ぶうちん村、風わたる。

風の吹くまま、気の向くままなんて、なかなかできませんが、楽しみを見つけながら過ごしたいものです。

卒業おめでとう!!    ・・・だけどね。

2011年03月02日 00時40分56秒 | Weblog
 鹿児島県内は今日が一斉に高校の卒業式でした。

 私の二女(鉄橋の上でVサインしていた子)もめでたく卒業となりました。

 高校の卒業式は淡々と進むものですが、本当に淡々と進みました。

 残念だったのは、娘の通う高校は再編整備の対象校であり、もう2年生と3年生しかいないこと。1年生は新設校で「別高校」ってことで授業だそうです。
 
 そこで、先に文句を言いたい。
 新しい再編された高校は同じ敷地内。同校舎なのになぜ授業しているのか理解できないのです。

 ふつうは在校生が会場準備をするものですが、卒業生も準備にかり出されながら、再編による新設校の子らは授業。
 自分の棺桶は自分で準備しろっていうことならば、自分のゆりかごを準備したのは誰なのか。新高校生の入学式の準備は、「なくなる高校」の子どもたちでした。「違う高校」ということなら、入学式準備は新設校の先生方だけですればいいのに。
 また、部活動でもインターハイ予選が終わった途端に、顧問が指導に出てくる・新しい道具は届く・・・
 結局、再編の対象となった高校では、なくなる高校の子どもたちの教育条件は、新しい高校の子どもたちと同じ水準じゃないってことか・・・。

 それっておかしいじゃないですか。
 同じように学費払って、子どもの教育を委ねるっていうのに・・・。

 もちろん、私が矛先を突きつけたいのは学校の先生方ではなく、こういう方針を提示している県教育委員会です。
 
 

 ただ、子どもたちは純粋に卒業がうれしかったようです。
 教室に戻っての時間は楽しく、親としてもうれしく感じられたひと時でした。

 真っ先に、思いを語れとなったのは私の娘でした。

  

 30人の思いを交流しつつ、楽しいひと時は過ぎていきました。


 
 ただ、これだけは言いたい。
 
 再編の対象となった高校で、「なくなる高校」「新しくできる高校」あるけど、どちらにしても、同じ鹿児島の子どもってことです。
 高校がなくなる・できるということは子どもの責任ではありません。行政の責任です。子どもたちに「しわよせ」のない方法をとっていただきたかった。同じ高校生として尊重してほしかった。
 もっと現金な事を言えば、同じシステムの下で税金を収め、学費を払っているわけです。形式にとらわれてほしくない。形式にとらわれて格差のある対応があるならば、学費についても格差を設けるべきです。


 「おめでとう」の思いと併行して、どうしても、そんな思いも払拭できませんでした。



 そんな中でも、担任の先生、ありがとう。
 副担任の先生方、ありがとう。

 そして、娘よ。


 卒業、おめでとう。

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