ぶうちん村、風わたる。

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先生はいじめられた人の味方と言い切っていいのか①

2006年11月10日 21時56分17秒 | Weblog
 いじめによる子どもの自殺が続いている。子どもが自殺を考えること自体の厳しさを全てのおとなは考えないといけない。
 しかし、それが実際の対策として出てきた時には非常に陳腐なものになってしまうことは多々あることだし、今回もそうだ。
 いくつか指摘したいことがある。
 まず、マスコミや文部科学省の報道・発表のあり方について言いたい。
 こういう衝撃的な事件が起こればニュースとしての「価値」はあろう。だから報道される。しかし、それは極めて一面的な行為であり、歴史にものを学んでいない愚劣な行為でもあると思う。
 と言うのも、例えば、岡田有希子(字はこうだったかな)というアイドル歌手がビルからの投身自殺をして死亡したことがあった。路上に横たわる遺体が翌日の新聞、とりわけスポーツ紙の一面にでかでかと踊った(ファンではなかったけれど、よく覚えています)。その後、誘発されたように投身自殺が全国で相次いだ。
 今回の連続している自殺もそうだ。本当に報道していいのか。
 また、文部科学省にいじめによる自殺予告状が届いた。明日がその自殺実施予定日だ。その予告状をそのまま文部科学省はホームページ上で公開した。説明責任、知る権利・・・・・様々な大義名分が立てられたことによって、マスコミは報道し、文部科学省は公開したのだろう。
 だが、この報道に触発されて「ぼくも・わたしも」という子どもたちを作っているのではないか。ジャーナリストの宮淑子さんは下記のように言っている。
「こうしたいじめ自殺報道が子どもたちに伝搬し、自殺が解決手段のように「学習」されてしまうことだ。「自殺は、冷静な自己決定の結果による決断ではなく、心が弱り(自殺の準備状態にあり)、孤独と絶望感に押しつぶされた結果の行為なのです」と心理学博士の碓井真史さんはホームぺージ上で言う。」と。
 まさしく同感だ。こんな理由で死ねるんだから、同じ立場の人は自殺してみませんか、自殺できますよというメッセージを発信していることだ。とすれば、予告状の公開ならびにマスコミの報道のあり方はどうだったのか。罪作りなことになったのではないかと思う。
 話を予告状に戻す。おそらくマスコミなどはその人物を特定していると思う。自殺予定日の明日の夕方にどんなニュースが出るのか「楽しみ」だ。「自殺は回避された」なのか「みんなの前で死んだ」のか、いずれにしてもニュースとしての価値は非常に高い。どちらにしても、この件については一切報道してほしくない。
 

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