ぶうちん村、風わたる。

風の吹くまま、気の向くままなんて、なかなかできませんが、楽しみを見つけながら過ごしたいものです。

犯罪者の精神鑑定なんて本当にする必要はあるの?

2008年08月31日 21時58分54秒 | Weblog
 タイトルの通りです。

 殺人事件などが起こると、よく犯人の精神鑑定を実施という報道に接します。
 今日も土浦の連続殺傷事件の犯人のことがニュースになっていました・・・「死んで魔法の世界へ」?「魔法の世界は現実とは違い、自分は特別な存在になれる。すべてが自分の思い通りにできる。だから死にたい」? 理解できません。
 その挙げ句、そんな人間に殺された人、殺された人の身内にとっては、到底この現実は受け入れられません。

「自分がすべてだ。世界も人も自分のもの。だからこそ自分の終末は自分で決める」なんて言いながら、自殺は「痛いからいや」なんだそうだ。

 昔の血判状でもあるまいが、人を殺める前に自分の指先をカッターでちょこっと切ってみな。痛いって。痛いってことが分かれば人を殺すなんて到底できないと思うのです。

 犯人は刑事責任能力があるとして殺人と殺人未遂の罪で起訴されるようです。
 
 最近、この手の犯罪傾向が多いようですが、精神鑑定で責任能力があるのかないのかをどうして調べないといけないのか私には分かりません。
 責任能力があろうがなかろうが、やったことの重みは法に則り裁かれるべきです。被害者ならびに被害者の身内にとっては、責任能力がないから無罪などと刑罰を軽くされることはたまったもんじゃありません。

 
 追記
 どういう心理状態で犯罪を犯すのか、人間の心理を調べる目的なら理解できますけどね。 

 

コメント (2)    この記事についてブログを書く
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2 コメント

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こういうことですか? (サン)
2008-09-02 03:36:07
つまりは結果だけで量刑を判断しろということですか?容疑者の精神鑑定を否定する貴方の意見は、量刑を判断する材料として、その犯罪に到る迄の過程を鑑みる意味がないと、おっしゃっている様に聞こえるのですが…
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あきらめろってことが割り切れないのです。 (ぶうちん)
2008-09-03 00:14:31
 私は法の専門ではありません。
 あるサイトのベストアンサーとして「やっていることの意味がわからない人に対しては、どちらも成り立ちません。極端ですが、犬や熊に殺されたという感じに近いと言ったら言い過ぎでしょうか。要するに、人として当然の感覚・行動を期待できない人には、刑罰という倫理的な規範を当てはめることはできないのです。」(Yahoo知恵袋より)
 とありました。がっくりです。私ならまだ犬や熊にかみ殺された方がマシです。

 様々なパターンはありましょう。もちろん犯罪に至るプロセスは大事です。
 ならば、予防措置として、精神的におかしい人間は犯罪を犯す前に、どこかに監禁するなりしてもらわないといけないことになってしまいます。犬はつながれているし、町中に出歩いてきた熊は駆除されますよね。したがって、そんな人間を「放置」しておくことが「法治」国家と言えるのかな。

 ギャグですね ・・・ こんなことを考えること自体が愚問かもしれません。

 ただ、うつの結果、明らかに精神的におかしい人間から脅迫めいた言葉を言われている友人にとっては、迷惑防止条例なんて意味はなしていません。そんな人間に殺されても犯人に責任能力がないということで減刑ともなれば、家族・身内の悲しみはどうなるんでしょうか。
 法的な難しい話ではなく、生身の人間の感情を納得させられる話を聞きたいものです。

PS 以前もありましたが、自分のサイトへのアクセスをさせないままに(自らの正体をあかさないままに)、私のブログ上でしか議論できないというのも残念なことです。
 
 
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