交されているように思う。
1.政権批判
紳助がNGなら政界もNGにしろやという。
2.松っつんは紳助が好きなので、芸能界に帰ってきて欲しいと言う希望。
1の逆で政界がOKなら紳助もOKにしろやという半句。
3.2を肯定したと仮定する場合、その場合は松っつんは発言者の立場で政界の癒着も許容する。
でもコメントの論調的に政権批判がメインなので3まではいかないかな。
今回の記事は本来は映像作品のカテの話かもしれないが、映像作品のカテは作る側の観点主眼で書いているものであり、受け手側の観点もそこそこにはあるが、製作技法観点と言う視点で記載している。
今回は完全に受けて志向の話なので雑感カテに。
<映画・漫画・アニメ・音楽・ゲームに感動することの大切さ>
エンターテイメントは娯楽以上の何者でもない、本当にそうだろうか?
娯楽とは、人の心は労働のみでは満たされないこともままあるので、それの乾きを癒やすために生み出された人間社会の余暇の座興である。
旧来のそれは大道芸であったり、あるいは死体見物であったり、あるいは死刑の見物であったりした。
現代のこれは、迷惑系ユーチューバーに置き換わっているが、それ以外にも人間社会に良い影響の派生系統を生み出した。
それは感動と言う人間内部における情動系の心理動作である。
人間社会は金と言う第一ロジックで動いていることは間違いがない。
一方で、その第一次要素と呼べる現実的で強力なそれを超える行動原理で人間が行動することもある。
それはどのように持つべきなのか?
人間が元来的に持つそれは日々の生活で薄れていくが、これがとあるところでパルスが増幅されるように、「そうだ、私が内在的に持つ行動原理はこれだったのだ」と再確認し、その行動指針がぶれないように強化する出来事がある。創作の受領における感動だ。
ビジネスにドライで、常に実行能力のみを追い求め続ける堀江貴文氏が、ロケット事業に邁進するのは金が最終目標ではないと私は考える。いや本人は事業収益として金銭収入も視野に入れていると言うのかもしれない。ただそれだけではロケットと言う方向には行かないだろう。
また、同氏は逮捕後の収監に際し、差し入れの中でも一輪の花が嬉しかったのだという。
我々は基本金で動く。一方においてそれをも超える行動原理を内在的に保持する。
それを確認し、強化し、自己の内部で再規定し、強力な行動指針とする。
こうした人間行動の強化のために、感動と言う所作は必要なのだ。
今回は完全に受けて志向の話なので雑感カテに。
<映画・漫画・アニメ・音楽・ゲームに感動することの大切さ>
エンターテイメントは娯楽以上の何者でもない、本当にそうだろうか?
娯楽とは、人の心は労働のみでは満たされないこともままあるので、それの乾きを癒やすために生み出された人間社会の余暇の座興である。
旧来のそれは大道芸であったり、あるいは死体見物であったり、あるいは死刑の見物であったりした。
現代のこれは、迷惑系ユーチューバーに置き換わっているが、それ以外にも人間社会に良い影響の派生系統を生み出した。
それは感動と言う人間内部における情動系の心理動作である。
人間社会は金と言う第一ロジックで動いていることは間違いがない。
一方で、その第一次要素と呼べる現実的で強力なそれを超える行動原理で人間が行動することもある。
それはどのように持つべきなのか?
人間が元来的に持つそれは日々の生活で薄れていくが、これがとあるところでパルスが増幅されるように、「そうだ、私が内在的に持つ行動原理はこれだったのだ」と再確認し、その行動指針がぶれないように強化する出来事がある。創作の受領における感動だ。
ビジネスにドライで、常に実行能力のみを追い求め続ける堀江貴文氏が、ロケット事業に邁進するのは金が最終目標ではないと私は考える。いや本人は事業収益として金銭収入も視野に入れていると言うのかもしれない。ただそれだけではロケットと言う方向には行かないだろう。
また、同氏は逮捕後の収監に際し、差し入れの中でも一輪の花が嬉しかったのだという。
我々は基本金で動く。一方においてそれをも超える行動原理を内在的に保持する。
それを確認し、強化し、自己の内部で再規定し、強力な行動指針とする。
こうした人間行動の強化のために、感動と言う所作は必要なのだ。
3年目で早くも年商190億円と話題のLiquid Death。デスメタルバンドのようなデザインの缶で、中身は100%水。これが今アメリカ中のスーパーや、意外にもフェスやクラブでも売れているらしい。
— 長谷川 浩之 | Hiro Hasegawa (@hiro_hsgw) October 4, 2022
「バーやクラブで飲んでてもダサくない水」というパリピのニーズに気づいた創業者すごすぎ。 pic.twitter.com/HM1ofATEEf
無音のmp3を売りに出したら、頭出しに便利だとかでランキング上位に食い込んだと言うニュース思い出した。