1.
私は以前から私を苦しめた無意識の収奪という悪を憎み、それを行った人々の行状を憎んだ。憎んで憎んで仕方がなく、それだけで人生を生きる為の体力を使い果たそうとしても、それでも尚、それを自ら進んで自分を苦しませることを選択した。それにこそしか自分の存在意義が無い。レゾンデートルがない、と認識し、それこそが自分自身であるとまで思うようになった。
2.
ただ、このブログに書くことが私の怒りを整理した。
丁度、マンガ「蟲師」での狩房淡幽という登場人物が、先祖代々、家系に受けついだ「禁種の蟲」を体内に封じこめる人間として誕生し、それを筆記によって少しずつ封じているのと同様に、怒りや恨みというものは、文章による哲理的理解によって整理し、炎に身を焼き焦がされる思いから解放する。
3.
これはスタンフォード大学が研究した「マシュマロ・テスト」での、人間の自制能力、特に怒りを収める方法に類似する。第三者の客観的視点によって自分の身の回りをとりまく事象を”理解”することによって、自らの情動による怒りを理解し、冷却するのである。
4.
ケンカの流儀 佐藤優 P102
<
人間の弱さが作り出してしまう悪からわれわれは逃れることができない。悪は必ず憎しみを生む。悪を突き放して理解する知力と意思力を身につけた人は憎しみから離れることができ、自由になる。
>
5.
「憎しみから距離を取る」というのは、現代社会においては適切な生活の知恵である。ただ、それに対する日本語の成句・熟語が存在しないことから、歴史的には形而上的な解決よりも、何らかの代替策で回避していたのではないか、と想像する。
6.
「憎しみからその距離を取り、その諸原因と発生プロセスを理解する」ということが、現代社会に求められる、生活の知恵なのではないだろうか。
7.
そしてそれをできうるならば、理論化し、体系化できたならば、それを生活一般の大衆叡智として流布せしめるべきである。その第一歩として「憎しみから距離を取り、その諸原因と発生プロセスを理解する」ということそのものを一語で示す言葉が必要である。
私は以前から私を苦しめた無意識の収奪という悪を憎み、それを行った人々の行状を憎んだ。憎んで憎んで仕方がなく、それだけで人生を生きる為の体力を使い果たそうとしても、それでも尚、それを自ら進んで自分を苦しませることを選択した。それにこそしか自分の存在意義が無い。レゾンデートルがない、と認識し、それこそが自分自身であるとまで思うようになった。
2.
ただ、このブログに書くことが私の怒りを整理した。
丁度、マンガ「蟲師」での狩房淡幽という登場人物が、先祖代々、家系に受けついだ「禁種の蟲」を体内に封じこめる人間として誕生し、それを筆記によって少しずつ封じているのと同様に、怒りや恨みというものは、文章による哲理的理解によって整理し、炎に身を焼き焦がされる思いから解放する。
3.
これはスタンフォード大学が研究した「マシュマロ・テスト」での、人間の自制能力、特に怒りを収める方法に類似する。第三者の客観的視点によって自分の身の回りをとりまく事象を”理解”することによって、自らの情動による怒りを理解し、冷却するのである。
4.
ケンカの流儀 佐藤優 P102
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人間の弱さが作り出してしまう悪からわれわれは逃れることができない。悪は必ず憎しみを生む。悪を突き放して理解する知力と意思力を身につけた人は憎しみから離れることができ、自由になる。
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5.
「憎しみから距離を取る」というのは、現代社会においては適切な生活の知恵である。ただ、それに対する日本語の成句・熟語が存在しないことから、歴史的には形而上的な解決よりも、何らかの代替策で回避していたのではないか、と想像する。
6.
「憎しみからその距離を取り、その諸原因と発生プロセスを理解する」ということが、現代社会に求められる、生活の知恵なのではないだろうか。
7.
そしてそれをできうるならば、理論化し、体系化できたならば、それを生活一般の大衆叡智として流布せしめるべきである。その第一歩として「憎しみから距離を取り、その諸原因と発生プロセスを理解する」ということそのものを一語で示す言葉が必要である。